第11話 可能性の推測
社や宮はあってもこの世界に『城』はない。それでも彼女のいる建物はまさしく城であった。この世界で唯一存在する石造りの城の最上階で、メキアラは自身の瞳と同じ紅い玉座に深く腰掛けた。足を組み、重い溜め息を吐き出す。
(あまり力は使いたくないのだが……)
気の中をたゆたっていたメキアラは先ほど目覚めたばかりだった。本来であれば完全な形で現世に戻ってくるべきだがそうとも云ってられない。
対となる彼女は力を取り戻してしまった…………
胸の奥に鋭い痛みを感じてメキアラは背を丸めた。浅く息を吐き出し奥歯を噛みしめる。
真っ正面から受けた彼女の力は凌駕していた。容赦も情けもない。当たり前だった。彼女の中には彼しか存在しない。
彼女が彼女として存在する理由。
胸を押さえつけながらメキアラは虚空を睨んだ。
あちらの世界で『彼』は存在を確認できなかった。欠片ひとつでさえ――ならこちらの世界しかないであろうとメキアラは魔法陣を瞳の中に発動させる。
最悪のパターンも一瞬だけ脳裏を過ぎったが、それはないと即座に捨てた。もしそうであればメキアラが気の中をたゆたう間に世界は終幕を迎えていたであろう。
まだ世界はここに在る。
彼女も葛藤しているのであろう。『サラ』という器の中で彼を愛し、そして世界を、人を愛してしまったのだから。
(お前は何度も愛するのだろうな)
網膜に映る現状の世界とともに重なり合ってあの日の情景が蘇る。血と人々の憎悪の中で彼女は叫んでいた。
愛が狂気になるのか、愛自身が狂気なのか。
(私には愛というのが分からない)
彼女の名を唇に乗せる。黒髪の彼女は博愛しか知らないメキアラにどういった言葉を掛けるだろうか。
幻想の中の彼女が言葉を紡ぐ前にまた胸が痛んで、メキアラは幻影の彼女を手放した。眉間に皺を寄せながら眼球に魔力を集中させる。
高みから覗いていた世界がひとつの家を提示する。
(やっぱりここにいたか……)
解術すると自分の意思に反して首がもたげた。このまま眠ってしまいたいほどの倦怠感に襲われる。
この話が夢であれと思ったのはいつか――――――
夢ではない、とメキアラは無理矢理に顔を上げ、真白い扉を睨みつけた。
「来るがいい。ラキア・ペルセフォネ」
「あー……これも駄目、こいつも…………うるせぇよ」
独り言をこぼしながらコウは持っている和紙を一枚一枚眺めていく。その顔は険しい。
「すみません……」
黙ってその光景を見ていたラキアはとうとう言葉を口にした。険しい顔がこちらを向き、彼の無骨で太い指がラキアの頬に触れる。
「これは俺がやるっていったからいいんだよ! 謝るぐらいなら感謝の言葉を紡げ」
指先が頬を伸ばしつねる。不明瞭な言葉で『ごめんなさい! やめて!』と叫ぶと怖い顔が近づいて威圧感を放つ。
「……ありがとうございます、コウさん……」
「よし」
指先が離れた頬は赤くなり鈍く痛んだ。
「お前は謝り過ぎなんだよ。もっとドーンと構えていいと思うぞ」
「そういうコウおじさんは謙虚さを持った方がいいと思うよ」
「その言葉そっくり返すぞ」
「あたしは大丈夫」
「何が大丈夫なんだ……いでぇ!」
アクエの本日二度目の蹴りが背中に入りコウはつんのめる。ちなみに一度目は今朝、全然起きてこないコウにしびれを切らしてお見舞いした。
(毎日のサイクルなのにコウさんもある意味すごいな……)
毎回痛いと叫びながらもその数分後にはけろっとしている。自分が食らっていたら小一時間は背中を丸めて痛みに堪えているであろう姿が易々と浮かび、ラキアは幻想の痛みに軽く震えた。
「それにしてもやっぱり駄目?」
「あぁ。誰もヒイカの行方は知らんだと。知っていても黙秘している奴はいそうだが……これであえてアクエの名前出したらさらに黙りだろうな」
「なんで?」
「何でって、長の娘危険に晒すことなんて誰もしたがらないだろ。いる場所なんて魔物の巣穴だろうしな」
唸りながらアクエは力こぶを作る。強いんだけどな……と思ったが、力不足なのも解っていた。両親が認めるほどの能力を持っていたら、今頃彼らの傍らにいたであろう。
「やっぱり地道に探すしかないね」
「そうだね……ありがとうございます、コウさん、アクエ」
「お? 謝る前に感謝の言葉が出たじゃねぇか!」
よくやったと言わんばかりにコウはラキアの頭を抱えてぐしゃぐしゃに撫でる。
「……それにしてもここまでやったんだから、そろそろ俺にヒイカを求める理由を教えてくれたっていいだろ?」
頭から降ってきた問いかけに、腕の間からアクエの顔を覗く。彼女もラキアの反応をちらりと見ていて目線が合った。言っていいなら言うよ、と目が語っている。ラキアは一瞬躊躇ったあと、静かに頷いた。
淡々とラキアとの出会いを語り出すアクエに、コウは姿勢を正す。
ラキアはその姿を当事者ながらぼんやりと見つめた。言葉が紡がれるごとに本当に言ってよかったのだろうか、と不安が宿る。
(コウおじさんは理由も知らずに動いてくれたから……)
自分が死神だと人を避けようとしているはずなのに、繋がりは増えていく。何もなければいい、と今はそれだけを思う。
「異世界ねぇ……」
顎を掻きながらコウはラキアのない耳を凝視する。
「ヒイカが知ってるとは思えないが」
「それでもお母さん達は世界をまわっているんでしょ? 怪しいところとか、それっぽいところ知ってるだけでいいんだよ」
「それにしたってあいつは教えないと思うがな……」
「何で?」
「なんでって……さっき言ったとおり危険だからだよ。ここ最近なんて、近隣で魔物の目撃情報まで出てる」
「あ、それここに来るときに思った。昔は人と魔物にも境目があった気がするのに」
「世界がおかしくなっているんかねぇ……なんかヤバめなもんがくるのか……」
『ごめんね』
彼女の最後が不意にフラッシュバックした。流れた涙は直前に見せた残酷な笑顔より如実に彼女の真意を知らせる。その直後にきたのだ…………
一瞬だけ、彼女の真の力を目の当たりにした。
全てを飲み込んだ深淵。闇よりも暗い、彼女が座す世界。
その直後に意識が途切れ、ラキアはこの世界に飛ばされた。
(もしかして……あの世界はもうない……?)
