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第13話 親

 人の反応にも村の雰囲気にも慣れてきた。

 少しばかりぎょっとした目を掻い潜り大通りをアクエと二人で歩く。森を抜けてすぐ、目的の村はあった。

 今まで見てきたどの村よりも大きい。アクエの集落もそれなりだったが、こっちは喧騒も絶え間ない。と言っても、治安が悪そうでなく住み心地は良さそうだった。

「……ザクロ・ザク……」

 アクエが呟いた名の主は橋の下の掘立小屋にいた。小さな家で場所も場所だったが、コウの家よりもしっかりとしていて綺麗な印象だった。

 アクエは一呼吸おいて扉を拳で叩く。

「こんにちはー」

 返答は、ない。

 人の雰囲気も感じられないその扉をアクエは再度叩く。

「こんにちはー、誰かいませんかー?」

「留守かな?」

 あ、と声を漏らして、アクエは自身の唇に人差し指を当てる。静かにしてのその合図に、ラキアは慌てて口を閉ざした。ひょこひょこ動く耳に手を当てて、アクエは歩き出す。

 掘立小屋の裏に回ると、裏で女が一人刀を振り回していた。川に向かって一心不乱に、まるでそこに敵がいるかのような剣幕だった。

 演武が終わってからの方がいいのではないか、とラキアは声を掛けようとしたが、アクエは気にせず笑顔のまま彼女へ向かっていく。

「こんにちは、貴女がザクロ・ザクちゃんだよね」

「なんだ小娘」

 艶やかな長髪がなびく。その髪から覗く瞳が鋭さを増した。

「今、何といった?」

「うん?」

 眉間に皺が寄りザクロの雰囲気を近寄りがたいものとする。それでもアクエはその気迫に気づいていないのか、頬に指を当て首を傾げる。

 刀が音を立てる。刃がアクエに向くかと思いラキアは身を乗り出したが、ザクロは静かに鞘に収めた。それでも眉間の皺は緩まない。

「何か言ったって、ザクロちゃんかどうかって聞いただけだよ。そうだよね」

「だから貴様、それはなんだ」

「何が?」

「その『ちゃん』だか余計な単語だ!」

 ほんのり頬に紅を宿らせて怒る姿にラキアは思わず笑いそうになった。

 彼女の剣幕の原因はただ端的な気恥ずかしさだった。

「だってちゃん付けで呼んだ方が、親しみがあっていいかなって」

「確かに私はザクロだが、そんな可愛らしいものは要らん。ザクロと呼び捨てで構わん」

 腕を組み凄んでみたが、アクエは気にしてない。寧ろ口がにたりと笑っていた。

「じゃあ、ザクロちゃん」

「話聞いていたかお前」

「聞いてたよ。いいじゃん、同年代同士仲良くしよ」

 手を差し出すアクエに、ザクロは溜め息をこぼす。何を言っても彼女がちゃん付けをするのは回避不可能だった。

「それで、こんな奴になんの用だ?」

 自身を指差しながらザクロは家へ歩き出す。アクエの雰囲気で敵ではないのは理解されたらしい。

「お父さんとお母さんの行方知ってるって話聞いて」

「お前の父と母?」

「サイバとヒイカの名前知ってるよね?」

 ザクロの瞳が見開かれ、彼女は後ずさった。

「師匠の……娘だと……」

「初めまして、サイバ・サヌとヒイカ・ヒヌの娘、アクエ・アヌです」




「それで師匠の娘がどうしたのだ」

 流石女子といったところか。部屋は外観どおり狭かったが、コウの家より何十倍も綺麗だった……物が少ないととっていいのかもしれないが。まず、コウの部屋と比べるもの失礼だとラキアは首を振った。

