第19話 壊レ
光があれば闇がある。この世界に生きているなら、その身体に持ち合わせるもの。なら、この器は光を宿しているのだろうか。
少女は考えるのをやめた。何かが心に突き刺さって剥がれ落ちないが、その答えは見つけられそうにない。
(私は終焉を告げるもの)
何かに誓ったのだ。この世界に蔓延る力なき者を殲滅すると。
それなのに。
(私は、告げることが、できない)
彼女に付いた蔓延る力なき者に虐げられたモノたちは、少女に向かって憤怒している。何故、その力を使わない、何故私たちに殲滅の命を下さないのか。
『我らだけで……』
『奴らに終わりを』
『神など所詮』
私は、神で。でも要らぬと力なき者に裏切られ。
失った。あの人を。大切なたった一人の、私の愛した人。
愛した人は――
羽ばたきが少女の背後でこだまする。騒ぎ続けていた悪魔は彼女に見切りをつけ、一人、また一人と自身の復讐のために、またその快楽の渇きを癒すために彼女の領域から去って行く。
それでいいと神は思った。この領域にいるのは自身と。
整った唇が彼のものを呼ぶ。一瞬だけ見えた影はもう思い出せなくなっていた。
その部屋に王はいなかった。空の玉座には誰も座らず、男達と神はその前に置かれた長机の前に立っていた。
扉が開き、そこに遅れてきたラキアと呼びに行っていたエウロパが部屋に入ってくる。
「客人が随分と遅かったな」
「すみません」
呼ばれた直後に来たのだが、待たせたのは仕方がない。反論する気などさらさらないラキアは素直に頭を下げた。いつも反論や嫌みばかりを零す相手にしていたガニメデは低く唸り声を上げて黙りこくった。
頭を上げたラキアは、そこに特徴的な頭がないことに気がついた。自分が最後だと思っていた彼はきょろきょろと辺りを見回す。不機嫌なガニメデにいつも以上に真剣みを帯びた顔をしているカリスト。イオは手に持っていた地図を広げている。赤い瞳と目が合った。
「アクエなら元の世界に戻したぞ」
最後まで一緒にいると言いそうな彼女なのに何故? と思うと同時に、危険のないところにいってくれるのならいいと思う自分がいた。危険に晒されるのも傷つくのも、もう自分だけでいいのだ。
その感情を読み取ったメキアラは嘆息を漏らした。
「アクエはお前と一緒に戦っているぞ」
「えっ……」
「いつまでもその考えだと次は頬だけでは済まないぞ」
あの時のビンタを思い出し、ラキアは叩かれた箇所を手で覆う。神を騙すことはできない。
「あいつはあいつの世界を救いにいった。お前も救うのだろう?」
そう、神に誓ったのだ。大衆ではないが、ただ一人を。それが大衆にまで繋がる救いを。
「はい」
「もう一度アクエに会いたいと思うのなら生きることだな」
その言葉にラキアは下唇を噛みしめた。
「よろしいですか?」
これ以上会話を悠長にしている時間などなかった。いくつもの村から『悪魔』の目撃情報が報告されている。実際、敵襲された地域さえ出てきている状態では一分一秒を争う。
イオは赤いインクで襲撃位置を書き留めていく。
「ここと……この地域が深刻かもしれません。兵の追加を。場合によっては天の主神自ら赴くことも考えてください」
「エウロパもか?」
腕を組み顎だけでガニメデに指摘され、エウロパは肩を震わせる。
「最悪、でしょうか……しかし王の守護を彼に任せた方が適切でしょう」
「こいつが暴走して王を斬ったらどうする?」
「それは、王に必死になって逃げていただきたい、と申すしかありませんね。まず、この城が襲撃された時点で私達の敗北と同義です。それよりも民間人の保護を優先してよろしいでしょう」
「冷徹なイオ様が民間人の命をお考えとは、なんか感化されたか?」
ガニメデは嫌な笑みを浮かべながらメキアラを見たが、彼女は完全に無視を決め込んだ。
