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第三章 レンアイオーパーツ 01

 翌日、俺は一人で彼女が部屋を訪れるのを待っていた。

 葉切の家から帰る際に、一冊の本を渡された。珍しく綺麗に製本されたそれは既に読了済のもので、俺は一旦は付き返したのだが、彼女の言葉を聞き結局こうして学校にまで持ってきてしまった。

 もう、次から次へと貪るように新しい本を読む必要も無い。俺はゆっくりとした所作でページを捲り本を読み進めていた。授業で音読したページにまで辿り着くと、花折の言葉を思い出し知らず口が笑みを形取る。読み終わって、本を机の上に置く。よく確認すると自分が前に読んだものと微妙に出版社や収録内容が違っていた。

「じゃあこれも、記録送信すれば一冊にカウントされんのかな」

 まあ、送る気も無いのだけれど。あの連絡端末を使用した瞬間、母船に吸い取られた俺の記憶が確定的な証拠となる。そうすれば即俺はその存在を拘束され凍結されてしまうだろう。

 まるで神隠しに遭ったかのように。

 そう、ただそれだけの事だったのだ。

 当事者は目撃者の視点を持たない。それを起こす側であるが為に、それがどう見えるかなど知ることがない。

 百八十度反転してみよう。そうすれば気付く。だって、俺はそれを六回も繰り返してきたのだから。

「待たせたね」

 戸をあけてジャージ姿のままの高岡教員が現れた。俺は席を立つこともせずに視線だけを向ける。

「なにこの散らかりようは。あぁマルオ君が惨殺されているじゃない」

 彼女は一歩踏み入れたとたんにくしゃりと音を立てた紙のカーペットに顔を顰めた。

「先生。約束の」

 俺は机の上に除けてあった一枚の紙を差し出した。彼女はそれを受け取る。それは見渡す限りの砂漠から一粒の砂金を探し出すよりは簡単に、足元に散らばる紙片の海から見つけ出した一枚。この部屋をこんな有様に変えた際に、俺はダンボールを壁に叩きつけながらも、舞い落ちる紙片に綴られた文章を反射的に読み込んでいた。

 その中に、見逃せない一枚はあった。

「部活動申請書……?」

 長い時が経ち黄ばんだその紙には、今使われているデータと変わらないレイアウトで書面が印刷されている。

 曰く、化学部の発足に対し以下の生徒が創立の人員となることを誓うという一行。その下に書かれた名前は、

「部長、南栄……春過(はるか)……!!」

 高岡教員の目が見開かれた。彼女の氷のケースに収められていた脳が、忘れていた事、忘れさせられていた事を思い出そうと必死でニューロンを再活性させているかのようだ。

「思い出したか?」

 彼女はぶるぶると震える両手で書面を握り締め、その文面を、押された旧式の朱インク印鑑を食い入るように見つめた。

「だけど……二年前にはもう紙の申請書など発行していないはず……」

 その通り、黄ばんだ紙には印刷されているのは二〇四〇年四月一二日という日付。実に十五年もの前の物だ。

「高岡教員。あんたは知っているはずだ」

「何を……」

「人間は、そんなに簡単に消えない。家族だっているし、友人だっているし、ましてや高岡教員が探していたのはこの学校の生徒だ。データだって揃ってしかるべきだ。だけど、貴女の周りから確かに彼の存在は消え去ったんだろう?」

 まるで夢であるように。

 まるで幻だったかのように。

「本来なら在り得ない。そんなことが可能なのは幽霊か……宇宙人くらいのものだ」

 俺の言葉は、彼女の脳を包む硝子を砕くのに、十分な衝撃でもってその鼓膜を揺らした。はらりと、ひとひらの紙片が散らばる書類の波間に落ちていく。

「ありえない!ありえない!そんな非現実的な答え……私は化学教師だぞ!」

 首を激しく振って彼女は怒鳴る。

「じゃあさ、高岡教員はどんな答えが欲しかったんだ?学校ぐるみで彼を隠匿したなんていう、陰謀論か?」

「違う!!そんなんじゃなく……!!」

 彼女は力無く、長い足を折ってへたり込んだ。震える肩を抱き締める。

「そんなんじゃない……南栄は……!あいつは……」

 彼女の否定はもう、希薄を通り越して透明だった。何の意味も成していなかった。

 何故なら、思い出してしまったから。

 それ以前に元々、忘れてすらいなかったから。

「あんたが欲していたのは“ハルカ”の実在性の証明や不在証明なんかじゃない。高岡教員、あんたが俺たちに求めていたのは、宇宙人という存在の肯定だ」

「………………そうだ。だって私は化学教師だぞ」

 それは理由にならない。とは流石に言えなかった。

「だからフシギクラブなんていうオカルトめいた部活の顧問を引き受けると言った。あんたはハルカの事を全部覚えていたから。だが、辻褄を合わせるために必要だった最大の因子、“彼は宇宙人”という要素だけがどうしても信じられなかったんだ」