 ザクロは刀を支えに抱えながら言葉を紡ぐ。

「私ごときに用なんてないだろう」

「大ありなんだよ」

「そんなに重要なことか? 変な奴も連れているし、そいつ関係なのは分かるが」

 ザクロの切れ目がラキアを射抜く。口調とその瞳がメキアラを彷彿させる。

 一瞬だけ、紅い瞳が睨んでいる気がして、ラキアは思わず振り返った。

「どうかしたのか?」

「いえ……」

 やはり背後には誰もいない。

「怪しい気配があれば私が分かるからな。安心していい」

「それってお母さんやお父さんから教わったの?」

「ん? まぁそうだな」

 アクエの眉間に皺が寄る。いかにも不機嫌といったその姿にザクロは怪訝な顔になる。

 さっきまで仲良さそうだったのに、とラキアが狼狽する前で、アクエは唸り声を上げた。

「いいなぁ!」

 その大声にザクロは目を剥く。

「あたしもそれとか武術とか教わりたいよ! あー親のケチ、馬鹿! 一回帰ってきて教えろっての!」

「……師匠と会ってないのか?」

「会ってないよ、子供の時に置いてかれてかれこれ十年近くだよ!? 冷たいと思わない!?」

 唾を飛ばす勢いでアクエはザクロに捲し立てる。言葉が口から出るごとにザクロの顔が険しくなっていくのをラキアは見た。

 刀が静かに置かれる。

 ザクロは床に額を擦りつけて頭を垂れた。

「すまなかった」

「え?」

「……私にとって師匠達は親のように感じていたが、その裏では本当の実子が泣いていたのだな。それなのに私はその空気にひとり幸せを感じていた……すまない」

「ちょ、ちょっと、そんな風に言われるとそれはそれで困るんだけど!? ザクロちゃんは何も悪くないから! 悪いのは全部帰って来ないお父さんお母さんで!」

 アクエはザクロの頭を上げようと肩に手を掛ける。しかし力を入れられているのか、彼女の頭は簡単に上がらない。

「ちょっと頭上げてぇ! 申し訳ないと思うのなら親の場所教えて!」

「……師匠の場所か?」

 ちょっと向いたザクロの顔にアクエは必死で首を縦に振る。

「師匠の現在位置は黙秘なのだが……」

「じゃあ、許さない。しばらくここにいて毎晩『いいないいな』って耳元で囁く」

「…………」

「すみませんザクロさん。ちょっと事情がありまして……あ、ザクロさんでもいいんです。ここら辺で不思議な場所とか知りませんか?」

「不思議な場所……」

 アクエをなだめていると、ザクロは何か思い当たるのか顎に手を当てて思案する。

「少し他と異質というか、気配でもいいんです」

「……お前は他国民か?」

 ザクロの問い掛けに驚き一瞬身を固めたが、拳を握ると微かに頷く。

「師匠の娘と一緒だから警戒を解いていたが、かなり複雑のようだな。侵略であればここで斬り捨てるのも考えるが……」

「ラキアはそんなじゃないよ! ただ帰りたいだけなの!」

「帰りたい……それと師匠と何の関係がある?」

「あたしが……自分の親だったらそういう場所知ってるんじゃないかなって思っただけ。本当はただあたしがお父さんとお母さんに会いたいだけかもしれないけど……」

 小さくなっていく声に、ザクロは触れた刀から手を離す。

「他国民のお前は侵略を望まないのだな」

「まずこの世界の者ではありません。僕は帰って真実を知りたいんです」

 隠そうとした事実にザクロは初めて驚きを顔に貼りつけた。

「身なりが不思議だと思っていたが……すまない、少し試すようなことをした」

 刀を脇から少し離すと帯に手を添える。敵意する気はないという意思表示だった。

「師匠の場所はやはり教えられない……それでも、異質な場所であれば知っている。明日でよければそこへ連れていこう」

「ほんと!?」

「本当だ。その為に私はここに戻ってきたのだからな」

「うん? どういうこと?」

「最近になってこの近隣で突然現れたのだ。大岩をくり貫いたかのような建物らしきものがな。私の故郷が近くにあったから先行として私がここに派遣された」

「それって大抜擢じゃん」

 目を輝かせて見つめるアクエにザクロは頬を染める。

「案内するか否か、少しばかり決めかねていた。それにこんな時にお前らが現れたからな……関連性があるかもしれん」

「ありがとうございます」

「礼には及ばない。どうせ行かなければいけなかったところだ。ただ身の危険であれば早々で撤退もあることも考えてくれ。護るが、それでも師匠の娘が負傷したなどなれば私は顔向けできん」

