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第15話 欠け者

 さまざまな色が光り輝いてラキアの周りを舞っている。彼の瞳は固く閉ざされていたが、その光景は何となく認識できた。

(今行くよ……)

 急速に流れが変わり、そしてラキアは光の世界から吐き出された。

 ゆっくりと瞼を上げると、眼を見開いた二人の騎士がいた。突然現れたラキアに一人は血相を変え、鞘から剣を抜く。そのままラキアの首筋に向かって刃を振りかぶった。

 ラキアは目線を外さなかった。じっと立ち尽くして、騎士の意志に従うつもりだった。

(死ぬのは嫌だけど)

 きっとこの騎士の反応からして、彼は豹変した自身を知っているのだろう。ラキアにとっては記憶が曖昧だが、それでももう一人の自分がいると理解しているところはあった。多分彼は、仮面を被り偽りの笑みを浮かべるのと同じようなものだ。

 騎士の刃が寸でのところで止まる。

「先輩……」

「偉い奴連れてこい」

 刃を向けている者は低い声で後輩に援護を要請する。彼もラキアを斬るか決めかねていた。正直なところ彼を斬ることは、できない。

 ラキアは無抵抗なことを示すために腰から剣を外し、石畳みにそれを放り投げた。乾いた音が辺りに響く。

 それでも騎士は剣を下ろさない。

 当たり前か、とラキアは瞼を伏せた。

 彼にとっては王を護ることが使命であり、ラキアは反逆者だった。これから何が起こるか、最悪の場合…………

「やっぱり生きていたのですね」

 空気が変わりラキアは瞼を上げた。

 長い銀髪を揺らして男が悠々と歩いてくる。手には聖典、武装した様子はなく、またその術も持っていないような彼は唇に妙な笑みを浮かべていた。しかし瞳は全く笑っていない。その冷ややかな目線にラキアの背筋が強張る。

「イオ様」

「武器を下げてください」

 イオの温度のない声に先輩騎士は苦々しい表情を浮かべながら剣を鞘にしまった。一礼をして、イオに道を譲る。

「初めまして、ですかね。私は貴方を一度だけ拝見したのですが、覚えてないでしょうし」

「…………」

 喋れない。彼の纏う空気がラキアから言葉を奪った。

「お話しする場を変えましょうか」

 イオが手をあげると共に、背後で殺意が膨れ上がった。咄嗟にラキアは振り返ったがもう遅い。鋭い眼光が至近距離にあり、その手に握られた刃が牙を剥いた。

 ラキアは声もなく崩れ落ちる。

「カリストご苦労様です」

「言われたとおり意識だけ飛ばしたが、どうするつもりだ」

「とりあえず鎖に繋げましょう」




 鉄格子は脱走を拒んでいたが、ラキア自身出る気はそれほどなかった。あの時のように暴れれば、ここから一生出られなくなるのは明確だった。時が経てばいつか外の空気を吸えると膝を抱えた。

 足に付いた鎖が硬質な音を響かせる。

「案外大人しいですね」

 燭台の炎が揺れる。それと銀の盆に乗った食事を持ってイオが檻の向こうに立った。

「無意味ですから」

「そうですか」

 差し出された食事は囚人のモノとは思えないほどしっかりとしていた。イオの顔を見るが、彼は薄ら笑いを浮かべるだけで特にいって何もしようとはしない。一瞬、食事を投げ捨てられるのではと思っていたラキアだったが、静々と盆を自分の方へ手繰り寄せた。湯気の立つスープを両手で抱える。

「毒は入っていませんから安心して食べて下さい。でも、質問の答えによってはこの配給が途絶えるかもしれません」

(食事と交換……)

 気を失ってからどれほどの時間が経ったのだろう。地下の牢獄では日の光で現在時刻も計れない。それでも腹はこの状態でも空いていた。

 ラキアはスプーンでスープをかき混ぜてから、そっと口に付けた。

「今まで貴方はどこに?」

「もうひとつの世界、と言ったら貴方は信じますか?」

「面白い問い掛けですね」

 看守用の椅子に腰掛け、イオはラキアの表情を探る。スープの椀を抱えてうずくまる彼の顔は見えづらいものだったが、嘘を言っていないと分かると薄く息を吐いた。

「そこにメキアラ様はいましたか?」

「いました」

「貴方は天界にでも行っていたのですね」

「違います」

「おや、それは失礼」

 パンをちぎってスープに浸す。片足の鎖以外拘束具はなく、案外自由に動けたが、ラキアは牢屋の端から動かなかった。淡々と食事を口に運び続ける。

「ということは、こことは対になる世界がある、と。なるほど」

「…………」

「メキアラ様は何と言っていましたか?」

「メキアラさんが気になるんですか?」

「えぇ、神様であり、今この状態を打破できるは彼女だけですからね」

(メキアラさんがいても……)

 彼女はサラの行方を知らない。殺すことが出来たとしても、そこまでに行く術がなければ何も変わらない。

 皆が今、狙われている。

 神は失望した。

「それで、メキアラ様は何と?」

 仰いましたか?

