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第二章 カミカクシスパイラル 03

 帰り道は憂鬱で、頭の中はこの短時間にあった色々な情報で渦を巻いていた。本の内容なら何百冊詰め込もうと漣一つ立たないのに、人の感情が付与されたデータは何故これだけ処理に難儀するのだろう。

 時間を置く必要があると思った。

 実際テスト期間中に出来立てのクラブが活動しまくるというのもイメージが悪いし、高岡教員の話も急ぎではない。すでに事件から一年以上経っているのだから。

 重い足を引き摺って家へと辿り着くと、回転椅子に音を立てて座り込む。

 頭が痛い。色々な要素が軋みあって思考領域(ソフトウェア)が破裂しそうだ。俺は額を押さえながらデスクに鎮座するモニターを睨み付けた。液晶に指を押し当てて我々・comにログインする。

 同時に画面を埋め尽くす赤いポップアップ。血の泡のように浮き上がるウィンドウには、どれも本の情報送信を怠っている俺への催促だ。中には次回の賞与――仕送りの不払いを臭わせる警告(アラート)もある。

「どうしろってんだよ……」

 俺は頭を抱え、ちらりとサイドに掛けられた白いヘッドフォンを見た。簡単だ、これを耳に押し当てて、頭蓋に収まった情報を母艦へと送付する。それで全ては解決。報告遅延なんて僅かなペナルティだ。数パーセントの給与カットぐらいだ――そうならどれだけいいだろうか。だがきっと、それだけでは済まない。

 情報送信の際に、確実に俺の記憶も母艦に読み取られているはずだ。貴方のアプリの利用状況を収集しますと言って、端末情報まで吸い取られるのと同じ。

 そうすればあのオーロラを造り出した事の詳細もばれてしまう。花折との探偵ごっこもすべて筒抜けになり、確実に。

「排除容認対象の記憶削除及び、潜伏場所の移転もしくは任務内容の変更を命じられる……」

 自分の危険因子っぷりを重々承知しているからこそ、その予想はほぼ現実のように俺に認識された。

「まずい……まずい……」

 悪い癖で、感情が高ぶると意識せずに声として思考を出力(アウトプット)してしまう。その音を聞いて、俺は傍と気付いた。

 何が、まずいんだ?

 さらに我々に警戒を強められること?

 そんなこと今更問題にもなりはしない。

 嫌々やっている任務を変更されること?

 むしろ願ったり叶ったりだ、もう珠洲さんと読書談義できないのが少し寂しいが。

 潜伏場所の移転?

 それは……少し嫌な気がする。

何故?何故だ?何を俺を嫌がってるんだ?

「花折と、クラブ活動ができなくなること……?」

 そう、答えは、もう会えなくなるからだ。

「そうか……」

 花折の記憶が消去されること。

 それが今の俺の思考領域(ソフトウェア)の大部分を占める懸案事項だった。

 消して欲しくなかった。消されるべき物であると判断されたくなかった。

 だってそうなったら。

 俺はもう、花折と話すことも出来ない。

 あの時、邪な殺人欲求から始まった戯れが、俺に初めて興味の対象をもたらした。気付けば殺したいなどと微塵も思えなくなっていた。たかが地球人の一個体に。

「俺は、弱くなったのか……」

 たった一人の、地球人を失うことに耐えられないくらいに。 

 辿り着いた答えは二十年間一人が楽だと格好つけて皮肉に笑っていた、自分のプライドを粉々にするには十分な衝撃となって俺の心を襲った。


 次の日俺は、花折と顔を突き合わせる事への気まずさから朝礼ギリギリに教室へと駆け込み、休み時間は図書室のカウンターを陣取って時間を潰した。珠洲さんに「ここはシェルターじゃないんだよ」とやんわり諭されたのが耳に痛かった。