「じゃあ、照明してくれ。宇宙人が本当にいるということを。あの子が、人成らざる者が存在するという事を!」

 そう叫んだ彼女は、光一つない海原を筏で進んでいるかのように頼りない顔をしていた。

 俺は目を閉じ、息を整えた後に自分の右手を差し出した。

「一回しかやんないから、ちゃんと見てろよ」

 左手で適当なものを探す。ダンボールを開封するのに使ったカッターがあったのでそれを掴み、数センチ刃を出して大きく振り上げた。

「やめっ!!」

 高岡教員の制止も聞かず、俺は掌に銀の刃を突き立てた。もちろん痛い。歯を食いしばって堪える。

「何て事を……!!」

 ゆっくりと刃を抜く。其処から溢れたのは真紅ではなく、紺碧の血液。

「青い血が流れてるのは、イカと貴族だけじゃないってことだ」

 滴る血が指を伝い一滴零れた。空気に触れた青は急激な酸化により色を変え、床の書類に落ちた時には、地球人と変わらない赤となった。体外に出た傍から変色する血液は、出血が止まる頃にはただの赤黒い血として、掌にこびり付いているだけだ。

「あぁ……あの時と一緒だ……その青い血は……!!」

 レンズ越しの彼女の瞳は見開かれ、今となっては地球人のそれと変わらない傷口を映す。俺は血の止まった掌を開いたり閉じたりしながら損傷の具合を確かめた。

「ハッ……ハハハ……」

 乾いた笑いが彼女の口から漏れた。自嘲気味に歪む口元は、やがて俯いたことで見えなくなる。

「なんだ、探してもらおうと思ったのに、お前自身がそうだったなんてな……」

 そうして、彼女はぽつりぽつりと話し始めた。


 2051年春。

 ハルカ――南栄春過と高岡教員の話は、彼女が受け持つ化学部に彼が入部してきた所から始まる。

「よろしくお願いします」

 彼は春の陽光の似合う柔らかな笑顔を浮かべて、彼女に入部届けを差し出した。どこかのアイドルと見紛うような面差しに一瞬目を奪われるが、彼女はすぐに平静を取り戻す。

「あぁ、私は」

「ソフトボール部と兼任なんですよね。知ってます」

 先回りするような言い方にカチンと来たが、ほとんど顔も出せていない顧問には何も言う資格はない。

「今の化学部は幽霊部員が数人いるだけでほぼ廃部状態なの。本当に君一人で大丈夫?」

 がらんとした化学室には高岡教員と彼しか居ない。

「いいんです。器具の場所とかは大体知ってますから」

 入学したての一年坊主が何を言っているのか、呆れながらも身長だけは一丁前に自分とタメを張る春過を一睨みする。高身長と化粧っ気の無さから、男性教師陣にすら恐れられるその顔に、何故か春過は蕩けるような笑顔を返した。

「それに、この方が先生と二人っきりになれるし」

「お前……なに初対面早々セクハラ紛いの事言ってんの。廃部させるよ」

「あはは……そうですよね。初対面ですよね……」

 春過は頭を掻いて笑う。その顔に一瞬の寂寥を見た気がしたが、高岡教員はその原因を自分の口のキツさのせいだと理解した。 

 ふざけた言動とは裏腹に、彼は精力的に部活動を行った。義務付けてもいないのに実験レポートを毎回提出し、しかもその内容は教師の彼女から見ても非の打ち所の無いものだった。やがて彼女はソフト部のコーチの間を縫って化学室を覗くようになる。