 その問い掛けにはパンを口に含んで誤魔化した。彼女にサラを救う時間を与えられたなど言ったら、失笑されるのは明確だった。

 ラキアは目線だけを上げる。

(どっちにしても……)

 答えようと答えまいと。

 イオが椅子から腰を上げてゆっくりと近づいてくる。瞳孔を開かせ、鉄格子に掌を叩きつけた。乾いた音が牢獄に反響する。

「痛くないですか?」

「痛いですよ」

 にっこりと笑って鉄格子から手を離す。しかしその内面が笑っているとは到底思えなかった。感情が高ぶって音を鳴らしたわけでもない。彼の最初の警告だ。

「メキアラさんは何も言ってません。でも」

「でも?」

「この現象の原因は人間ですから……自業自得です」

 僕を含めた全ての。

(いや、僕が悪いのか)

 ティニア――サラが堕ちたのは人の憎悪に失望したからではない。ライア――愛する者が殺されたから。しかしライアがあそこに行かなければ騎士達が境目に辿り着くことはなく、また彼自身も殺されることはなかったのだ。

(僕が清算しないと)

「でしょうね」

 ラキアの答えに、イオは小馬鹿にするように息を吐き出した。愚問だったと言いたげに踵を返して椅子に戻る。

「神の逆鱗に触れる、実に人間らしいですね。彼らは愚かですから」

「貴方は違うんですか」

 まるで自分は人間ではないと言いたげなその言葉。

「さぁ、どうでしょう?」

「僕には人間に見えますよ。それとも……貴方も神ですか? それならメキアラさんに頼まずとも貴方自身でどうにかできますよね?」

「おやおや、挑発ですか? 残念ながら私は怒りませんよ。他の人だったら……ガニメデとかなら貴方の顔、少し変形しますね」

 イオは自身の頬を指先で叩く。

 ぞっとはしなかった。場合によってはそういった事態にも発展する。目の前の男は自身の手で下すのを嫌いそうな性質と考えると、多分騎士に命ずるのだろう。

『死なない程度に、苦痛を与えてあげてください』

 それが一体どれほどか。生ぬるいものではないだろう。命の焔が消えそうなぎりぎり、微かな灯火となるほどに、いっその事死なせてくれと懇願するほどの、苦痛。

 イオという『人間』はそれが出来る。

(多分僕は殺されない……)

 ラキア・ペルセフォネという存在は、粛清を下す神に対する脅し。

 口の中で乾いた笑いが漏れた。

 ラキアが死ぬ時は世界も死ぬ時。自身が世界の命運さえ握っている事実に何とも言えない感情が沸き起こる。こんなちっぽけな人間。

(死んでも世界は変わらないと思っていたのに)

 さっさと死んで詫びて、それで終わりにしたかった。しかしサラと出逢ってそれができなくなった。

 イオが持つ蝋燭の炎が少しばかり力を弱める。

 今さら自害する気はない。それは世界を……否、彼女を見捨てることだ。紅い神が断罪に何度その身を切り裂いても償えはしない。

(きっと僕は)

 彼女に逢うためにまた生を受けた。

 自惚れでも構わない。そうとしか思えないのだ。

 微かに頭を動かしてイオを眼に映す。

 彼は蝋燭に手を翳し炎を守ろうとしていたが、握りつぶそうとしているようにも見えた。

(早く消えればいいな……)

 両手を合わせて、空になった食器をイオに差し出す。食事がなくなったところで彼の審問は続くだろう。しかし光がなくなればさすがに中断せざるおえないと火を凝視するが、ラキアの願いを断ち切るかのように勢いは盛り返した。

「さて、次は何を聞きましょうか」

「答えられるのしか答えませんよ」

 知らないことの方が多い。例え拷問を受けたとしても、ラキアから聞き出せることなんて、正直なことを言えばほとんどない。

 白銀が射抜く。

「堕ちた神の行方は?」

「知りません」

 とうとうこの質問が来たか、と琥珀の瞳を岩の床に向ける。知っていたらこんな場所には来ていない。

(寧ろ、教えて欲しい)

