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第21話 鎮魂歌

 その場所は終焉を告げる者が居ながらも、光に溢れていた。崩れ落ちてしまった天井からは青空が覗き、日の光を差し込ませ天使の階段を形成していた。長い階段を上ってきたラキアは、その光に目を細めた。

 風が頬を撫でる。ガラスのない、窓といえるのかも分からない崩れてしまった壁の近くで彼女は佇んでいた。向けられた背からはどんな表情をしているのか分からない。風に髪を弄ばれ、動く気配もない彼女は生きているかさえ曖昧だった。

 それでもラキアは一歩、神の領域に踏み込んだ。

「サラ」

 愛おしい、求めていた彼女の名を呼ぶ。

 長かった。別れてからやっと彼女が必要なことに気がついた。人に触れるのは怖いのに、彼女とともに生きたいと願った。

 因果を断ち切りたいと決意したが、それ以上に彼女の側が誰よりも居心地がよくて、そこに居たいと思った。

 神が許すのなら、もう一度やり直したい。

「サラ」

 もう一度呼ぶ。彼女は聞こえていないのか、全く振り返らない。

 それでもラキアは腕を伸ばした。握っていた剣が手から滑り落ちて甲高い音を立てる。

「帰ろう」

 懇願は風に浚われる。

「もう、いいよ。僕が償いをするから、サラは苦しまなくていいよ。ごめんね、一人にして、哀しい思いさせてごめん。謝っても謝りきれないけど、それでも」

 一緒に生きたい。

 その願いを口にする前に衣が擦れる音がした。漆黒のドレスを纏った彼女が虚ろな瞳でこちらを向く。

 何も映してはいなかった。彼の顔でさえ。

 ラキアは息を呑みこんだが、それでも歩み出した。もう一人にはしない。やっと見つけたただ一人の愛おしい人。傲慢でも我が儘でも何でもいい。彼女を闇から引きずり出す。

「帰ろう」

「…………何処へ?」

 彼女の整った唇はゆっくりと言葉を紡ぐ。

「私に行く場所はない。人を裂いた私に」

「僕も同じだから……一緒に歩んでいい?」

 君の償いを胸に抱えることもいとわない。だって本当に自分も同じだから。

 償いだから、因果だからと人を死に追いやった。今なら分かる、人の命を自らの手で終わらせたこともある。

 人の命の代償は重すぎる。魂が傷ついて悲鳴を上げて、怖くて逃げたくて、それでもサラとともに歩む道を選びたい。

 自分の魂を自分と彼女の贖罪のために使う。

 それはなんと傲慢で我が儘で偏屈で、それでもなんと幸せなことなんだろうか。

 彼女はラキアの問いかけに頷きはしない。ただがらんどうの瞳でラキアの方を向くだけだった。

 ラキアはまた一歩踏み出して、そこで止まった。手を差し伸べて微笑む。

 ライアの微笑みをしているのか、自分では分からない。それでもこの表情に嘘偽りはなかった。

 微かな音がして、ゆっくりと彼女の手が持ち上がる。

 その瞬間、世界が暗転した。

 自分が何をやったのかラキア自身は理解していなかった。それでも一瞬のうちに起きた出来事の直前、ラキアは確かにサラに触れた。

 全身の痛みに口から苦痛の声が漏れる。

「……ラキア」

 彼じゃない、自身の名を呼ばれる。

 薄く目を開くと彼女の瞳には自身の顔が映り込んでいた。

「大丈、夫……だよ」

 ここで死ぬわけにはいかない。繰り返してはいけない。

 痛む身体を叱咤してゆっくりと起き上がる。その身体をサラがしっかりとした指先で支えた。

 ラキアは天を睨みつける。

 その先には悪魔が数匹浮いていた。人間のような者もいればいかにも悪魔といった風貌の者までいる。誰もが二人を睨みつけている。

 悲鳴にも似た声が降り注いだ。

『裏切り者』、と。

(君達にとってはそうでも……彼女の居る場所はここじゃない)