「今日は何をするつもり?」

 その日彼女が部屋を覗き込むと、春過は机の上に色とりどりの木の葉を並べているところだった。

「先生!今日は葉脈標本を作ろうと思って!」

 形のバリエーションを重視した木の葉のラインナップを、春過は自慢げに広げて見せてきた。葉脈標本とは、水分と栄養素を運ぶために葉に張り巡らされた維管束――血管にあたるものだけを取り出して観察するために作成される標本だ。繊細なレース模様にも似た標本の作成実験は毎回生徒にも好評なので、時間の都合が付けば高岡教員もよくカリキュラムに組み込んでいた。

「沢山あるんです。先生も作りませんか?」

 葉肉を取り除くために用意した歯ブラシをタクトのように振って春過は差し出した。

「……そうだな、たまには部員の実験技術も確認したいしね」

 練習のメニューもしっかりと伝えてある。今日は副顧問もいるのでソフト部の方は問題ないだろう。高岡教員が席に着こうとすると春過が慌てて手招きした。

「隣に座ってください。隣がいいです!」

「お前な……」

 ぽんぽんと自分の隣の椅子を叩いて主張する春過。だが目をキラキラさせたその大型犬のようないじらしさに負けて、結局席を移す。

「おぉ、上手く処理したな」

 すでに並べられた木の葉は水酸化ナトリウム水溶液で煮立てられた後でしんなりとろ紙の上に張り付いている。煮過ぎると葉脈自体も崩れてしまうが、目の前の葉はきちんと時間を測って処理されたらしく、そのような兆候は見られなかった。

 とんとん、と渡された歯ブラシで葉を叩き葉肉をこそぎ落としていく。面白いように葉肉は剝がれ、蜘蛛の巣のように緻密な葉脈だけが取り出された。

「そういえば、前のレポートはどうでした?」

「あぁあの水酸化カルシウムの精製実験ね。完璧だったよ、一箇所を覗いては」

「えっ?どこか間違ってました!?」

「最後のテスト対策、語呂合わせの項目がねえ……顔を洗って水酸化カルシウムって……お前の駄洒落のセンスには最早脱帽だよ」

「褒められてます?」

「呆れてるんだって」

 並べられた葉を片っ端から叩いていく。葉脈だけになったものを水で丁寧に洗えば標本の出来上がりだ。

「乾かしておいてください、今度それで作りたいものがあるんで」

「若干美術部めいてきてるな……」

「世の中の物事の大抵は化学ですよ。料理だってそうじゃないですか」

 朗らかに笑って彼は実験器具を片付け始める。手伝おうとジャージの袖を捲ると彼女も洗い場に立った。

「先生、今日は一緒に実験してくれてすごく嬉しかったです。また暇な時にでも来てください」

 はにかみながら春過は言った。

 それから、彼女は週に一回は化学部へと足を運ぶようになった。


「これが、その時の物証だよ」

 高岡教員はポケットから携帯を取り出し、そこにぶら下がるストラップを掲げて見せた。慣性にしたがって揺れるチェーンには、透明なアクリル樹脂に包まれた葉脈の一片があった。以前見たとき罅割れていると見間違えたのは、レースのように細やかな模様を封じていた為だった。

「思い出って言ってやれよ」

 俺は日差しに透ける葉脈標本に目を眇めた。恐れ入る、春過という我々の一員はなんて大胆な事をしでかしていたのか。

 昨今の我々は、安定生存機構マザーオブグリーンがその情報調整を及ぼせる範囲――おおよそ物理的に形を残していない電子データや地球人の記憶の類にしか自身の記録を残さないように厳命されている。紙に書くタイプのものならば申請書だろうと母子手帳だろうとアンケートだろうと頑なに記入を行うことは禁止されている。作った美術作品は持ち帰った日に壊し、縫い上げた家庭科作品はその日の内に燃やしてしまう。そうしていればサイクルが回った時や、“休眠”状態に入った際に、安定生存機構マザーオブグリーンが搭載する情報改竄ツールで対象の電子データと周囲の地球人の記憶を地上から消し去り、書き換えるだけで更新処理が完了するからだ。

 一昔前の紙ベースでの遣り取りが重要視されていた頃は、毎回徹底的に情報消去の任を負った我々の仲間が走り回って物証を回収していた。その苦労を鑑みれば、現在の電子データ主流の世の中で自らの物証を残す彼の行動は余りにモラル欠けているように思えた。