「それは大丈夫。あたしだって自分の身は自分で護るよ。ここに来るまでの間、何度も魔物と戦ったんだから」

「……戦わないのが一番なんだがな」

 力こぶを作るアクエにザクロは嘆息を漏らす。いつものことにラキアは苦笑を浮かべた。

「とりあえず今日はゆっくりしていけ。と言ってもこの狭さだかならな……」

 ザクロはラキアへ目線を向ける。

「この近くに宿があればそっちに泊まりますよ。僕、男ですから……」

「宿はいくつかあるからな、馴染みのところで手配しよう」

「いや、そこまで気を遣わなくても……」

 袖を引かれてザクロは言葉を止める。向ければアクエが袖を摘まんでいた。

「どうした」

「その……あたしはここに泊まっていい?」




 アクエから見て、ザクロは見た目以上にお姉さんであった。布団はひとつしかないからと壁にもたれ掛ろうとしたザクロを、アクエは譲ってもらった布団に引きずり込んだ。

 目の前に艶やかな長髪がある。

「狭くないか?」

「全然! ごめんね、無理言って……」

「お前のことだから師匠の話でもしたかったのだろう」

 内心を見透かされ、アクエは枕に突っ伏す。

「私が知ってる師匠であればいくら話も構わないが」

「本当にザクロちゃん羨ましい……」

「……それは、すまなかった」

「いい。だから今からいっぱい聞く。かっこよくて強いお父さんとお母さん」

「……サイバ師匠は確かに強かったが」

 突然沈んだ声に反射的に枕から顔を上げる。ザクロの眉間は深い。

「お父さんがどうかしたの……」

「どうしても……お前の母の尻に敷かれている図ばかりが浮かぶ」

「お父さんってそんなに弱かったの!?」

「どちらかと言えばお前の母が強すぎたな……」

『ザクロ、お前は女だからと揶揄される時があると思うが』

 不意にサイバの姿が脳裏に浮かぶ。彼らの前方にはひとり佇むヒイカがいた。後姿でその表情は見えないが、いつもどおりきりりとしているだろうとザクロはひとり思う。

『私はヒイカ師匠のように強くなります。女だからとか、男だからとか、性別関係なく……私は私として強くなる』

 この道しか選べなかった者の定めだ、とザクロは黒光りする鞘をきつく抱きしめる。

 父も母も物心ついた時にはいなかった。廃屋で朽ちていくだけの時を待つ時にその者達は現れた。金色にもとれる橙の髪を持つ彼はそっと手を差し出す。

『生きたいか?』

 生への執着、ザクロはそれを諦めているものだと思っていた。しかし指先は差し出された手を掴んでいた。

 心の奥底にあった、生きたいという叫び。

 サイバは力強く頷き、ヒイカは優しく微笑んでくれた。

 一生傍にいようとあの時固く誓った。弱い自分はいらない。

『そうか……』

 サイバはそう言って固く口を閉ざす。

 何か言ってはいけないことを言ってしまったのか、と怪訝な顔をしながらサイバの顔を覗く。

『ヒイカは確かに強いな。どの女よりも』

『はい。私の憧れでもあります』

『でも……あいつは母親なのだよな』

『はい?』

『……いや、何でもない』

 口から思わず出てしまった言葉にサイバは首を振る。ザクロは覗き込むのをやめ、前方にいるヒイカの背を見つめる。暴かれたくことは言うまで何も聞かなかったことにすればいい。

