三
また次の日も雨蛙は高台に居た。しかしその日は一匹ではなかった。雨蛙がいつものようにどんぐりビスケットをバキリとかじっていると、友人蛙が大きな鞄を抱えながらひょこひょこやってきて、傍で何かガタガタと作業をしはじめた。
やっぱり変な蛙かもしれないな。雨蛙は時折友人蛙を一瞥しながら、ぼうっとしたり、詩を書いたりした。
しばらくケリョリケリョリと鼻歌を歌いながらトンカン何かを作っていた友人蛙は、ふと空を見上げると、お腹をさすって「ご飯を買ってくる」と言って市場に出かけて行った。雨蛙は、ピョコピョコ高台を下りていく友人蛙の後ろ姿を見つめていると、あの蛙も寂しいのかな……と思ってしんみりとした。
相変わらず市場の方は多くの蛙たちでひょこひょこゆらゆらしていた。日が高く、以前よりもずいぶん暖かくなったので、雨蛙はうとうとしはじめた。春の香りが、身体全体をつつみこむような気持ちよさがあった。
友人蛙が袋を抱えて帰ってきた音で、雨蛙はうたた寝から覚めた。
「おや、起こしてしまったかな。ごめんね。君の分も軽食を買ってきたんだけれど、食べるかい?」
友人蛙は、ガサガサと紙袋からパンと菜の花蜂蜜を取り出して首をかしげた。
「ありがとう」
雨蛙はパンにたっぷりと菜の花蜂蜜を塗ってもらうと、甘い香りをすうっとひと嗅ぎして、モフりとパンにかぶりついた。モチモチと咀嚼していると、友人蛙も隣に座ってパンにかぶりついた。
「これ、美味しいね」
「でしょう」
「菜の花の季節だね」
「そうだねえ」
「どんぐりビスケットをあげる」
「ありがとう。ぼくもこれ、好物なんだ」
友人蛙からは、バキリ、とビスケットをかじる音がした。
「そういえば、君は何を作っていたんだい?」
雨蛙はパンをモチモチさせながら友人蛙の方を向いた。
「テーブルだよ」
「こんなところでテーブルなんか作って、もって帰るのが大変じゃないかい?」
「あっ、ああ、それは……考えてなかったな……」
友人蛙は苦笑いをして頬杖をついた。
「まあいいさ。完成したら、僕も運ぶのを手伝ってあげる」
「本当かい? ありがとう」
「うん。パンをもらったしね」
「でもぼくはビスケットをもらったよ」
「いいのさ」
「そうか」
友人蛙はにこにこしながらビスケットをバキリバキリとかじった。雨蛙も、パンを飲み込むとビスケットを一つバキリとかじった。
「そういえば、君のそのブーツお洒落だね」
友人蛙は雨蛙のブーツをじいっと見つめた。
「ああ、これかい。軽くて丈夫で、デザインがとても美しいから好きなんだ。自分の満足するものを身に着けるのは、本当に心が豊かになる」
雨蛙は少し恥ずかしそうに足を伸ばしながら答えた。友人蛙は「ふうん」と言ってゆらゆら動きながら
「どこでこしらえたんだい?」と聞いてきた。
「これは、その……。嘘をついても仕方ないから言うけれど、ニンゲンが作ったものなんだ」
「ああ、そうなんだ。でもかっこいいね」
友人蛙が「ニンゲン」という言葉に全く反応しないので、雨蛙は驚いた。蛙界では、ニンゲンは鷹よりも恐ろしい害獣とされていた。ニンゲンは恐れられ、嫌われ、その名を口にすることすら嫌がる蛙たちも珍しくないくらいであった。
「あのニンゲンのものなんだよ? 嫌がらないのかい?」
雨蛙の声は弱弱しかった。
「うーん。まあ確かにどうもニンゲンは好きにはなれない。だからそのブーツも、ニンゲンものと聞いてからは実はそんなにいいとは思っていない。でも一度は良いと思ったことは事実だ。ぼくは、ただのレッテルで評価を曲げることは正しいことではないと思っている。そして、君が良いと思っているという事実だって、ぼくも異論はなかった。だから、ぼくはニンゲンのものだとわかったからって、別に頭ごなしに否定しようとは思わない。まあニンゲン自体は好きになれないけれどね……」
友人蛙がそわそわ照れくさそうにして語ってくれたことに、雨蛙は嬉しくって仕方なくなった。
「そうか。そうか。」
そう言って、雨蛙はにこにこしながらどんぐりビスケットをバキリとかじった。
「そういえば、君はなんで詩が好きなんだい?」
友人蛙もビスケットをバキリとかじって雨蛙の方を見た。
「僕はねぇ、僕にとって真円のような、完璧なものが好きなんだ。そしてたまに、無性にそれに溺れたくなる。そういったときに、詩ほど完全なものはない。あまりにも美しすぎる造形と、その旋律に陶酔したいから、僕は詩を作るのさ」
ひゅるりと風が雨蛙と友人蛙の頬をなでた。もう風は冷たくなかった。
「かっこいいな。君」
友人蛙は空を見上げてにやりと笑った。
以上が僕と友人蛙との出会いだ。あの時僕が毎日を無性に苦しく思って過ごしていた理由は未だにわからないが、彼が僕の荒んだ心をなだめてくれたことだけは間違いない。
僕は彼に敬意を表してここに記録をする。
彼の三回目の全快祝いの晩 満月 雨蛙