今まで行き着かなかった可能性にラキアは頭を振る。
彼を亡き者にしようとした愚かな騎士には制裁を下したが、世界にまでサラが手を掛けるだろうか……
サラはきっと世界を愛していた。親友もいた世界をむざむざ葬りされるとは思えない。彼女は、優しい、人なのだから――――
「ラキアーどうしたの?」
猫目に覗き込まれて、ラキアは笑顔を繕う。瞳に映った自身の顔はいつもよりも自然だった。
(悪い詮索はなしにしよう)
世界がなくなる過程で自身が飛ばされた可能性、繋がっているからこそ彼女の影響力で魔物が変異している可能性――全てのあるかもしれないことは結局自分の空想でしかない。
真実は、まだ知らない。
解っているのはサラが神という遠い存在であること、ただそれだけ。
「お前には悪いと思うが、俺はこの場所を受け入れて住んでいくのもひとつの手だと思うぞ」
ラキアの胸中を見透かしたかのようなコウの言葉に、彼は首を横に振る。
「僕は知らなきゃいけないことがあるんです。その為には戻らないと……」
勇者だとは思わないが、それでも彼女を救済するのは自分しかいない気がするのだ。世界を救うなんて大それたことは言わない、言えない。
「行かないと」
思いが口に出て慌てて口元を覆ったが撤回はできない。
「随分と大変な人生歩んでるんだな」
「へらへらのコウおじさんとは違うんだから」
「すぐに俺と比較すんなっての! ……まぁ乗った船だ。なんか吉報が入るまで粘」
まるでコウの言葉を遮るかのように羽ばたきが聞こえ、一羽の鳥が窓辺に降り立った。右足に括り付けられた和紙を目敏く見つけ、慌てたように外すと鳥は一声鳴いて羽ばたいていった。
文字を追うコウの瞳が開く。
「まるで仏か何かが見てたようだな。それなりの吉報だ」
にたりと笑ったコウの持つ和紙をアクエはぶん取る。
「ヒイカたちの行方は知らんが、最近までそこにいた奴が今故郷に帰っているだとよ」
「よ、ぼうず」
背中を強く叩かれラキアはつんのめった。加減を知らないのは家系だろうか。吐き出した息で軽くむせながら振り返る。
「準備はできたのか?」
「あまり物持ってないので終わりました」
明日の昼頃にはここを発つ。死別ではない別れ。そうであってほしいとラキアは思う。
纏わり過ぎて直結してしまう。そうでなかったこともあったはずなのに――――彼女との旅の間はそうだった。
あの時の事は最近のはずなのにひどく遠くに感じる。居心地がよかった。ずっと一緒にいたいと思った。
コウの顔を覗き見て、アクエを彷彿する。彼女も優しい、居心地を与えてくれる人だ。
しかし何かが違う気がした。
一瞬だけ浮かんだ赤に背筋が凍る。妹を失った時に見たそれと近かったが、もっと根底にへばりついて剥がれそうにないそれは見たことがあるような気がした。思わず胸元を触り、手のひらを凝視する。
赤はその手に付着していない。それでも感覚は生々しく、まるで手が染まっているようだ。
「どうした?」
コウの言葉に我に返り、ラキアは緩く首を振る。
「まだ仲直りしてねぇのか」
「たぶん一生赦せません」
唇からこぼれた言葉で『僕』が形成されたのだろう。ひやりとした背筋の向こうで、冷眼している。
「お前さんのそれは病気だな。ま、仕方ねぇ」
コウの大きな手が冷えた背中に触れる。
「でもな、アクエは巻き込むな」
初めて吐かれた拒絶の声色に、反射的にラキアは向く。真っ直ぐな瞳に射抜かれ身が竦み上がった。
「俺はこれでもあいつの叔父だからよ、なんかありゃ責任をとらねぇといけねぇ」
「……分かっています」
「おうおう、そんなに責めている訳じゃねぇぞ。親父が外に出したんだ、多少はお前を信用してるんだろ。でもなぁ……あいつは優しすぎるから変な深みにはまらなければいいなって話だ」
コウの言葉に目線を外しながら微かに頷く。アクエの優しさは何度も感じている。ラキアがこの世界に来なければ、彼女が心を痛めることはなかっただろう。
「何にせよ、あいつも色々とあるみてぇだから最後まで相手よろしくな」
返答ができずラキアは瞳を伏せる。
コウの右腕が唸り、彼の肩をまた力強く叩いた。
「またな。今度は婚約報告でもいいぞ」
冗談で言っていることは分かる。最後ぐらい陰気くさいのはなしにしようという心意気だ。からからと笑い飛ばすコウにできる精一杯の恩返しはこれぐらいしかない。
ラキアは瞼を持ち上げ、真っ直ぐ見つめて、偽りの仮面ではない本物の笑みを浮かべた。