第9話 (サイドB)
前話と同じく、サイドB(陛下視点)のお話です。
余を騙したのか。妃の分際で。欲しいものを与えてやったというのに。怒りで周りが見えなくなっていた。気が付けば、セグジュは部屋を退出していた。どうしてくれよう、沸騰しそうな高ぶる感情を内に秘め、残りの執務をこなそうとする。だが、怒りにとらわれすぎて正常な判断を下せそうにない。執務は遅々として進まず、余計にイラつき感情が収まらなかった。
夜、部屋でアルコールを片手に、怒りを発散させるべく考えをめぐらす。王を謀るとどうなるか、よく思い知るがいい。嘘つきな黒の姫に、どんな罰を与えてやろうか。曲がりなりにも妃である以上、牢に入れるわけにはいかない。地位を剥奪し、どこかへ追いやるか。だが、剥奪する地位が忘れられた妃という地位では、あまり効果がないのではないか。どこかへ追いやるといっても、後宮から出て自由になるのは、彼女への罰というより、褒美になるのではないか。だとしたら、後宮から出せないではないか。では、後宮内で、惨めな状況に追いやるか。それは、一体どんな?他の貴族女性と同じような方法では、彼女に効果はない。思い出すのは、いつも洗濯を繰り返したと思われるシルクの夜着姿だった。庶民に罰を与える方法なら、効果的なのかもしれない。牢に入れることか。それはできない。
アルコールが回り頭が冷えてきたのか、おかしなことを考え続けて混乱したせいなのか。今は、怒りではなく困惑の方が大きくなっている。彼女に何の罰を与えれば、余を騙した彼女に思い知らせてやれるのか?彼女が嫌がることは、何なのか。それは、王を騙してまでも実現させたこと、王が通うこと、だ。騙したことを罰するために、彼女が逃げる原因となった状況を再現するのか。余が後ろめたくて逃げた状況を?その夜は、ひどく悪酔いする酒だった。
それから、黒の姫を観察することにした。毎日、その行動を詳細に報告させる。女官と仔犬3匹とのさほど変わり映えのしない毎日が報告される。だが、その報告書には、庭を仔犬達とふざけまわったり、部屋で床に直に座ってくつろぐなど、穏やかな日常が記されていた。余が贈った宝飾類は泥棒に取られないようにどこかに隠していて、贈ったドレスは機能的ではないという理由で箪笥から出されることはない。報告を受けるようになって数日で、怒りはすっかり姿を消していた。
セグジュの言ったように、彼女は変わってなどいなかった。ただ、変わったふりをしたのだ、余から逃れたいためだけに。彼女のことを何も知らなかったのに、彼女は余のことを知っていたのか。セグジュの言葉が正しいことは明らかだった。認めたくなかっただけだ、己の愚かな罪を。騙されたなどと思ったことすらも。
それから、就寝前に黒の姫の観察報告書を読むのが習慣となった。彼女に近づきたいと思うが、それはかなわない。彼女の望みが、余から離れることであるのだから。
ある頃から、王妃を望む声が高まってきた。王が30歳が近いというのに、子供も世継ぎもいないのが原因だ。新しい妃候補を後宮に迎えてはどうかという話も出てくる。妃の実家の貴族や15~17歳の未婚女子をもつ貴族たちの争いが日に日に激しくなっていった。スキャンダルが明るみに出て城の役職を追われたり、多額の賄賂や不正行為の発覚で失脚する人々。精神的ダメージを受け病に伏せる妃、階段から落ちて怪我をする妃。ひと月に幾夜かは、比較的平等に妃を訪れていたが、顔色を窺ってシナをつくってすり寄ってくる様に、次第に不快感をいだくようになった。
後宮でも緊張感が高まっていたある日、お茶に毒が仕込まれ、お茶会に参加していた数人の妃が倒れるという事件が発生した。そのお茶会に参加していた妃の中には、懐妊したという妃が含まれており、それを妬んでのことだろうと。一人の妃が、このお茶は黒の姫から贈られたものだと言い出した。祖国から取り寄せた珍しいお茶だと言っていたと。その数日前、黒の姫に偽名を使った貴族からお茶が贈られており、そのお茶を試飲した仔犬の一匹が命を落としていた。彼女は、住居の外に仔犬を埋め、その場所で長い間静かに涙を流しながら手を合せていたと報告書に記されていた。妊娠を装い黒の姫を陥れようとした妃、それに協力した者達、それ以外にも彼女を嘲る妃達、それを知りながら傍観する者達。後宮で、今まで何を見ていたのだろう。黒の姫の観察で細々とした後宮の情報を手にしており、それをもとに後宮の妃を一掃する証拠を集めるのは比較的容易だった。幾人かは、実家へ帰し、実家ごと罪に問うた。幾人かは、騎士に下賜した。
そうして後宮もやっと落ち着きを取り戻してきた。残った2人の妃も、そのうちに実家へ帰すことになるだろう。黒の姫も、自由にしてやるべきなのかもしれない。観察報告書を読みながら、そんなことを考えるようになった。
後宮でお茶の毒のことなど被害を被った黒の姫へ、後宮管理官から彼女の望むものを一つ与えてやるように計らった。そうして知った彼女の望むものは、街への外出、だった。
そんなことは、とっくに知っていた。泣かせた2日目に彼女を宥めるために宝石をやろうという余に、それより外出したいと言っていたのだ。最初は、彼女も本当の姿を見せていてくれたのに。後悔しても、後悔しても、過去には戻れない。あんなにすぐ傍にあったのに。
後宮管理官に、黒の姫の外出許可を出す。そして、警護の騎士は直々に選んだ。誰にも傷つけさせないこと、そして、もしも彼女が後宮へ帰るのを嫌がるようならば、望むところまで無事に送り届けるよう騎士達に命じた。そして、数日後、彼女の外出の日、贈ったドレスと宝石を持って城を出る彼女の後ろ姿を遠くから見送った。これが、彼女を見る最後になるかもしれないと思いながら。