第3話
翌日から、後宮のすぐ外の棟にある一室で教育を受けることになった。先生は、白髭おじいさんセグジュ先生。ここの神話を元にした神様を祭る神殿で、だいぶん身分の上の方らしい。言葉や文字、ここの国の歴史、文化など様々なことを教えてくれた。
「お姫様は、算術はお得意でございますな」
数学が得意なわけじゃないけど、ここも10進法なので、計算は問題なかった。ただ、数字の文字が違うから、時々間違えるけど。
「得意なわけじゃないけど、私の国と同じ計算方法が使えるからよかったわ」
先生に勉強を教わるようになって、尋ねてみたことがある。ここは、世界のどの辺にあたるのか、と。夜には星と月が見えるから、地球のどこかだと思っていたから。まさか、2つの大陸しかないとは思わなかった。泥で丸い地球儀のようなものを作って、そこに大雑把な大陸を書き込んで、セグジュ先生に説明した。そのとき、初めて、一般の人は、世界が丸いことを知らないと知った。セグジュ先生は、私の話に興味津々だった。いろいろ話を聞いてくれたり、私の疑問に答えてくれた。結論、ここは私がいた世界とは違う、ヨーロッパに似たような世界ということだ。
「大分、言葉もスムーズになってまいりましたな。最初は、4~5歳児のような話し方で」
ふっふっふっ、と先生が笑う。初めて会った頃を思い出しているのだろう。幼稚園児程度の話し言葉だったのかと思うと、かなり恥ずかしい。意思疎通ができればいいと思っていたので、簡単な文法、短い文で話していたためだ。今は、勉強しているので、少々大人のしゃべり方ができるようになったようだ。
「あと数年、お勉強をなされば、貴婦人になれます。他の妃の方々と同じように」
子供として扱っているなとは、思っていたけれど。ズバリ、聞いてみることにした。
「私は、ここでは、どういう立場なの?貢物なのはわかるけど。後宮にいるから、妃の一人なの?」
「後宮にいても、妃というわけではございません。陛下のお召があって初めて妃という地位が与えられます。今のお立場は、妃候補といったところですな」
後宮にいる人がみんな妃というわけではないのか。あそこに住んでいる7人の美女はみんな、なんとか妃って呼ばれているから、王様の奥さんなんだろう。
「私は貢物だから、妃候補のまま、ずっとここで暮らすことになるの?」
できれば、お召がなく暮らせるといい。ここでは3食昼寝付きという素晴らしい環境なのだ。そのうち、街に出てみたいとは思っているが。
「大人になられたら、きっと陛下のお召があるでしょう」
陛下のお召を楽しみにする子供なんて、いないと思うんだけど。
「たぶん、私は他の妃達みたいに美女にはならないから、陛下のお召はなくていいんだけど。なしにできないの?」
「陛下がお決めになること。そのようなことを口にするべきではありませぬな」
髭をさすりながら、私を窘めるようにそう言った。
部屋の中に男が入ってきた。時間ができたため、勉強の様子を見に来た、陛下だった。私は、最初、誰が部屋に入ってきたのかわからなかった。陛下とは2か月も前に1度会ったきりなのだから。今までにも何度か、セグジュ先生を呼びに男の人が入ってくることがあったので、またそういうのだと思って、セグジュ先生のそばを離れ、窓の方を向いた。
「陛下」
後ろを向きかけた私に、セグジュ先生の声が聞こえて、やっと男が王様だと知ったのだった。まずいかもしれない。そう思い、ゆっくりと、後ろを向きかけた体勢をもとに戻し、男の方を見る。気まずいので、目は見ないで、頭を下げた。
「勉強ははかどっているか、ナファフィステア」
「はい」
言葉少なに答える。下手なことを言って、また不審と思われても困る。早く出て行ってくれないかなぁと思い、頭を下げたまま待った。
「頭を上げよ」
上げたくないが、ゆっくりと頭を上げる。無表情のでかい男が正面に立っている。後ろに2人ほど連れがいるようだが、正面のでかいのが、陛下だろう。斜め前にいるセグジュ先生も他の人達も私を見つめるので、居心地悪い。
「セグジュ、本当に勉強は進んでいるのか?まだ、言葉が話せないのではないのか」
「そのようなことはございません。お姫様、陛下にご挨拶を」
そうか。貴婦人たるもの、きちんとした挨拶をするべきというのを忘れていた。
「お目にかかれて光栄でございます。陛下」
ドレスのスカートを摘まんで、腰をかがめて挨拶をする。しかし、あまりにもとってつけたような間抜けなタイミングではないのか、セグジュ先生。王様は、部屋の椅子に腰かけた。その横には剣を刺した男の人が立っている。
「そこに座るがよい、ナファフィステア。何か話して聞かせるがよい」
王様が座っている一人掛けの椅子の前にある、3人掛けのソファーを指して、そう言った。
「何を話せばいいんですか?」
「何でもよい」
そんなことを言われて、何を話す?
「勉強は順調です」
「…」
部屋の中に沈黙が訪れる。セグジュ先生の方をちらりと見ると、がっかりしている。私の態度が先生の評価につながるのだから、気を付けなければならない。とはいえ、何か話をといわれても、困る。
「お姫様、今日の勉強内容などをお話しになってはいかがかな?」
セグジュ先生が王様を気にしながら、言った。あの一言だけでは、ダメらしい。
「今日は算術の勉強をしておりました。1つのケーキを6人で分けた場合の等分する大きさをについて考えました。そのあと、6人で3個のケーキの場合を考え。そのあと、7人で5個のケーキを」
「もうよい」
延々と続きそうな、今日の計算についての話の様子を、王様が遮った。表情には出していないのだが、睨まれているような気がする。
「ナファフィステア、そのような態度は、己のためにならぬぞ」
「今度は、不審な態度とやらにあたるんですか?何でもいいと言ったから話したのに」
王様の言葉に、私はむすっとして答えた。なんて自分勝手な。何でもいいから話せと言っておきながら、内容が気に入らなければ、脅すような態度。さすがに王様は我が儘だな。
「余の言うことに逆らうか」
我が儘王様は、崇め奉らないと叱られるらしい。3食昼寝付きの養い主だと思えば、偉そうにするのも仕方のないことだろう。がんばって笑顔を貼り付け、答えた。
「逆らうなどととんでもないことでございます。偉大なる陛下。陛下はあまりに神々しい存在でございます。わたくしごときが御前で話をする身に余る光栄に、喜びを隠せません。わたくしはまだ子供で、話し方もまだまだ未熟でございます。緊張のあまりのわたくしの態度が、陛下のご不興を買ってしまいましたことは、非常に心苦しく思っております」
「もうよい」
王様は、無表情で、私の言葉を遮った。