 だがその回避行動も実を結ばず、放課後になると花折は帰宅や部活へとざわつくクラスメイトの間を縫って俺に歩み寄り、何時もと全く変わらぬ調子で笑いかけてきた。

「昨日はありがとう」

 俺は微かに顔を上げて花折の顔を伺うと、すぐに図書室から持ち出した本へと視線を戻す。

「っ……ごめんね、未散が悪いんじゃないのにあんなに怒鳴って」

 花折は戸惑うように指を揺らす。いつものように俺の前の席の椅子に座ることもしない。  

「そうだ!休み時間の内にクラスの何人かに神隠しの事聞いてみたんだけど、みんな知らないんだって。なんか逆に興味持たれて聞かれちゃった。あはは」

「あのな」

 俺が顔を上げると、花折がぱっと顔を輝かせた。

「もう、茶番は終わりだ」

 幼い顔が凍りつく。

 ちくりと、胸が痛んだ。

「……え?」

 静かに言い放った俺を、呆けた顔で花折は見返す。

「十分楽しめただろ?」

 少なくとも、つまらないと流れた涙は、もう乾いただろう?

 俺も楽しかったよ。あぁ楽しかった。だけど、花折の母親からあんな言葉をかけられて、花折を心配している姿を見せ付けられて、流石に俺もこのままでいいとは思っていない。

「ねえ未散。変だよ?どうしたの……?」

 花折が俺の肩を掴んだ。俺は反射的にその手を弾く。これ以上花折に関わりたくなかった。積み上げても積み上げても、いつかはそれを崩さなくてはいけない日が来る。

 それに、俺は気付いてしまったから。

「っ……未散?」

 揺れる虹彩。プリズムのように乱反射する感情。

「クラブとか勝手に盛り上がって、俺はそこまで付き合いきれねーよ。図書委員も既にやってて内申点は足りてるから、もう放っておいてくれないか?」

 目つきの悪い自分のことだ、さぞ周りから見たら剣呑な視線を飛ばしていたことだろう。だが、驚くべきことに俺の物騒な顔を怯む事無く睨み返して、花折は声を張り上げた。

「未散の嘘吐き!馬鹿!未散だって僕と同じじゃないか!」

 虚を突かれた。これでは昨日と同じ流れになってしまう。俺は花折を凝視したが、怒りを滲ませながらも綺麗に陽光を弾く瞳はそれ以上を語らなかった。

「もういい、僕が探し出してみせるから!」

 花折はそう言い放つと少し離れた所でざわつくクラスメイト達へと近づいていく。

「ねえ、聞きたいことがあるんだ」

「止めとけって!」

 俺の制止も無視して花折はクラスメイトに神隠しの事を、消えたハルカの事を聞いて回っている。あれだけ周囲の目を気にして“変な事”を言わないようにしていた花折が、どうしてそこまで意固地になっているのか俺には分からなかった。

「くそっ、じゃあもう勝手にしろ!」

 なぜだろう、酷く自分の言い捨てた言葉が、負け犬の遠吠え染みていたのは。結局俺は図書室へと閉じ篭るべく、花折を放って教室を後にした。


 次の日、再び花折は学校を休んだ。

 ついには仮病か、そんなに俺に会いたく無いのか。拒んだのは自分の癖にそんな事を思い沈みながら、俺は空いた机をちらりと流し見た。朝の出欠確認で高岡教員に至っては花折の直前で僅かに眉を顰め、名前をすっ飛ばす始末だ。

 一昨日しっかりと休んでいたくせになどと呆れながらも、もう配付データも無さそうだったのでその日はもう見舞いに行くこともしなかった。そもそも合わす顔もなかった。

 それから三日経っても花折は学校に出てこなかった。俺はもう関わらない方が良いと判断していた以上、迂闊に心配してまた見舞いに行くのも躊躇われて静観を通した。

 自分が最大の過ちを犯したのはこの時だった。

異変に気がついたのは四日後だった。朝自席に座ると何か足りない。周りを見渡して気付く。

 花折の席が無い。

「え……?」

意識せずに喉を通った疑問符。だが、机のあったはずの空間を、クラスメイト達は何ら気にせずに通り抜けている。ぽっかりと歯抜けのように空いたスペースが異様に膨れて俺の目に映った。

