第13話 因果
「とりあえず偵察が主だ。いいか、無理はするなよ」
刀に手を掛けながらザクロは――主にアクエに向かって――言った。
街はそれなりに今日も賑わっていたが、外れのここは静かだった。もう一度ザクロは装備を確認して、先陣をきった。
足元を取られそうな膝丈の草の中を掻き分けて進んでいく。
「ここって街の入り口とかじゃないよね? よくその不思議な場所見つけたね」
「裏口として昔は使われていたそうだ。たまたま探索と称して好奇心で踏み入った奴がいるらしい……全く、魔物の動きが把握できない今、そんなことする無鉄砲がいるとは……大人しくしていてほしいものだ」
「……何で、ザクロちゃんはこっちをがん見するのかな?」
「心当たりがあるのか?」
ザクロが言わんとしていることはラキアでも分かる。
それでも今はその無鉄砲さんにちょっとだけ感謝してもいいのかもしれないとも思っていた。何も情報がなかった頃に比べるとちょっとだけ前進した気がする。
(多分、その場所は何かが、ある)
何となくだが、どこか予感めいたものがラキアにはあった。
黙々と進んでいくと、それは忽然と現れた。
「城……だ」
ラキアの単語にアクエは首を傾げる。
元の世界にあった王城よりかは小規模だが、それでも城の形を成していた。突然と現れたと言っていたが、それにしては昔からそこにあったかのような風格が漂っている。
「この建造物に心当たりがあるのか?」
「多分これは……僕の世界のものです」
「じゃあ……これがラキアの世界と繋がる場所?」
「どう、だろう……」
可能性はないわけではない。寧ろありすぎるぐらいの場所だ。しかしラキアは中々に踏み出せない。
何か膨大なモノが待っている。
一瞬睨みつけられた気がして、ラキアの息が止まる。
(何をしているんだろ。真実を知るために行かなきゃいけないのに……)
睨みつけられた瞳の色は紅。多分待っているのは、あの人。
拳を固めて踏み出すと、ザクロの刃が煌めいた。低い唸り声はすぐに断末魔に変わり地面に崩れ落ちる。
「こんなところで魔物か……アクエ、お前達は建物の中へ入れ!」
「うえっ!? あたしも戦うよ!」
「足手まといだ、早く行け。この雰囲気だとまだまだ来るぞ」
好戦的な笑みが刃に映り込む。
狼に似た魔物はどこからか現れたか数が膨れ上がっている。退路は既に塞がれ、進むしかない。
「お前達が行く時間だけは稼いでやる。間合いから消えてくれたら存分に暴れてやるさ」
「そんなの無理」
「無理じゃない」
アクエの言葉に断定的な言葉がぶつけられる。それは自信に似た、確信だった。
「行くんだ。多分、この場所はあんたしか通さないつもりなんだろう?」
天上に座する神に向かって。
にっと口角を上げるとザクロは狼の群れに突っ込んだ。
ラキアは剣を抜きながら、それでも狼に振るうことなくアクエの手を取って駆け出した。
(せめて僕が死神にならないように……)
ザクロの死という選択を消すために、あの神に祈るしかなかった。
止まりそうなアクエを引きずりながら城へと飛び込む。その直後……入り口が消失した。
「ちょっと! ザクロちゃん助けに行くんだから!」
最後に見たのは敵を躊躇いなく屠る彼女の剣技。
アクエは壁となってしまった入り口を拳で叩く。
ラキアは城の内部を仰いだ。一本の螺旋階段。その最上階には彼女がいるだろう。
壁を叩き続ける彼女を置いて、螺旋階段に足を掛ける。天頂は光に包まれ天に続くと錯覚させる。終わりが見えなかったが、ラキアは駆け上がった。どれほど走ったか分からない、もしかしたらそれほどでもないかもしれない。息は上がり苦しかったが、それでも足は止めなかった。
苦しいのは自分への贖罪だ。
死を振りまいた自分は裁かれないといけない。
それでも今は、膨大な何かに縋らせて…………
ひとつでもその死を回避できるのなら、どんな苦痛でも受け入れよう。
足が縺れて螺旋階段から落ちそうになる。どうにか腕を伸ばして、落下だけは防ぐ。
(赦されない……)
不可避だと死が嘲る。
掴んだ指先に目線を向けると、息が止まった。
絵画が忽然と姿を現していた。気づかなかっただけかもしれないが、それにしても目を奪われてからの存在感は計り知れない。
中央に描かれている少女が誰かを彷彿させる。
哀しみと怒り、それに数多の死。少女は泣き叫んでいるのだろうか。腕に何かが抱かれているようだが、描かれた粉塵とタッチでぼやけている。
絵に触れてはいけないことは頭で理解していたが、指先は少女をなぞろうとする。
(……!)
