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第12話 記憶の森

 草原にアクエの鼻歌が響いている。ラキアは剣に手を掛けて彼女のあとを歩いていたが、魔物に襲われる気配は皆無だった。良好な視界の中、小動物一匹いない。風は穏やかでアクエの顔は笑顔だ。

 またぐるりと見回すと、ラキアはアクエの鼻歌に耳を傾けた。童謡のようなそれは、今の状況を表すかのように明るく弾んでいる。

 上機嫌のままアクエは地図を広げる。コウ手製のそれは筆で荒々しく描かれていたが、理解はちゃんとできるものだった。

(この道をひたすら真っ直ぐ……)

 目線を上げて前を見据えると地平線に森が横たわっている。

「このちょんちょんって伸びた線、木かぁ……」

「何かあるの?」

 先ほどまでの弾んだ歌声が沈む。顔を覗き込めば、アクエの表情は若干戸惑っていた。

「うーん……まぁ大丈夫だと思う。ちゃっちゃっと進んじゃおう!」

 無理矢理自分を奮い立たせるかのように、アクエは拳を突き上げた。

 少しだけ早くなった背を追って行くと、間もなく森の入り口が見えた。予想より鬱蒼としている。

 見上げたアクエの顔は固いものだったが、両手の拳を強く握ると踏み出した。

「本当に大丈夫? 森、苦手とか」

「さっさと通過すれば平気平気!」

 苦手だとは言いたくない、といった気持ちは何となく察した。とにかく彼女も進んでいるんだとラキアは黙って歩みを早くする。

 しかし、進めば進むほど鬱蒼さは深くなっていく。足元も暗くなっていき心許ない。

 横を見れば、アクエの耳は完全に垂れ下がっていた。

 一旦休憩しようか、と提案しようかとも思ったが、そんな時間があったら進んだ方がいいかもしれない、とラキアは自問自答して、彼女の前に立った。足元に気を付けながら、またアクエの様子にも気を配る。途中、軽い段差に注意すると、アクエは予想以上に驚いて踏外しそうになっていた。

「怪我してない?」

「大丈夫大丈夫」

 手をとると彼女は森に入ってから初めての笑みを浮かべた。

 何となく心配でそのまま手を引く。アクエの腕が一瞬強張った気がしたが、彼女は払うこともせず付いてきてくれた。

(地図の感じ……そんなに長くないよね?)

 コウの地図を思い出すが、その絵に反して森はまだ終わらない。

 やがて梟が鳴き出した。

 少し開けた場所で薪を燃やす。天を見上げたが、木々が生い茂りほぼ星は見えなかった。

「見張りしてるから、寝ても大丈夫だよ」

「あたし、こういう森苦手なんだよね。特に夜……思い出しちゃう」

 ぽつりと呟いた声は爆ぜる音より小さかった。聞き逃さぬようにラキアは耳をそばだてる。

「聞き流していいよ」

「聞いてほしくなかったら聞かない」

「……うーん……ちょっと聞いてほしいかな」

 両膝を抱えアクエは焚火を凝視する。

「あたし言ったじゃん、ラキアみたいな人を過去に見たことがあるって」

 彼女が村から出る時に言われた言葉を思い出す。誰かに似ていると、その人を救えなかった、と。

「その人と会ったの、こんな森なんだよね。さっき歌ってた童謡あったじゃん」

 アクエは旋律を唇に乗せる。


 お日様の陰はこわいこわい

 行ってはならぬその暗がり

 鬱蒼と生い茂る森の奥こわいこわい

 子供を攫う魔がいるよ

 黒い魔がいるよ

 

 その詞は森に入る前まで紡がれていたものではなかった。明るく温かかった歌詞が一転している。

「これってさ、今になってみれば『魔物がいるから近づいちゃ駄目よ』って意味だって分かるけど……あたし馬鹿でさ、森なんて怖くないって飛び込んでいってさ」

 母に何度も言われ震えていた。ちょっとしたトラウマを克服すれば二人の元に行けるのでないかと考えた。

 浅はかだった。

 結果、黒い魔――狼に似た魔物に見つかった。

「本当に終わったと思ったよ。今だったらぶっ飛ばすけど、あの時はもちろん出来る力なんて無くて……その時、刀で斬り伏せてくれた人がいてね……その人がラキアと似てた」

 哀しい瞳を持った人。

 アクエは目線を上げた。真剣な瞳がこちらを向いていて、その奥にあの人の幻影を探す。

 きっと同じ色を持っているのだ。同じ黄土色だったが、多分孕んでいた色も同じ。

「あたしはその人のお蔭で今ここにいる。こんな森に来ると思い出しちゃうんだ。あたしは助かったのに、あの人は助からなかったって」

 ラキアが息を呑みこむ。その反応にアクエは慌てて言葉を紡いだ。

「その人は死んでないよ! ……多分。ごめん、分かんないや……」

 膝を抱えて同じ瞳から目を逸らす。

 彼は何も言わす消えてしまった。あの背からは死相が漂っていた。あの後『世から消える』選択肢をしてもおかしくなかった。

 ラキアも同じだ。いつ消えてもおかしくない。自らの手で……

「あたしは、あの人の本当の笑みが見たかった」

 貴方の本当の姿が見たい。

 薪が爆ぜ、ラキアの瞳が星を宿したかのように一瞬輝く。今、何を思っているのか、アクエの瞳では分からない。

「……ねぇ、消えたあの子のこと、好き?」

 ラキアの顔がばね仕掛けのように上がる。その瞳は驚きに見開かれていた。

(好き、か、どうかなんて分かり切ってるはずなのに)

 ここが夜の森でも焚火の前でもなかったら彼の頬は赤かっただろうか。

 ラキアは暗闇に目線をやって、瞼を伏せた。

「……ごめん」

 短く言ってアクエは顔を覆う。その手の中で『あたしは好きだよ』と口の形だけが気持ちを語る。

「眠くなってきちゃったから寝てもいい?」

 本当は眠くなかったが、これ以上何か言えば取り返しのつかないことになると、アクエはラキアの返答も聞かず横になる。

 森の中は梟の鳴き声と爆ぜる音しかしない。少し経って『おやすみ』と声が聞こえたが、もちろんアクエは返答しなかった。

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