「民間人の保護により王の信頼を勝ち取るがよいでしょう? 緊急事態だというのに現状、床に伏せていると知れ渡ったらどうなるか」
「……弱いな」
メキアラの一言で剣に手を掛けたのはカリストだった。その動きをやんわりとイオは手で制した。
「本気になるな」
「神といえど王の屈辱は許さん」
「屈辱なんて言っていない。お前らの手腕を見せてみろ」
「当たり前だ」
「こっちもいつでも出る準備は出来てるぞ。悪魔狩りなんて滅多に出来ないからな!」
指示を出せと仰ぐガニメデをイオは冷めた目で見ていた。暑苦しいと言わんばかりの顔にガニメデは片頬をひくつかせたが、どうにか耐える。
イオは付けた印を一箇所一箇所指でなぞっていく。それは悪魔の目撃・襲撃報告があった順番であったが……ラキアには別のモノにように見えた。
イオの指先が辿る道から目が離せない。
(僕は、この道を……知っている)
そう確信した瞬間、身体の中から何かがすり抜けた。その者はイオの指先と自身の指先を重ねながらその道を指し示していく。ラキアの脳内には高速に風景が変わり、心に懐かしさがこみ上げてくる。
何度も辿った道だ。その先にいるのは。
ラキアの足が自然と扉へと向いた。もうこの場にいる人間は瞳に映らない。
やっと思い出した。
「おい、どこに行く!?」
ガニメデがラキアの肩を掴んだが、その力を彼は邪険にするかのように振り払った。
「行かなきゃ、いけない場所を思い出しました」
「破壊しか生み出さない神の場所か?」
「サラは破壊なんかしない」
振り返り、叫びそうになる声を堪えながら呟く。人が起こした結果だ。彼女はただの少女で、誰よりも人に祈っていた。
「それがどこかは教えてくれませんよね?」
イオが地図を指先で叩く。ラキアは静かに首を縦に振った。
「僕は行きます」
「おい、戦闘になったらどうずる。俺みたいなのを連れた方がいいだろう? だから場所を教えろ」
ガニメデが好戦的に犬歯を見せながらラキアに突っかかる。彼が求めているのは力だ。その場に連れて行けばどうなるか、なんて子供でも分かりそうなものだ。
それにラキア自身、他者は入れたくなかった。
あの地はティニアとライアの場所だ。
「ガニメデ、それ以上は野暮ですよ」
探求はしないと示すために、イオは地図を丸く筒状にした。
「ラキア・ペルセフォネ」
赤い瞳が真っ直ぐにラキアを射貫く。
もう、迷うな。
神の信託を胸に、ラキアは駆け出した。
「追うか?」
「さっき言ったではありませんか、ガニメデ。野暮ですよ。それよりも」
ラキアのいなくなった部屋に再び地図が広げられる。
「神の場所を特定しているのか?」
「いえ、それよりも各地の援護でしょ?」
イオは何を言っているのだと言いたげにガニメデを一瞥してから、先ほど印を付けた村の一つに丸を付ける。それはどの場所よりも被害が拡大していた。悪魔も多く、報告の一つでは、人間に似た男が率いていたともあった。
悪魔は人間に似ている者もいれば、人に似ていない化け物もいる。確認されているモノは極少数で、空想上のものだと思っている民も少なくはない。
「悪魔狩りをしたいと言っていたガニメデはこの辺りで。大暴れしても構いませんよ。民をないがしろにしなければ」
「当たり前だ。まぁ、それは騎士達に基本任せるがな。最前線なら任せろ」
もう出ていいかと目で訴えられる。手はもう既に大剣の柄に掛かっていた。
ラキアを追うことはしないだろうと、イオは頷く。
「じゃあな、また後でな」
「騎士達を怒らせてはいけませんよ」
「追加兵は平民出で頼むわ」
「勿論ですよ」
「俺は貴族兵が多い場所か?」
「そうですね。この辺りで。傾向的に悪魔の襲撃が再びありそうな予感がしますので。エウロパは先ほど申し上げたとおり、城での待機でお願いします」
「イオ参謀は?」