流石におかしい、俺は丁度席についた隣の生徒に声を掛ける。

「なあ」

そいつは最初自分に声を掛けてきたのだと気付いてもいないようだった。再度声をかけると驚いたように俺を見る。俺から人に話しかけることなど本の返却催促ぐらいだから当然といえば当然か。

「そこに机があった奴、何かあったのか?」

「は?」

 彼の視線は俺の指の先を辿って、やっと空いた空間を見つけた。そして目を瞬かせる。

 そう、その顔は、本当に、新鮮な驚きに満ちていた。

「あれ、なんであそこ間空けてるんだ?」

 俺の質問の答えに全くなっていない、間の抜けた声。

「いや、あそこは花……征木の席だろ」

 怪訝な顔をして、咀嚼するように彼はマサキの名を噛み砕く。

「マサキ……誰だっけ、それ?」

 その時の俺の顔は、相当恐ろしかったのだろう。彼は短い悲鳴を飲み込んで、丁度良いタイミングで教室に入ってきた高岡教員へと、自然に視線をスライドさせた。朝礼、そして出欠を取る高岡教員の声を注意深く聞く。もう初日に感じた、征木の番号の手前での、立ち止まるようなもどかしさは感じられない。

 花折は、その時既にもう、学校から消えていた。

 エアーポケットのような机一個分の空白を誰もが感知することなく、学校生活は平穏に流れていった。只一人、俺を除いて。

 終礼のチャイムが鳴るや否や、俺は高岡教員に駆け寄った。

「なんだ?私は部活を見に行かなければいけないんだが……」

 ジャージに身を包んだ彼女にほんの数分でいいからと頼み込む。

「何点か確認したいことがあるんです」

「なんだ?」

 腕を組んだ高岡教員が真っすぐに俺の目を見つめてくる。

「このクラスって何人でしたっけ?」

「ああ?毎日出欠取ってるだろう。三十九人だ」

 違う、花折を足してこのクラスは四十人編成だ。

「出席簿を確認させてもらっていいですか?」

 高岡教員は面倒そうに教材端末のディスプレイを俺に向けた。その名簿からは、二十三番征木花折の名前が抜け落ちていた。

「征木という生徒を知っていますか?」

「……?いや、この学年には居なかったと思うが」

 征木花折は存在しない。俺は視界が真っ黒に塗りつぶされたかのような衝撃を受けた。

 今なら高岡教員の気持ちがわかる。一人だけ置いていかれたように記憶を抱えている事の不安定さ。思わず自分も混ぜてくれと放り出したくなる程の、たった一人の存在の重み。

「そうですか。ありがとうございました」

「ああ、お前も部活動があるんじゃないのか?発足したばかりである以上、そして仮にも私が仮顧問である手前、部室に行くぐらいはしておいて欲しいんだけどね」

「フシギクラブの事、覚えているんですか!?ハルカの調査の事も?」

 掴み掛からんばかりの勢いの俺に、高岡教員は数歩後ずさる。

「当たり前じゃないか、つい先週認可したばかりなのに」

「じゃあ、部活発足の時の事も!?」

「待て待て!覚えているに決まっているだろう!あの時申請書を持ってお前が……?」

 彼女はそこで、初めて言葉を言い淀んだ。端末を操作して申請書データを呼び出す。

「そう、部長がお前で……」 

 彼女の記憶に、小さな小さな罅が入る音を聞いた気がした。

「おかしいな……何故これが認可されている……?」

 そこに写った書面には、加賀未散一人分の名前しかなかった。だが学校の電子印は承認欄にしっかりと捺印されている。

 部活発足申請書には、最低部長、副部長の二人の生徒を明記しなければいけない。そうしなければ提出することすら出来ない。だからこの書面は、存在しないはずのものだった。

「なんだ?システムの不具合か?」

 高岡教員はまるで原始人のように何度か端末を振って中の書面を確かめる。

「もういいです」

 手を伸ばしてその端末の画面を切ると、俺は薄ら寒い笑顔を浮かべてお辞儀をした。