 ヒイカの金糸が揺れている。

『母としていられない選択をさせているのは、女として以前に親として哀しいことか……』

 呟かれた言葉は風に攫われて、ザクロの耳に届く。

 目の前のアクエは聡明な瞳を輝かせてザクロを見つめている。

 ザクロは届いてしまった言葉を一人心の内に仕舞った。なかったことにしよう。彼らの知らないところで伝えられない。

(それに彼女は……きっと聡明だ)

 お転婆なところは両親の思うところではないかもしれないが、それでも見つめる彼女の眼は澄み切っていた。

 だから、ザクロも一目見た時警戒を解いたのだ。心の真意に嘘偽りないかは、悪意と死線の中で揺蕩っていたザクロにとって簡単に暴けた。自分から曝け出しているような人物だが。

 ちゃん付けで呼ばれるのは相変わらず不本意で慣れないが、それでもどこか憎めない。

 そう思われているとは知らず、アクエはにっこりと笑い、両親の話を催促する。

「明日に支障がない程度に話をしようか」

 まだ夜は始まったばかりだ。これから月が上り、部屋は月明かりに満たされるだろう。

(きっと途中で彼女は眠りに落ちる、それまで拙い話し手で悪いが……)

 語られるのは彼女の憧れる者達の武勇伝。弱い部分は隠して――――

 それが彼女のためか分からないが。今はそれで。




「親か……」

 ぽつりと呟いた言葉は宿屋の壁に吸収される。

 思えば久々の一人だ。人と距離をとっていたはずだが、いつの間にか誰かといるのが普通になっていた。妹を失ってからサラと逢うまでの日々がひどく寂しいものだったと今さらながらに感じる。

 それが普通で当たり前だった。

 人といるのは、怖かった。

 そして、ふと気づいた時には、今でも怖い。

 枕を掴む手を包む者はいない。もう子供ではないのに、今、誰かが両手で掴む幻想を夢見てしまう。

(誰なんだろう)

 今希うその腕を持つ者は黒髪の彼女なのだろうか、獣耳を持つ彼女なのだろうか。

 それとも――――

「待ってー」

 幼い少女が笑い声を弾ませながら父の背を追う。その姿をこれから起こることを知らないラキアは見つめていた。

 手も背も小さい少年の世界は、父と母ところころ笑う妹と町はずれにあった小さな家のみ。それだけで幸せだった。それ以上の幸せなど考えないほどに満たされていた。

 妹が脚をもつれさせ顔から転がる。草が数本空を舞うのを見つめたあと、ラキアは椅子から立ち上がった。

 しかし彼が着く前に父がその小さな体を抱き起した。サラは泣かず、父の腕の中でへへっと笑う。

『お兄ちゃんの出番、なくなっちゃったわね』

 母が朗らかに笑いながらラキアの頭を抱く。

『貴方は優しい子ね』

 歳が二桁になった時に聞いていたら違うと答えていただろう。ただの臆病者だ、と。自分は絶望しか与えてやれない、と。

 でもその時の彼は母の腕の中で肯定とも、言っていることがよく分からないともとれる首の動きをした。その動作に母はまた薄く笑う。

『貴方は貴方でいいのよ。好きに生きなさい』

 その瞳が少し哀しそうにも見えて……ラキアは小さな身体でめいっぱい母の胴にしがみ付いた。泣かないで、と。

 母の細い指先が小さな手と重なる。

「……お母……さん」

 短時間寝ていたような感覚なのに、窓の外には光が満ちていた。そして指先は仄かに温かいような……

 ゆっくりと上半身を起こし、頭を振る。願望が夢として具現化したのだろうか。

 掌をみたが、そこにはもう母の痕跡は見当たらない。

(最後の台詞は……)

 それが実際に言われたものか、それともラキア自身がすがりたい願いだろうか。

 自分の生き方に諦観しているはずなのに、欲してしまう。

 祈るかのように指を絡め握りしめる。それを抱えた膝の上に置いてラキアは瞳を閉じた。

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