 彼女がどこにいるのか。あの赤い瞳を持つ神さえ知らぬ情報を持っているのなら、どんな方法でも聞き出すのかもしれない。

 そこまで考えて、ラキアは首を横に振った。どんな手を尽くしても、なんて、目の前の男となんら変わらない。

「おや、どうしました?」

「いえ……」

「堕ちた神の行方を思い出したのかと思ったのですが……残念です。言いたくなった際にはいつでも吐き出して構いませんよ。早めに言った方がいいと思いますがね」

「……貴方が期待する情報なんて僕は持っていません。それは断言します」

「それでは一生ここで過ごすことになりますね」

「構いません」

 罪人の身として丁度いい。

 自分がここから出る時など、サラの行方が分かった時だけでいいのだ。その時には眼前の男も振り切って、彼女の元へ駆けていく。それが叶わない今は、このままでいい。

(それが僕の償いのひとつ)

 本当は探したい。見つけて闇を払ってあげたい。

 イオは瞼を伏せるようにしながらラキアのとある一点を見つめる。そして足音を響かせて鉄格子へと近づいた。

 燭台は簡素なテーブルに置かれたままで、イオの顔は逆光になり黒く潰れている。その中で、細い白銀だけがぎらついていた。

 怒りは感じない。ただ寒々とした目線がラキアを射抜く。感情というものを彼は持ち合わせていない。

「貴方は一生ここで過ごすことをいとわない、と……」

「時が来るまでは」

「その時は何時なんでしょうね?」

 口元に手を当ててイオはくすりと冷笑を漏らす。

「それまでに五体満足だといいですね。あ、それとも今すぐ欠損させますか? 足の一本ぐらいいいでしょう。貴方は一生このままの可能性がありますからね、不便はありませんね」

 イオの腕が鉄格子の間をすり抜けて、ラキアの右脚を指差す。冗談とは微塵も感じさせない声色。

 言わないとこうなるのですよ。

 知らないものは知らないと叫んだ人間は何人いたのだろうか。

 ラキアは口を真一文字に結んで沈黙した。何を言っても彼は遂行する。脚を切り落とせば下手に動けなくもなるのだから、利点しかない。

 サラの行方を吐けとは最早言っていない。これは宣告だった。

 ラキアは奥底で眠るもう一人の自分を呼び起こして睨みつけようとした。

「……っ!」

 息が詰まる。瞬いたのは冷徹な自分ではなく、紅い…………

 異物がラキアの中に流れ込んでくる。『彼女』は口を開いた。

『随分と手荒れな真似をする』

 似合わない微笑がラキアの顔に貼りつく。瞳は血を溶かしたかのような紅。

「お久しぶりですね」

『今すぐこいつを釈放しろ』

 一転して真顔で、メキアラはラキアの声色を使って言いつける。彼と長話をする気は毛頭もなかった。

 イオはその様子にいつもの笑顔を崩さない。分かっていましたと言わんばかりだ。ゆっくりとした動きで胸に手を当てて、軽く頭を下げる。

『鍵を使え。それともなんだ? これで大人しく私が出たらこいつは釈放しないつもりか?』

「……分かっておられましたか」

 心の奥底に追いやられたラキアは、少しだけ目の前の男にぞっとした。相手が神と分かっていながら欺く、その心は本当にないのだろう。

 欠け者が。

 そう、メキアラの声が胸中に響く。

『お前は狂気の光景を見た。それなのにこいつの足を切り落とすというのか?』

「片足ぐらい、いいじゃないですか」

 あえてイオの口調は明るい。

 胸がずきりと痛んだ。身体の節々が軋んでいる。

 メキアラがラキアの身体を使って奥歯を噛みしめる。この短時間でもう身体は限界だった。神の魂を人間の器に入れるなど、最初から壊れるのは分かりきっていた。

 イオは神すらも見下している。彼はやはり人間の枠にはいない。

 ラキアの指先がゆっくりとイオを指差す。

『こいつが少しでも傷つけば、この世界に未来はないぞ』

「あの神は過保護ですね。貴女も」

『私は私の考えで動いているだけだ』

「なら私もそうですよ」

『そうか……』

 刹那。

 光が瞬いて鉄格子が破裂した。

 イオが思わず顔を覆ったが反応が遅く、その頬に赤い亀裂が一筋付く。神からの怒りの一撃だった。

 力を使い果たしたメキアラはラキアの身体を解放する。彼は力尽き、その場に崩れ落ちた。

「本当に……直すこちらの身にもなってください」

 イオはやれやれと首を振ると、ラキアの身体を抱えて、その脚を掴んで……付いていた足枷を開錠した。

「神の言葉なら、仕方ありませんね」

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