第11話 追う者達
「うぉりゃっ、と!」
アクエの掛け声とともにラキアの頭上を陰が跨いでいった。彼が振り返ると打撃音が響き渡る。
頬骨を打ち砕かれた猿のような魔物は、次の瞬間連続する殴打を浴びせられる。
アクエは体術を得意としていた。幼少の頃に母から教えてもらい、それ以降は我流で磨いている。
蹴りがわき腹に入った時を見逃さず、ラキアは彼女の足を掻いくぐり、同じ箇所に傷を付ける。猿とは思えぬ丸太のような腕を剣で受け止めると。
「頭下げて!」
アクエの足が髪を掠め、猿顔を吹き飛ばした。魔物はそのまま地面を転がると首の骨を折り息絶えた。
「僕、お荷物かな……?」
「そんなことないよ。ラキアかっこいい」
「アクエの方がかっこいいと思うよ」
「そこはかわいいの方が嬉しいんだけどな」
声は否定的だったが、彼女は頬を掻きながら笑った。脳裏に一瞬だけ、稽古をつけてくれた母の後ろ姿が映る。
魔物から牙だけ頂戴して、両脇を腰まで伸びた草に囲まれた道を進むと茅葺き屋根が遠目に見えた。
「近いな……」
不穏な声色に彼女の顔を覗くと、アクエは眉間に皺を寄せていた。
「もしかして、魔物?」
「うん。こんな近辺にいるなんてちょっとおかしいかも」
進めばどんどんと建物は大きくなり、アクエの集落までとは言えないが、そこそこの村が姿を現す。
「これぐらいの距離なら、子供がお使いで木の実をとりにいったりするよ。そこに魔物がいるなんて、やっぱりおかしい」
異世界の感覚は分からないが、それでも子供がいるところにあんな化け物がいたら大変なのはラキアでも理解できた。おちおち外にも出せない。
「ま、とりあえずラキアの帰り道探すのが先だよね。あたし一人じゃどうしようもない話だし」
少しくたびれた門をくぐると魔物の話もお開きとなった。迷いなく進んでいくアクエにそっと耳打ちする。
「頭に何か被ればよかったかな?」
「気にしない気にしない」
一瞬だけぎょっとした目線に俯きながら男の前を通過する。
やがて村の奥に少しおんぼろな家が一軒あった。周りには建物がなく雑草が放置され伸びている。アクエの目的地はここらしい。
さすがに人は住んでいるよね、と訝しげながら扉の前に立つと、アクエは遠慮なく引き戸を開けた。
「コウおじさーん、いるー?」
アクエの声が建物に反響し、数分後にやっと奥から物音がした。ボサボサの髪を掻きながら頬から顎に掛けて傷のある男が千鳥足で廊下を歩いてくる。
「……あ、誰だ?」
第一声に濁点が付きそうな柄の悪さ。近づくと分かる酒の臭い。裏家業のような出で立ちの男にアクエは抱きついた。
「コウおじさんお久しぶりー!」
「……あ? うん? …………お前アクエか!」
垂れていた灰色の耳が立ち上がる。
「そうだよ。でも、おじさん昼間からお酒なんて駄目だよ」
「……妹みたいなこと言うなよ」
頬を掻きながら踵を返すコウは、足下に転がっていた酒瓶を蹴り飛ばした。
「わざわざ来たってことは訳ありか? ま、何となく予想はつくけどな」
振り返ったコウは親指を立てる。
「よく親父は結婚を認めた、いでっ!」
「予想大外れですー!」
草履を脱いでいたアクエはコウの太股を蹴り飛ばした。
「……じゃぁなんだって言うんだ」
蹴り飛ばされた箇所が案外痛くコウは悶えながらも言葉を紡ぐ。アクエに習い靴を脱いでいたラキアをやっとまともに見つめ、おかしな箇所に気づいた。
「お前耳はどうした!?」
「それ関係で訊きにきたの」
「俺は医者じゃねぇぞ」
「そんなの知ってるよ。とりあえずあたし達は客人だからお茶出してね。長旅で喉がカラカラだよ」
「……酒ならあるぞ」
「ちょーろーに言いつけるよ」
ぼそりと呟かれた言葉にコウは髪を逆立てると慌てて外へ駆けていった。
「さて、コウおじが帰ってくるまでにちょっとは綺麗にしておきますか」
「で、何だって言うんだよ。俺は見てくれどおりの野郎だぞ。お前らが欲しい回答を持ってるとは思えねぇ」
転がっていた酒瓶を脇に避けてつくった空間に三人で座る。わざわざ買ってきてもらったお茶に口づけないのも悪いとラキアは顔に出さないようにうわずみだけ飲んで置いた。コウの横には新たな酒瓶がある。