「そうだな……今の私に残されているのはこれだけだ」

 そうして、彼女はまた口を開く。

 その事件が起きたのは、春過が二年生になった冬の日のことだった。人気の無い実験室は暖房が入っていても寒く、何時もよりも念入りにウインドブレーカーまで羽織った高岡教員は、同じくセーターを着込んだ春過と実験準備に勤しんでいた。

「今日は塩酸を使いたいんですが。化学電池をやってみたくて」

 春過はビーカーや電極を並べている。

「いいよ、じゃあ試薬を出すから」

 高岡教員は薬品棚を解錠し、必要な物を取り出そうと開き戸に手を掛けた。

 戸を開けた瞬間に、手前に並んでいた試薬瓶がぐらりと揺れる。最後に片付けた人間が無理に瓶を押し入れていたのだろう。

 しまったと思う間も無く瓶が降ってきた。スローモーションで迫ってくる瓶の側面にはH2SO4の文字。

 ――――硫酸!?

 そう理解すると同時に視界がぐるりと反転した。硝子の砕ける音。自分の体がどうなっているのかもわからないままに彼女はぎゅっと目を閉じていた。

「大丈夫ですか先生!?」

 不安を多量に含んだ声が彼女の顔に降り注いだ。そっと目を開けると、上下が逆になった春過の顔が視界一杯に広がった。

「どこか痛くないですか!?薬掛かったりしてませんか!?」

 狼狽している春過を落ち着かせようと身体を起こす。足元十数センチ先に中身をぶちまけて粉々になった瓶があった。僅かにスニーカーについた液体に背筋が冷たくなる。

 思わず後ずさった自分の背中に春過の胸板が当たり、どうやら後ろから抱き込まれるように引き寄せられたのだと理解する。

「大丈夫。ありがとう、危なく大怪我をするところだったわ。南栄こそ無事なの?」 

 高岡教員は自分を拘束する腕を解き、春過に向き直った。教師と生徒にしては距離が近すぎたが、今はそんな事を言っている場合ではない。春過はこめかみを右手で押さえながら慌てたように空いた左手を振って後ろずさった。

「だっ大丈夫です!!怪我なんてしてませんから!!」

 そう言っている内に押さえた指の間から血が一筋流れ出す。

「お前は馬鹿か!?はやく傷口を見せせなさい!」

 高岡教員はにじり寄って彼の右手を強引に外した。柔らかなくせっ毛が、紺色の液体で固まっている。見知った赤ではない、見知らぬ青は見ている傍から赤く変色していく。

「南栄……?」

 新鮮な青い血液が、傷口から滲み出た。

「あー……またばれちゃった……」

 春過は、眉を下げて諦めたように右手を下ろした。


「また?」

 俺は首を軽く傾げる。

「あぁ。南栄……春過は間抜けな宇宙人だったんだろうな。一つ前のサイクルでも、私に人間ではないとばれていたらしい」

 サイクル、俺と同じ。それの意味するところは。

「やっぱり……春過も学生を繰り返していたのか?」

 あの劣化した部活動申請書類は、南栄春過本人のものだったのか。

「あぁ、もう二十年近く学生をやってると笑っていた」

 全く気付かなかった。箱庭のように小さな学校というコミュニティの中に居て、学年さえも同じだったのに。クラス分けの際に安定生存機構(マザーオブグリーン)によって春過と重複しないように調整されていたのかもしれない。だが同じクラスだったとしても、クラスメイトの顔すら禄に覚えていない俺には到底見つけられるはずが無かっただろうが。

「春過は正直に自分の事を話してくれた。それさえも、サイクルが回れば無に還るから問題ないのだというように」 


「もう五年も、貴女に片思いをしているんです」

 そう泣き笑いの表情を浮かべて、差し伸ばされる手をどうして振り払うことができようか。

嘘だとしても良い、騙されていたとしてもいい。高岡教員はそう思ってその手を取った。 

 そうして、また二人は恋に落ちた。


「春過は今のサイクルで学校生活にピリオドを打つのだと酷く自分を追い込んでいた。任務を達成しないとまたサイクルが回ってしまう。今回を逃したら次は先生がおばさんになってしまうから、そんな軽口を叩きながら」

 確かに我々は外殻(ハードウェア)の時間経過を自由にコントロールできるが、地球人ではそうは行かない。三年経てば三年分の老化が進む。

「三年に進級した辺りから、春過は私と疎遠になった。今度こそ今度こそと、それこそ呪いのように同じ言葉を繰り返した。私は、君さえ良ければ何時までも待つよなんて言ったけど」