触れるか触れないかのところで座する神に睨まれた。
螺旋階段を仰ぐと光と現の境界線に扉があった。剣を鞘に収め、一気に駆け上がる。
息を潜め、その扉に手を掛けると、扉はひとりでに開いた。
「……やっと来たか」
幻想だった瞳が、明らかな殺意を持ってラキアを射抜く。
ラキアは拳を握りしめ、声を絞り出そうとした。
「……っ!」
眼前に彼女の紅い瞳があった。何も発せられぬまま、胸を衝かれ倒れる。
「私は言ったな、繰り返したならその時こそ、私は本気でお前を殺る……と」
喉元にレイピアを突き付けられる。
「お前は何度でも同じことをやらかすのだな。その身に自ら罰を掛けようとも」
罰の単語が耳に滑り込んだ瞬間、脳裏が弾けた。封じていた記憶の一部が引きずり出される。
繰り返した人の死。どれだけ抗っても積み上がる死体。
痛い。心が裂かれている。
痛い。振り下ろさないで、とラキアは腕で顔を覆ったが、その腕に拳が振り下ろされた。叫びを上げないように奥歯を噛みしめる。妹は目を見開きながらそんな兄の様子を、息を潜めて見ていた。
「お前らなんて」
罵声を浴びせる大人の顔は見れない。心が壊れないようにその声を遮断するが、脳内には彼の口の動きが滑り込んでくる。
中身も外も壊されてしまう。
どうにか妹だけはと心の中で叫ぶ。
僕だけでいいのです。死神である僕だけで充分なのです。罪も罰もこの身で一心に受けますから、どうか、どうか――
人の死というのは重い。圧迫されて自身の死へと直結してしまいそうになる。終りは至極当然なのに、終幕によっては酷く人に何かを残す。
終わってくれないかな、と思ってしまう。自分が消えて、それが誰かが生かされるなら、それでいい。
それでも大人と子供の間を彷徨う彼の願いは叶わない。
呼び鈴が鳴り、大人は離れていく。
傍観していた彼の妻はうろんげな顔で少年と少女を見ていたが、何を思ったが少年の首根っこを掴むとクローゼットに押し込んだ。続けて妹も同じ暗闇に閉じ込める。
「引き取り手が決まったら出してあげるわ」
どこの引き取り手かなんて、問うのは無意味で彼は口を閉ざす。たらい回しにされ、呪いを振りまいて。行きつく先はもう……人ではなくなるのだろう。
震えている妹を抱きかかえると、クローゼットが閉じられ本物の暗闇が訪れる。
頭を撫でる。彼女の顔も体も傷は少ないが、それでも兄に対する理不尽な怒りの矛先を見ていて、中身はずたずたに切り裂かれていた。瞳を覆ってあげると、こくんと頷いて瞼を伏せる。
いつまでここにいることになるだろうか。もう出られないかもしれない…………そう思っていると暗闇の向こうから悲鳴が上がった。何が起きているの、とそっとクローゼットを開こうとするが、鍵が掛かっていて開く気配はない。外では複数の荒々しい足音と続く悲鳴。
悲鳴が近づいてきて、鍵の開く音がしたが、その直後、異様な音が響く。妹の盾になるように覆い被さりながら、暗闇を睨みつける。薄く開いた先にあったのは……紅で…………
あの時とは違う甲高い悲鳴に、ラキアは現実に引き戻された。
眼前には虚ろな瞳のメキアラ。ゆっくりと首を動かすとアクエが頭を抱えて首を振っていた。
「今の何!」
彼女にも見えてしまっていた。ラキアの奥底にある闇全てが、追ってきた彼女にも流れ込んでしまったのだ。
「こいつは……こういう男なんだ」
「なんで……」
「そういう風にこいつ自身が仕向けた」
未だにラキアの身体はメキアラの下にあったが、もはや抵抗することも声を出す気力もなかった。それでもメキアラの言葉だけは聞き逃すまいと聞こうとしている自分だけはいた。
(自分が自分でこの悲劇を生み出した……)
心の奥底が蠢いている。コウと会話しているときにみた幻影の赤と同種のもの。
何かがある。
「こんな風になるもの、ザクロちゃんが魔物に襲われるのもラキアのせいだって言うの!?」
「……魔物に襲われた? それはあの城の前にいた女剣士か?」
「そうだよ」
メキアラの口が弛緩する。そうだ、この人に縋ろうとしたのだ、とラキアは今さらながらに思い出す。しかし、もう遅いのだろう。ここに着いて、幻想を見せられて、かなりの時間が経過している。
メキアラの言葉を初めて聞きたくないと思った。その続きを言わないでくれと叫びかかったが、喉が引っ付いて上手く声が出ない。
「あいつは……帰した」
「……え?」
「神の御前で意味もなく殺すことはない」
「じゃあ、無事ってこと?」
「ああ、あれは偶然の産物だ。私が仕掛けたことではない。まぁ、こいつの中に宿るものがそうした可能性については知らないがな」
「……僕の中に、本物の死神がいるんですか?」
やっと出た声は酷く掠れて低かった。
「どうだろうな。しかし、お前のそれは確実に、因果の末路だ。お前はお前自身に罰と償いを与えた。それは重すぎるものだ。未だに終わらない」
「終わりはないってことですか……」
生まれた時から課せられていた。なら死するその時まで続くのだろう。
(誰も、僕は救えない)
「むざむざ死ぬか? ここで。神直々に裁きを与えるか?」
レイピアが下りてきて、心臓を撫でる。きっと彼女が振り下ろそうとしているのは、この蠢いている心の奥底。
首肯しようとした。もう、楽になりたいのだ。
「やめてよ!」
アクエの悲鳴が聞こえて、身が固まる。
神は感情のない瞳でラキアの奥底にある因果を見つめている。
「…………因果を知らずに死ぬとは、あいつに顔向けできないな」
メキアラの言葉に黒髪の少女の後ろ姿が浮かぶ。
(僕が知りたかったのは……何?)
ここまで懸命に来た理由。彼女は…………
『私、神様だったの』
神であった彼女と、今、目の前にいる神。
『ライア』
彼であって、彼でない名を彼女は呼ぶ。似ていても音の響きが同じでも、それは別物であったが……奥底は同じものだった。魂と形容されたものが酷く疼く。
「真実を見せよう」
メキアラの言葉は信託のように、ラキアの心に浸透して、そして魂を開かせた。
身が沈んでいくのを感じながらラキアの瞳は虚ろになり、そして世界は転化した。