「それは分かるけどね」
「ならなんで来た? 結婚でもないんだろう?」
アクエは顔を赤らめて、コウの肩をおもいっきり叩いた。
「いってぇ……手が出るところが母親そっくりだな……容赦ないのも」
「コウおじさんが変なこと言うからだよ」
「……僕にアクエはもったいないと……思います」
小さく呟いた言葉にコウはにやりと笑い、肩を組んで囁いた。
「おうおう、それは間違いってもんだ。いかにも優しそうなお前さんがアクエの婿だなんて、アクエにはもったいねぇいてっ!」
「なんかすっごく他意がある気がするんだけど」
「俺は、お前の尻に敷かれるかもしれないこいつのことを心配してるんだ!」
「そんなことしないから! 献身的に尽くすよー」
「お前の母親の事例があるから信用できません」
ひどーい、とこぼしながら頬を膨らませるアクエだったが、ラキアの目にはどことなく嬉しそうにも見えた。
「お母さんのこと好きなんだね」
ぽつりと呟いた声にアクエはコウを殴る手を止め振り返る。見開いた目を緩ませて口角を上げる。
「うん。だってかっこいいんだもん」
「ほらそこで『かっこいい』が出る時点でダメじゃねぇか」
「かっこよくて強くて優しい! どう?」
「前二つがだめだな……で、優しいについては俺は思わん」
「それはコウおじさんがこんな生活してるからでしょ。もうちょっと身なり整えればかっこよくなるかもよ? あとしっかり働けば」
「さすがに働いてるぞ! ただの飲んだくれ野郎だと思うな。これでもヒイカに匹敵するほどの腕っ節の持ち主で魔物をバッサバッサと切り倒して」
「あ、長くなりそうだからいいや」
「聞けよ!」
「アクエ、ヒイカって?」
「あたしのお母さん」
「お前も気になったのはそこだけか!」
コウはふてくされた顔を隠そうともせず酒を煽る。
ラキアの頬が緩んだ。
「コウおじさーん、ラキアにウケたよやったね」
「漫才やってんじゃねぇんだぞ」
「ほいほい、で、本題ね」
柔らいだ空気がアクエの真剣な表情に張りつめる。コウも初めて真顔になり酒を置いた。
「ヒイカお母さんの行方知らない?」
「あいつの? なんでまた……」
「世界を渡り歩いてるお母さん達なら、あたし達の疑問に答えられるかもしれないの」
「やっぱりこいつ関係なんだな」
顎でしゃくられラキアの背筋が伸びた。
関係なんてものじゃなく原因だ。ラキアが来なければわざわざ叔父のところなんて来ない。本当に婚礼のための挨拶などでなければ…………
アクエはまず長老が喋ったこの世界とラキアの世界を繋ぐであろう場所を目指そうと提案したのだった。それについてはラキアも思っていたことですぐに二人の意見は一致した。そして彼女はさらに提案したのだ。
自分の両親を捜さないか、と。
アクエの両親はこの世界に蔓延る魔物を討伐するための団を組んでいるらしい。アクエもあまり詳しくは知らないが、長老の元に預けられてからしばらく経った後、ずっと帰ってこない親に怒り、駄々をこねて一度だけ訊いた。
『お前の親は子に対しては酷いものだが、世界にとっては救済だ』
うららかな日差しがさす縁側でアクエは長老に頭を撫でられる。彼女は赤く腫れた瞳で見上げた。
『あやつらは個より大衆を選んだ。アクエ、お前は親を恨むのではなく誇りに思え』
母の瞳も父の背も覚えている。それは覚悟にも似て、気高いものだった。それに対して今の自分はなんと対極だろう。
アクエは濡れた目尻を拭う。稟とした表情を浮かべ頷いた。
「あたしの親の居場所一番知ってそうなのコウおじさんなの。お願い教えて!」
アクエの頭を下げる姿にラキアも慌てて習う。
コウは罰の悪そうな顔で頬を掻いた。
「ぶっちゃけると今いる場所は知らねぇんだ……ごめんな」
「そっか……」
「でもぜってぇに生きてるから心配するな。あいつらが簡単にくたばるとは思わねぇ。今もどこかで魔物をぼこぼこにしてることさ」
「あたしもボコってきたよ。お母さんに近づいてるかな」
