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青い傘 ニ

 一○ニ号室の鍵は柄に赤いハートのシールがついている。恋人の部屋の鍵だから、とかそういうかわいらしい恋心からではなく、気づいたら大介くんが貼っていたのだ。鎖しこんで、押す。雨天のせいもあってか部屋は薄暗い。細い廊下をまっすぐ行くと、くもり硝子のはめ込んであるドアがある。このドアにも鍵はついているが、ノブを廻すと今日は開いた。この部屋は一階の中で一番小さい、と思うのは、物が多いからでもあり大介くんが大きいからでもあるだろう。それに隆文さんと違って、このひとは部屋を仕切る。部屋には薄い大型テレビ、その前に三人座れる黒いソファ、中間に硝子のミニテーブル、壁際にパソコンデスクとパソコンが二体。オーディオ器、本棚、DVD、物というものがあって、でも意外にも無くてこまるものもある。掃除機とか。

「……でかい」

 大介くんはがっちりしている。市役所のゴミ回収、運送屋、引越しセンター等のアルバイトを趣味のように平日こなし、ご飯をいっぱい食べる。平日は朝五時から夜九時まで仕事の日もあり、週末の日曜日だけはしっかり朝寝坊する。

 百八十五センチ、六十五キロ、二十四歳の男の子がピンクのくまの抱き枕を抱えてぐっすりと眠っている。このくまさんは青いものがわたしの五階の部屋にもある。大介くんが買ってくれた。このひとは嬉しいことにいいものしかくれない。寝室にも物があふれている。洋服タンスが三つ(一番小さいタンスはわたし用だ)、小さいテレビ、ゲーム。歩くところがない。が、散らかっているわけでもない。大きなベッドに寝た大きな恋人の太い首を見つめる。わたしのだいすきな首。ぽん、と叩いてみる。起きない。

「お昼だよ」

 ごろりと巨体が体をひねった。目が合う。短髪がよく似合う、浅黒い顔。

「キスしてくれるの待ってたのに」

「おはようダーリン、っていうやつ?今度ね」

 ふふっと笑って首に腕を巻きつけた。あまいにおいがする。バターみたいな。

「お昼ごはんどうする?つくるか食べにでかけるか」

「チャーハンつくっってほしい。じゃこの入ってないやつ」

「わかった。お風呂お湯はっとこうか」

「ありがとう」

 大介くんは起き上がるとわたしを見下ろしおでこにキスをした。外人みたい。

 お風呂場に行きすでに磨かれた浴槽にお湯をはる。どぼどぼと勢いよくあたたかいお湯が出る。ボタン一つですぐに温かいお湯が浴槽の壁の穴から出る光景には、まだ慣れない。台所にたってピンクのエプロンをつける。エプロンは一つしかなくてフリルが少し付いている。普段わたしの恋人は構わずこれを身につける。それはもう愉快な光景だが、わたしは笑わない。笑うときっと二度と見れなくなるからだ。中華なべを温めて油をひく。炊飯ジャーに残っていた冷ご飯をいれてネギ入りの溶かした卵を絡ませる。タマネギ、レタス。じゃこも入れたいが我慢した。切りすぎたタマネギを中華スープの素と一緒にお湯に入れたスープもできた。簡単なご飯がすきなのはわたしも大介くんもいっしょ。

 お風呂場からドライヤーの音が聞こえる。タオル一つで乾きそうな髪にもきちんとドライヤーをあてるのは、陽子さんの教育なのだろう。

「いいにおい」

「じゃこはおいしいのに……」

「今日はいいんだ」

「さっきご飯食べた気がするのに、もう一時なんだ。四時間も経ってる」

 大介くんがソファに、わたしは向かいの座椅子に腰掛けてれんげをとった。

「いただきます。」

「いただきまーす。」

「父さん、元気?あ、レタスうまいな」

 ついでを装ってきく。まったくこのひとは不器用だ。

「元気だよ。あいかわらず大介くんに負けないいい体してる」

「モモはパジャマを着て寝る男は女々しいとか思ってるんだろ」

「それでお腹壊すより、頭つかってパジャマ着るほうが賢いよ」 

「冷え性の男は賢い。生姜の紅茶だって淹れれる」

「お昼から買い物いくけど、くるよね」

 チャーハンから顔を上げて大介くんをみると、目が合った。ずっと見てたんじゃないよな。

「もちろん」

「雨が降ってるから、バスでいい」

「歩こうよ」

 この歳の男のひとはみんな運動がすきなんだろうか。あたしの周りの男の子はみんな面倒くさがりだ。

「おれ、傘さすからモモは歩くだけでいいよ」

 今度は目をふせて言った。運動もわたしも愛されている。

「あ、傘!」

「傘?そういやおれの壊れてたかも。もってきた?」

「いや、あたしのじゃないんだけど、男物の青い傘が」

「父さんの?」

「違う……朝五階に男のひとがきて、くれたの」

 大介くんの右手が止まる。これは言わない方がよかったかもしれない。

「だれ」

「知らないひと、ほんとに。四十歳くらいかな」

「傘くれたって、なんでもらったの?モモなら断れるだろう」

「それは、普通の場合」

 傘をもらったことに腹をたてるだけならいい。包丁をもっていたなんていったらどうだろう。逆上してあの男を探しに行こうものならそんなの怖くていけない。

「普通じゃない場合ってなに」

「なんかこわくて」

「それだけなの」

「こわくて」

 うそではない。

「わかった。外出するときはきをつけてよ。そんなことがあるならなおさら」

 真剣な表情でいってくれる。なぜか顔がゆるむ。

「うん」

 顔を見合わせてふふ、と笑う。これを食べ終わったら買い物へ行く。大介くんのさす傘に二人で肩をあわせて。それはちょっと幸せだと思う。

 もし傘がなかったら。ふと考えた。買い物は行かなかったかもしれない。朝の包丁の男に口の中でありがとう、と言って、スープで流し込んだ。

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