何となくイオの言い方に何かをくみ取って、エウロパは質問を投げかけた。行き先の決まったカリストは黙って部屋から出て行く。これ以上の会話は時間の無駄と考えてのことだった。
イオの目は、青年に信託を下してから沈黙している神に向いた。
「何だ」
「メキアラ様も協力してくださいますよね?」
「神をも顎で使おうというのか貴様は」
「お願いをしているのですよ。勿論、神が傍観を貫くとあれば、それで構いませんが……貴女はそのような選択をする方ではないでしょう?」
アクエの優しい人というのを引用しているのか、それとも小馬鹿にしているのか、メキアラはイオの真意をやはり分からないと思いながらも、否定する気は起きなかった。アクエの時に腕を掴んでをすくい上げたのだ。今更、引く気はなかった。
傍観をするというのなら、最初からこの地には降り立っていない。
(何だかんだ言って、私も人が好きなのだな)
この男は別だがな、とイオを見つめ返す。彼はいつもの笑みを浮かべる。その笑みを作っただけの唇が動いた。
「メキアラ様は私についてきてください」
「は?」
どこでも駆けてやろうかと思っていたメキアラにとって、その言葉は少し意外だった。それでもイオであれば、その考えもありかとも思う。神を手中に、意のままに操る。利用できるモノは使え、使えぬモノは切り捨てろ。利用できるであろう神が目の前にいるのであれば嬉々として使うのであろう。
しかし、何故かメキアラは言葉に出すほどに突っかかるものがあった。
「嫌ですか?」
「……そうだな」
真意を引っ張り出すためにあえて疑問符を投げかけず、言葉を切る。目線だけをあえてエウロパに向けた。
彼は肩を震わせて、『王の様子を見てきます』と零し一礼して、そそくさと部屋を出て行く。
「力でも使いましたか?」
「いや? お前と違って素直なだけだ」
力は全く使っていない。それでも彼が自ら出て行ったことはありがたかった。いつもであれば、この男と二人きりなど耐えきれないが、今回は別だった。
神の力を使えばたやすいものだったが、メキアラは黙ってイオを見つめる。
彼は薄く笑みを作るだけだったが、観念したかのように息を吐き出した。
「何を聞きたいのですか?」
「聞きたいことなど何もない。ただ、お前はラキアを止めなかったな、と」
何よりも突っかかっているのはそこだった。メキアラから『堕ちた神の行方』を聞き出そうと躍起になっていたのは彼だった。それなのに、さっきの言動はラキアを庇ったともとれる。この男であればひっそりと兵を追わせているかもしれないが、その可能性は多分ないに等しいだろう。
(そんなことをしていれば、あの悲劇の二の舞か)
ライアを追って突撃した兵は意図的に隠された門を再び見つけ、その神を要らぬのもと断罪した。その時に唯一神の味方であった青年は邪魔者として排除された。神は復讐を誓いながらも力を失い、一時の眠りついたが、今回同じことが起これば、神は眠りにつかず、その怒りをさらなる力と変えてこの世界は終焉を迎える。
(歴史は新たな物事を刻みながら繰り返されるのか)
そして、無になった世界でメキアラだけが生きるのか。
瞳を閉じれば、迷いなく青年が駆けていく。その背後に人の姿は、ない。
「私は止めると思われていたのですか」
「自分の目の届かない範疇に行かせることなど良としないだろう、お前は」
「そうですね」
「追求せず、あまつさえ首輪も付けずに解き放ち……人の恋路に野暮だ、などお前の口から出るなど、熱があるのか?」
「体温、測ってみますか?」
「お前に触れたいとは思わないな」
「私もあまり触れてほしいとは思いたくありませんね。温度があるなど言われると少し複雑です」
「……お前は、人間だろう」
メキアラは自身の手を握る。神ではあるがその温度は感じられる気がした。とてもよく似た身体。彼の感情は死んでしまっているが、それでも身体の構造は人間と変わらない。人形ではないのだ。