「恍惚に浸ってるところ悪いが、それは悪い例だ。何でも母ちゃんの真似をすんな」
虚空を見つめながらぽつりと呟いた言葉にコウは腕を抱えて身震いした。
「お前らすぐに出るのか?」
「コウおじさんのあとは手探りで旅するだけだからね、どうしようかラキア」
「俺の少ない伝で聞き回ってやるか?」
アクエが脇に追いやった酒瓶をひっくり返しながら、くたびれた紙束をコウは取り出す。
「ありがとう! コウおじさん大好き!」
思わず背後からアクエはコウに抱きつく。想定していなかったコウはそのままバランスを崩し、異様な音を立てて酒瓶の中に倒れた。
月光が部屋を照らしている。アクエは起き上がり、その金色の光を仰いだ。満月はいつもより大きく見え、幻想空間を眼前に晒しているようだった。
「……!」
一瞬だけ、月光の中に誰かを見た気がした。髪の長い女性……だろうか。指を絡ませ祈りの形をしているのにつられて、アクエの指先もその形をとる。息を潜めて朧気な人影と向き合っていたが、はっとなり急速に現実に引き戻される。時間でいえばそれは秒であろう。しかし長い時間に思えてアクエは少しだけ目眩を覚えた。
それでももう一度祈りを捧げる彼女を見ようと月光の中を覗いたが、既にその姿は影も形も見えなかった。その代わり――
「コウおじさんうるさい」
幻想空間が途切れると途端に野暮な現実が襲ってきた。耳を垂れ、少しでもコウのいびきを遮断しようと……
「……ラキア?」
中途半端に垂れた耳をぴんっ、と立ててそばだてる。雑音の中で異様な声を聞いた気がした。苦悶する、息苦しい……
アクエは立て付けの悪い引き戸を無理矢理開ける。気のせいではなかった。今度は現実で起きている、異様なこと、だった。
「ラキア!?」
布団を引っ剥がしてラキアの状況に目を剥く。拳を握りしめ一呼吸置くと……平手に変えて頬をひっぱたいた。
自身の首に絡め付いた手が弛まる。
「ラキア、起きた……?」
薄く開いた視界に入ってきたアクエの表情にやってしまったんだ、とラキアはぼんやりと思い、直後に咳き込んだ。付いてしまった痕を隠す意味はもうない。
見られてしまった。罪悪感は時々爆発して、無意識のうちにやってしまう。いつもなら軽く絞めたところで目を覚ますのだが、今日はアクエが起こしてくれなかったら命が危うかっただろう。咳き込み続けながら、叩かれた頬を押さえ上半身を起こす。
「何してるの」
彼女の低い声に返答はできない。怒っているのは明確で、取り繕わないといけないのに言葉は出ず、咳がまたひとつこぼれた。
「それやって楽しい?」
「…………」
楽しいわけがなかった。ただ苦しくて、子犬のように震えながらもどこかで諦めている自分もいて、何を求めているのか、どこに行きたいのか、漠然とした恐怖に飲み込まれて分からなくなる。分かっているはずなのに、求めているのは明確なのに。彼女が指の先をすり抜けて消失する。
そうしないために動いているのに、心が諦観している。結局はいつもそうだ。
「ごめんね、痛かったよね。布濡らしてくる」
アクエの方を向けない。ごめんねもありがとうも紡げず唇は乾いていく。
「……何、やってんだろ僕」
「本当にな」
この家の主が騒動に目を覚まし戸口に立っていた。
「おめぇさんは何だ? 痛いのが好きなのか」
返答をしたくなくて、代わりに首を横に振る。
「そうだよな、いてぇのは痛いだけだな。俺もヒイカと喧嘩で蹴る殴るしたがいてぇだけだしみっともねぇ痣はできるし、親父には怒られるだけだし何も得しなかったな」
コウはしゃがみラキアを覗きこむ。
「お前は何で自分と喧嘩してんだ?」
親子で同じことを指摘された。
開ききり揺れる瞳孔で、ラキアはコウの背後に佇む自分を捉えた。まだ幼い、両親を失った直後の自分だ。
彼の唇が弛緩して言葉を紡ぐ。
音が聞こえない……
暗く影を落とした瞳に罵られていることだけは理解する。
その『彼』を入ってきたアクエがすり抜けかき消した。黒い靄が辺りに漂ってアクエへと伸びたが、彼女に触れる前に影も形もなく飛散する。
「ラキア、はい手拭い。コウおじさん起きてたんだ」