 その言葉の何て空虚な事か。

 ぽろぽろと、何時の間にか高岡教員は涙を溢していた。

「私は気楽なものだ、彼が失敗しても、彼の事を忘れてのうのうと生きていけば良いだけなのだから。だけど春過は違う……」

 安定生存機構(マザーオブグリーン)に情状酌量などという言葉は無い。ただサイクルをシステマチックに、淡々とセットされた通りにシークエンスを回す。俺はそれを悲しいと思ったことなど無かったけれど。

「春過からすれば……大事な人間ができてしまった奴からすれば、サイクルが回るって言うのは世界が終わるのと同じことなんだろうな」

 砂時計を引っ繰り返すように、一瞬にして三年間の全てが無に還る。残酷な言い方をすれば、春過にとっては既に高岡教員は一度喪失してしまった存在だったのだろう。彼女と培った一度目の三年間はもう何処にも残ってはいない。

「でも、それでも春過はアンタにまた恋をした」

 彼女だけが歳を取って、自分の事など微塵も覚えていなくても。

 それでもまた恋をした。

 愚かしい程に、馬鹿馬鹿しい程に、恐ろしく純粋な程に。

 それでも、南栄春過は、また高岡満に恋をしたのだ。

「……アイツの任務、なんだったと思う?」

 俺は先ほど葉切から聞いたばかりの、今こうしてもがき苦しむ彼女だけは聞く権利のある情報を提示する。

 聞かせておくことで今後の展開を有利に進める事まで折り込んだ上で。

「わからない。ずっと学生だったんだから、それに関係することなんだろう?」

 惜しい、ような惜しくないような。

「答えは、“我々の存在を認識した地球人と間での恋愛構築・学生編”」

「……は?」

「馬鹿な内容だろう。でもそれをクソ真面目にそいつは調査してたんだ」

「なんだそれは……じゃあ私との事も実験として……?」

 高岡教員の柳眉が寄せられる。

「貶めるな。最後まで聞け」

 彼女は細い顔をゆがめたまま、涙を滲ませた目で俺を睨み付ける。

「何だ!お前等はいっつもそうだ!そうやってちょっと高いところから人間を見下ろして!!」

「違う」

 俺たちはお前等を見上げている。眩しいものを見るように。掴めないのに手を伸ばす。

「あいつは何度も何度も報告書を上げて、その度に未達成の評価を突き返されて学生を続けていた」

「あの春過がレポートで未達成……?あんなに優秀な子が?」

「そうだ。あいつはずっと繰り返していた。恋する日々を。死んだよう生き永らえながら繰り返していた。それに終止符を打ったのが高岡教員、アンタだ」

「えっ?」

「気付けよ高岡教員。最後に春過は、誰と居た?」

「…………」

「そうだ。アイツが出した去年の報告書。ざっと読んだけど傑作だったぜ。本人に出せなかったラブレターを全部纏めて提出してやがるんだから」

 葉切の部屋で参考にと見せられた報告書は、本人が大真面目に書いているのが分かるが故に抱腹絶倒の出来栄えとなっていた。まず学生編なのになぜ教師に対して恋愛感情を抱いてしまったか、年上の地球人女性の素晴らしさは何なのかなどという論述を、緻密なまでの構成で書き上げだ文章力には噴出しながらも感服さえした。

「そんな……彼は私には何も」

「宇宙人にだって構造は違うが思考も感情もある。恥ずかしかっただけだよ」

「でも、最後の頃は話してもくれなくて……」

「必死だったんだ。その報告書が通らなかったら、また繰り返さなきゃならなかったから。大人になりたくて、あんたに追いつきたくて、あいつは受験勉強よりよっぽど苦しい戦いを続けてたんだ」