それなのに、イオは自分は人間ではないと言いたげに……人間ではないと思っていたかのように、微かに、目を見開いた。
死んでいたはずの感情が露出する。
彼の心に潜んでいたおぞましい感情が、不意打ちのようにメキアラに流れ込んでくる。力は使ってはいない。しかし、見えてしまった。
激しい怒りの感情。
「……思い出しました」
観念したかのように彼の唇が動く。
「私は、過去にラキア・ペルセフォネと会っている」
メキアラの脳内でその時の情景が駆け巡っていく。炎と命乞いをする悲鳴。そして無残に切り裂かれる命。その中で怒りをたぎらせてイオは似合わない剣を握っていた。
とある村に通告された反逆者の疑い。それは仕組まれた誤報であった。
しかしイオにとってそれはどうでもいいことだった。それよりも大切なのは、復讐を果たすことだけだった。
とある男を一人、手に掛ける。ただそれだけ。
やっと見つけたと瞳をぎらつかせる。その男の剣の先には
少女が突き刺さっていた。事切れており、身体は全く動かない。
目的の男は何かを語った。声を掛けられている黄土色の髪の少年は怒りに支配された瞳を男に向ける。
イオは剣を握り直す。が、それが振われることはなかった。
目的だった男は瓦礫を振り下ろされ事切れた。あっさりとあっけないほどに。青年の怒りを買い、自業自得で。
血のついた瓦礫を手放して、青年は少女を抱えて炎の中へと消える。その頃にはイオの怒りも消えていた。
ゆっくりと歩を進め、自身の繁栄だけを夢見た男の末路を見下す。
『私が手を下すまででもありませんでしたね……』
「何か、視えましたか?」
確信をつく言葉にメキアラは頷く。
「何故でしょうね。復讐を彼が果たしてくれたからでしょうか? ラキア・ペルセフォネを信じてみようかと思いまして……おかしいですね。本当におかしい、これは誰の意思なんでしょうね」
「紛れもなくお前の意思だろう」
「そうですか。母を親友だと思っていた男に殺されて、その復讐相手もどこの知らない子供に殺されて、それが全て信じていた師のシナリオであったのなら、これは全て『イオ』の意思なのですね。嗚呼、おかしい。笑いたい気持ちです。今の私は……」
何なのですか?
唇だけが疑問を投げかける。答えてほしくはないのだろう。だから音声にはしない。
目の前の男が壊れていく。
メキアラは触れたくはないのに、その男の手をとった。
「何なのかを、確認したいか?」
「神が教えてくれるのですか?」
「……私は教えられない。お前は知るために、ラキア・ペルセフォネを放った。お前は……変わりつつある」
「……イオではない、何かに、ですか……」
「そうだ。だから、歩むのだろう」
痛いほどにイオの手首を握る。彼は払おうとはしなかった。
「お前は、本当は何になっているのか分かっているのではないのか? だから私についてこいと言っているのではないのか? まどろっこしいことはやめろ」
「……分かりたくないです」
一瞬だけ何かを言いかけて、イオは笑みを浮かべた。そのイオがいつものイオの顔でメキアラは息を吐き出す。
人が変わるというのは難しい。
それでも彼はもう既に踏み出している。変わる青年を止められなかったほどには。
「それで、私をどこに連れて行こうというのだ」
変わる様を神に見届けてほしいのだろうか。
(変わったこいつを、私は嫌いではなくなるのだろうか……)
そんなことは今は関係ないか、とメキアラはイオを見つめた。
彼は一瞬だけ、表情を無に変えて、神に背を向けた。その足取りにためらいはない。
「神様は人を助けてくれますよね?」
「乗りかかった船だ。でも、期待はするなよ。神といえども万能ではない」
「人間みたいな欠陥品よりはまともでしょう?」
欠陥品が誰を指すのか。メキアラはそれ以上喋るのをやめ、壊れかけの男の背を追った。