「アクエのドカドカとした足音で目覚めちまった」
「それいうならあたしだっておじさんのいびきで目覚めちゃったんですけど……! どうしたらあんな地鳴りみたいな音出せるわけ?」
「俺だって聞きてぇぞ、どうしたらお上品に歩けるんだ? ほら歩いてみろよ、ドカドカズガズガ」
アクエの太股に触ろうとするコウに足蹴りが入る。
「この酔っぱらい変態おっさん!」
「おっと、あぶねーあぶねー……俺は寝るから邪魔すんじゃねぇぞ」
「しないから早く退散してー」
アクエにしっしっ、と手を振られコウはわざと足音を大きく鳴らし部屋から出ていく。
ラキアは触れないでいてくれる二人の姿をぼんやりと眺めながら手拭いに目線を落とす。
「ほんっとに失礼しちゃうなぁ、だからいつまでも独身なんだよ」
「でもかっこいいよね」
ぽつりとこぼした言葉にアクエは『えー』と言わんばかりの表情で振り返る。
「もしかして……ラキアってコウおじさんみたくなりたいの……? やだ! おじさんみたくむさくて髭で飲んだくれのラキアなんていやー!」
想像してしまった姿にアクエは両腕を抱き抱えてこの世の絶望とばかりに震える。
「さすがにあの身なりは無理……かな?」
「やめようラキア、元のいい素材壊しちゃうから。大丈夫、ラキアは今のままで大丈夫、というより今のままでいて!」
両肩を掴まれ力説するアクエにラキアはがくがくと頷く。コウの姿をリスペクトしたらアクエが卒倒するのは目に見えていた。あの姿はコウにしか似合わないのは分かっていたし、ラキアがかっこいいと呟いたのは中身だ。ぶっきらぼうで乱暴に見えて、優しく細やかである。余裕がなくて人を傷つけてしまう自分とは違う。
(なりたいけどなれないな……)
元の素質がそうさせる。自分はあの人生を歩んで歪んでしまったとラキアは嘆息を漏らす。残ったのは虚無の笑みだけだった。
そっと口角に指先を当て、きゅっと上げる。
とても歪な笑みだ。おぞましい。
すとんっと腕を下げると笑みの仮面も落ちたようだった。
「……陰気くさい顔だな……」
ぼそりと呟かれた声に顔をあげると真剣な猫目に映る自身と目が合った。
アクエは手に持っていた手拭いを放り投げるかのようにラキアに手渡す。
「これで顔拭いて。あれだったら体も拭いていいから冷や汗すごかっただろうし」
「……ごめんね」
「コウおじさんみたいにならないなら許す」
アクエは踵を返して、コウが寝ている部屋の引き戸に手を掛ける。
「こっちこそ、ごめんね」
謝罪の言葉は先ほどこぼした言葉にだろう。全くその通りだとラキアは思う。だからアクエは謝らなくていい。
「……いつかラキアが心から笑えるようにあたし頑張るから」
部屋の向こうはまだ暗闇に包まれている。そこへアクエは足を滑らせ、引き戸がまるで二人を分かつかのように閉じられた。
「……あー、これでラキアにばれたかも」
ひっそりと心の奥底に燻る感情が頬に宿り、アクエは顔を覆い引き戸に背を預けてしゃがみ込んだ。
口に出してしまった言葉は彼に対する気持ちしか含まれていない。隠せない性格が裏目に出た。
(でも、あたしはラキアのこと本当に好きなのかな)
膝を抱えて、引き戸に頬を押しつける。向こうでラキアは寝ただろうか。
(あたしはラキアを通してあの人を追い求めているだけ……?)
ラキアがアクエを見てくれないことは何となく解ってしまう。彼の瞳は哀しい中に誰かを追い求めている。
きっと、消えたというあの子。
彼女は生きていると思いたい。そうでなければラキアが救われない。
彼女が生きていたとしてアクエが宣戦布告して奪おうと思うのかと言えば否だ。たとえ彼女がもうこの世に存在していなくても…………
胸をきゅっと掴む。
幼女の時に命を救ってもらったあの人も哀しい瞳をしていた。それがラキアみたく誰かに恋い焦がれていたかまでは解らない。ただ救いたかった、救われた恩を返したかった。
救われた時に一目惚れしてしまったのだ――――
「何であたしは面倒くさい人を好きになるんだろ」
引き戸に額を押し当てると鈍い音が暗闇に響いた。