「私の為に?」

「そうだ。高岡教員、あんたの為に」

 かたかたと震えるその肩を、思わず抱き締めたくなったが、俺がそれをするのは余りにもずるい。

「アイツは全ての言葉を報告書に連ねた」

 そして、教官――地球人との異星間交遊の先達である征木葉切その人に思いの丈はぶつけられ――

「その……評価は?」

「式には呼ぶように。だと」

「なっ……私達はそんな!!」

 初心な小娘のように、高岡教員の顔が紅くなった。だがすぐに冷静な表情へと戻る。

「じゃあ、春過はもう合格していた……?」

「そうだ。大手を振って高校を卒業できる権利を得ていたんだ」

「そんな、話が違う!」

 掛かった。

「へえ、誰との?」

 口を滑らしたというように、はっとして高岡教員は口に手を当てた。だがもう遅い。

「やっぱり、アンタと春過の他にもう一人関係者がいるんだな?」

 ここからだ、俺が葉切から得た情報を流してまで聞き出したかった情報。そして必要とする合意(コンセンサス)を引き出すために。

 正直、俺は春過たる我々の一員の事も、高岡教員とのことも、二人の今後の事も割とどうでもよかった。

 問題は、一時凍結にまで追い込まれている花折を助け出すこと。それだけだ。

 だから、俺は春過が現在休眠状態に入り、次に目覚めるのが何時なのかわからないなんていう不確定でマイナスな情報は敢えて口に出さなかった。

 ずるいとでも酷いでも、いくらでも後から罵ってくれればいい。

「そ……それは……」

 言いよどむ高岡教員に詰め寄る。

「大体検討はついてるんだ。あんた、匿ってるだろう?いや、脅されてんのかな?」

 途端に高岡教員の顔が蒼白になる、後ずさろうとする彼女の細い肩を逃がすまいと俺は掴んだ。脳内に異星間交遊禁止の警告(アラート)が絶叫するように木霊するが、今はそれを意識から切り離して無視する。黙れよ。逃がしはしない。

「そういう顔するのは止めてくれ。あんたは、全部分かっててフシギクラブに依頼を振ってたんだろう?」

 この攻め方は酷いと自分でもわかっている。実際は、俺と花折の因子が彼女達二人の事情に悪影響を及ぼしただけ。彼女等は被害者というだけなのに。

「私は何も知らなかった……!彼は、春過が消えてすぐに現れた。自分を春過の仲間だといって、任務を放棄して学校で消えた春過を探しに来たんだと」

「それを、信じたのか?」

「じゃあ何を信じろっていうの!?春過が宇宙人である以上、彼が宇宙人である以上、何も分からない私はそれに縋るしかなかった!!」

 涙ながらに怒鳴りつけてくる高岡教員。

「だから私は、自分の管理下にあるあの部屋を与えた。そして、彼に言われるまま事が大きくならないよう【神隠しを吹聴すると自らも神隠しに遭う】という噂を広めた。彼はあそこにもう一年以上棲み付いてる――その内分かった、彼が春過を探す気なんててさらさら無いんだろうってことは。春過が消えて、得体の知れない彼にとり憑かれて、私は……限界だった……」

「そこで、あんたは助けを求めた訳だ」

「ええそうよ。せめて春過だけでも探し出そうと、フシギクラブなんていうお誂え向きな駆け込み寺にね」

 高岡教員は俺のシャツを掴んで崩れ落ちそうになる身体を支えている。

「私を助けてくれ宇宙人……神隠しから、春過を救い出してくれ」

 高岡教員は悲痛な声を漏らす。まるで自分だけが被害者であるかのように。

 しょうがない、彼女は彼女で忘れているのは分かっている。だけど俺は、そんな高岡教員を責めてしまう。俺は俺で、失った痛みに苦しんでいる。

「そうだろうそうだろうよ。高岡教員はそいつを招きいれただけだ。だけどな、それで、失われたものもある!アンタは可哀想な被害者だ。だけど同時に、罪無き加害者でもあるんだよ!」

 俺の大声に、彼女の肩が大きく震える。

「加害者……?」

「神隠しが、今まさに再び起こってる」

 彼女の灰色がかった瞳が驚愕に見開かれる。

「わかるだろう?アンタの周りが春過を忘れたように、今はアンタが、花折を忘れてるんだ」

「かおり……?」

 俺は、曇り空のように不安ばかりが募る瞳を真っすぐ覗き込む。

 ああ、アラートが五月蝿い。

「そうだ。俺の友達が消えたんだ。アンタの気持ち、俺は分かるよ。アンタと俺は今同じ想いを抱えてる。取り返したいって。守りたいんだって」

 できるだけ真摯に。俺ははっきりと声を出す。願うように。祈るように。乞うように。

「だから、俺を、助けてくれ」

 簡単な事なんだ。そして俺は秘密を伝える。合意を得るために。彼女の情に縋る。

 俺の願いを、彼女はただ静かに聞いていた。そして彼女は頷いた。


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