「先生待っててくださいよ。神隠しの件、ちゃんと報告するんで。それまではこの部活潰さないでください」

「あ……あぁ。頼むよ、あんな事を頼める生徒はお前くらいしかいないんだ」

 初めて見せた俺の殊勝な態度に、高岡教員はばつが悪そうな表情のまま同じ高さにある肩を軽く叩く。 

 今まさに、二度目の神隠しが起きていることに気付きもしないまま。 



 柔らかい山吹色の夕日が、部室の床を端から染めていく。暑さを多少緩めた風が、カーテンを風船のように膨らませた。

 俺は一人、壁際のパイプ椅子にだらしなく座っていた。背もたれというより壁に凭れ掛るように体を預け、視界に収まる狭い部室をただ眺めている。机の上には借りてきた本を置いていたが、読む気にはなれなかった。

 花折が消えた。これが神隠しか。

 最後に花折を見た日、あいつはクラスメイトに去年の神隠しについて聞いて回っていた。神隠しを吹聴すると自身も神隠しに遭う。珠洲さんから聞いた密かな噂に合致する。

「謎を解くって言って、自分が消えてたら世話ねえだろ――……」

 あんなに必死になって聞いて回っていた後姿。どうして一言忠告できなかったのだろう。

 それは、怖かったからだ。

 花折の母親を理由にして、そう遠くなく記憶を消去される事になるだろう花折から、俺は逃げ出したかっただけだった。俺は俺を守りたいだけだった。

 消されるということは、殺される事と同じ。

 花折の中の俺が殺される。それに堪えられなかった。

 だけど、この現状はそれ以上の悪夢だ。

 花折が、その存在ごと失われてしまったのだから。

 机上のミネラルウォーターを喉に通す。生温い液体が流れ入る不快感。

「何で!」 

 血が沸騰するような感覚。叩きつけられたペットボトルが潰れる歪な音。

 意識がホワイトアウトする。

「…………あ」

どれくらい時間が経ったのだろう。轢かれた蛙のように平たくなったペットボトルを踏む感触に、はっと俺は意識を戻した。

 部屋は獣が暴れまわったような惨状となっていた。性質の悪い獣もちろんは俺だ。

 二人で汗水流しながら脇にどけたダンボールはその全てが引っ繰り返され引き裂かれ、部屋は怪しい儀式、もしくは片付けの出来ない科学者の研究室のように黄ばんだ紙で埋め尽くされていた。千切られた哀れな人体模型の四肢は散らばり、まるで昔日常だった光景を見るようで俺の鼓動が強く跳ねる。

 心の奥底に封じられて尚息づく本能が告げていた。

「ハハハ……なんだ、簡単な事じゃないか」  

 俺はこうして全てを解決してきただろう。

 久々に湧き上がった思いは驚くほどに静謐で、澄んだ湖面のようだった。だが知っている、どう取り繕うとも俺たちの心の奥底には煮え滾るマグマが常に流れていることを。その熱は簡単に水を沸騰させ、全てが蒸発した後に、隠れていた灼熱の想いを噴出する。

「簡単だ」

 花折を攫った奴を、殺そう。

 それが人間でも、

 それが現象でも、

 それが環境でも、

 それが災厄でも。

 俺はずっとそうしてきたじゃないか。壊して砕いて叩き潰して、危険なものもそうでないものも混ぜっ返して更地にする。

 そしてその後に、また花折を置けばいい。花折だけは、壊さなければいい。

 その花折が、もう俺のことを覚えていなくてもいい。

 その時の俺はわかっていなかった。

 それは、地球人が当たり前のように持っている感情だという事を。

 守りたい。

 俺はまだその時その感情を“壊さないだけ”としか思っていなかったけれど。

 確かに、やっと人間に一歩歩み寄っていた。

 この小さな一歩は、我々にとって大きな一歩となった。

 後にそう言われるのをもちろん未だ知らないまま、俺は行動を開始した。





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