 サラを庇うように彼女の肩に触れようとするが、それよりも先にサラは立ち上がった。真っ直ぐな瞳で悪魔を睨みつける。

「ここは、アナタ達の場所じゃない」

 サラの喉が息を吸う。

「ここは私と彼との領域です! 関係ない者は立ち去りなさい!」

 光を受けた彼女の瞳から一筋の涙が零れる。その瞬間、今度は世界が白く塗りつぶされた。




 どれ程の時が経ったのだろうか。一瞬の出来事だったのだろうか。

 起きたはずの身体は床に倒れ込んでいた。それでも頭はサラの膝に乗せられて抱きかかえられていた。

「……ごめんなさい」

 ラキアの頬に幾つもの光の雨が降り注ぐ。いいよ、の代わりに彼はサラの涙を指先で拭う。

 見上げたサラの顔はやはり美しかった。でも、それだけで惹かれたわけではなかった。神だからでもない。彼女が彼女だから、愛した。

 青空が眩しい。悠々と過ぎていく雲は穏やかで、いつまでもこの空間が続けばいいと思った。

 神の領域とも人の領域とも違う、偶然出来た二人だけの場所。

(花でも持ってくればよかったかな……)

 いつか見せられた彼女との思い出の中で、もう一人の自身は彼女に似た白い花を贈っていた。もう、彼女も自分も全然違う者になってしまったが、それでもその時と……その時以上に通じ合っている気がしたのだ。

 そうであってほしかった。

 でもまるでその考えは違うと否定するかのように、サラはゆっくりとラキアの頭から膝を外した。静かに傷ついたラキアを横たわらせ、立ち上がる。

「どうしたの……?」

「ごめんね」

 またひとつ光の粒がサラの瞳から零れる。

 サラは息を吐き出して、ラキアに背を向ける。真っ直ぐ見据えた先にはひとつのアーチがあった。その先はまるで時空が歪んでいるかのようにあるはずの先が視界に捉えられなかった。

 いつかの記憶が蘇る。

『ここからは駄目』

 彼女が制した先はきっとアクエの世界へと繋がる道ではない。

 人が通ることの出来ない先、彼女が……彼女と赤い瞳の神が知る領域。そこへサラは向かおうとしている。

「待って、いかないで」

 子供の駄々のような声が漏れる。みっともなかったが、何度も繰り返した別れはもう懲り懲りだった。

 それにサラが行く必要はもう……

「いかないよ」

 サラが振り返り微笑む。

「さいごに、やることしないと」

 彼女がまた一歩、神のゲートへと進む。

 サラの中では悲鳴と怒声が響き渡っていた。これが堕ちた自身への罰なのだろう。人々は神へ祈りを捧げている。

 どうか救いを。

 どうか安息を。

 絶対的な幸福を与えることは出来ない。それでも壊してしまった世界を救済したかった。

 それが出来る償いだったから。

 指先を絡めて天を仰ぐ。月はそこになかったが、麗らかな日の光がサラに降り注ぐ。壊してしまった世界の再生と、愛した人の幸福をその胸に抱く。

「どうか」

 我が儘な祈りを、理よ受け入れて。

 ゲートから風が吹き荒れ、金色の光を宿した薄紫の霧がサラを包み込む。

 優しい母の抱擁ではなかった。罰だと償いだと言わんばかりの息苦しさがサラに襲いかかる。それでもやめるわけにはいかない。

「どうか!」

 一人の人を愛し、愛のために狂気に堕ち、それでも人を愛した神の願いを、身勝手な神の願いを。

「叶えて」

 固く結んだ指先が温もりに包まれる。息苦しさで閉じていた瞳を開くと、そこにラキアがいた。

「一緒に」

 サラは頷いてラキアの手をとる。

 世界に魂を差し出す行為でも二人で一緒なら。因果は終わりに――

「ラキア、私、好きな人と一緒に居られて幸せだよ」

 誰かはこれをバッドエンドだと語り継ぐだろう。それでもサラの心は満たされていた。

 ラキアは微笑んで彼女の手を握り返す。

 何かが目の端で弾ける。

(終わりを)




 光が、七色の光を纏った雨が天から降り注ぐ。瀕死から救済された少女にも、傷つきながらも戦い続けた少女にも。

 役目を終えた舞台は崩壊し、その中で大地に命を捧げた子等は融けていく。

 物語はこれでお終い。

 吟遊詩人はそう紡ぐであろう。

 祈りは、聞き届けられた――――

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