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それ、たぶん違うよ(15個のエピソード)

作者: 沢山書世

楽しんで読んでいただけると嬉しいです。

 プロローグ

「ふん!」

 清美は隼人に対して持っている感情を、鼻息という形で表現するやいなや、体を翻し隼人に背中を向けて歩き出した。

「待ってくれー」

 隼人は自分からどんどんと離れて行く彼女の心と背中に向かって叫んだ。その表情は悲壮感に満ちていた。一方、去って行く清美はというと、隼人が発した懇願の言葉に反応することはなく、駅の改札の中へと足早に入っていく。隼人に対して背を向けているため表情は確認できないものの、清美の背中からは、こちらに戻ってきてくれそうな様子はおろか、立ち止まって振り返ってくれそうな気配すら、微塵も感じられない。

 隼人が視力検査の時以上に力んだ視線で追いかけていた清美の姿はしだいに小さくなってゆき、人ごみの中で何度か見え隠れを繰り返したのち、やがて見えなくなってしまった。

 もはやなすすべはなくなり、呆然とその場に立ちつくす隼人であった。

「あーあ」

「ふー」

 隼人は幾種類ものため息をつきながらその場にしゃがみ込んだ。うなだれて目をつぶる隼人。涙が地面に一粒落ちた。

「まただめだったかー・・・ 。交際の出だしはいつもいい感じで始まってくれるんだけどなー。ところがそのままハッピーウェディングへとはすすんでくれない。二人の歯車がだんだん合わなくなり始め、日に日にそのズレ幅が大きくなっていき、結局最後には壊れちゃうんだよねー。今回もおんなじだよ。毎回毎回同じ結末だよ。なんでなのかなー。つらいなー、へこむなー、まいったなー」

 もう一粒涙が落ちた。

「ねえ、蟻さん、どう思う?」

 隼人の狭くなった視界の中では一匹の蟻が路上を動き回っている。べそをかいている隼人のぼんやりとした視線は、その蟻に向けられていた。隼人は蟻に向かって話しかけだした。

「僕がなにをしたっていうんだよなー、まったくよー。蟻さんさー、僕に教えてくれないかなー」

 蟻は隼人の問いに返事を返すことなく黙々と歩き続け、涙の池を乗り越えて進んで行く。

「蟻さんも頑張っていることだし、俺も頑張るかー。よーし、次のチャンスこそは結婚に結び付けるぞ!」

 別れを宣告された時にはものすごくへこんでしまう隼人だけれども、そうかといって、そのままめげっぱなしというわけではないのがせめてもの救いであろうか。


 女子とはまるっきり縁がないというわけではない。たとえいっ時とはいえども、たとえわずかながらの気持ちとはいえども、隼人に対して興味を持ってくれる女子がときたま現れてはくれるので、デートをする機会を得ることはあった。しかし、それが交際へと発展し、長い付き合いになるということは今まで一度としてなく、最長でも、もって一か月がいいところであった。結局行き着くところは結婚ではなくその逆、別れ。女子は隼人の前から去って行ってしまうのである。

 それにしても数々の苦い経験からなんらかの学習効果が現れてくればいいのだが、そうはいかない現実が隼人の前に立ちはだかっていた。なぜこうなってしまうのだろうという悩みをずっと持ち続けたまま、今もその解決策は見つかっていないようだ。今後もまた、同じ展開が繰り返されていくのであろうか。


「そうだ、いいことを思いついた」

 蟻に話しかけていた隼人に、ありがたいことに名案が浮かんだようだ。

「こうしちゃいられない」

 隼人は立ち上がると、改札へ向かって走り出した。


 エピソード1 レストラン

 一か月後、隼人に新しい恋が始まっていた。今日はデートである。とあるビルの前に隼人と奈々子がやってきた。ビルの玄関先には看板が設置されており、そこに横文字でレストランと思しき店名が書かれている。店の入り口である大きなドアの横にボーイが立っているところから察するに、いわゆる高級な部類に属する店だと思われる。来店した二人に対して、ボーイが声をかけ、頭を下げた。

「いらっしゃいませ」

 隼人はボーイの前にススーッと歩みよると、彼の左肩に手をかけるやいなや、脇へと押しやってしまった。力の入れ具合はけして強くはなかったのであるが、ボーイにしてみればたとえお客様とはいえども見知らぬ人間からこのような扱いを受けるいわれはない。ボーイも生身の人間なのだ、あまりにも無礼と思われる行為に対しては当然怒りの感情が胸に込み上げてくる。

「お客様、何をなさるんですか」

 と、ボーイは声をあらげた。隼人が口を開く。

「すまんが彼女のエスコートはこの僕にやらせてくれ」

「お客様、お言葉ですが、それは私の仕事です」

「あっ、UFOだ」

 突然隼人が叫び、空に向かって指を指した。

「えっ、どこどこ?」

 隼人のウソにつられて空を見上げるボーイ。隼人はその隙をついて店の入り口ドアに手をかけた。そして振り向きざまに、

「姫、お先にどうぞ。さあ、中へとお入りください」

 と奈々子に告げるや、ドアを自ら引き開けた。女性同伴で店を訪れる場合には、女子を先に店内へ入れてあげるものである、という思いが隼人にはある。 

「ありがとう」

 奈々子は隼人に礼を言い、店の中へと入っていく。続いて隼人が入っていった。

 入口の外に残されたボーイは首をかしげて立ったまま、店内に入っていった二人の姿をガラスを通して見つめていた。


 店の中の二人には先ほどとは別のボーイが応対した。

「いらっしゃいませ。お席へご案内いたしますので、こちらへどうぞ」

 初めて訪れた店では、中の様子がわからず不安に感じるものである。そんな場面に遭遇した時に、レディーファーストという制度はとても便利なシステムである。隼人は奈々子の後ろに隠れて立ち、先を行くボーイの方へと奈々子の背中を押出した。 

「レディーファーストですから、お先にどうぞ」

 二人はボーイに誘導されて、予約席についた。とりとめのない会話を楽しむ二人のテーブルに、コースで注文しておいた料理が運ばれてきた。一品目の料理は、白い衣状のものに包まれており、中身がなんであるのかが外観からではさっぱり解らない。衣の表面には青というよりも、ブルーと言った方が的を射っていそうな蛍光色のソースがかけられている。

(これはなんだろう、見たことないな、怖いな)

 一瞬ひるんだ隼人であったが、

(まあいいや、こんな時こそレディーファーストさ)

 と、恐怖心を座右の銘でかき消した隼人が奈々子を促した。

「お先にどうぞ。食べた感想をぜひとも聞かせて欲しいな」

「ありがとう、お先に頂くわ。どんな味なんでしょう、楽しみね」

 奈々子はナイフで料理を二つに切ると、一方にホークを指して、口へと運んだ。隼人は、奈々子が料理を噛みながら味を確かめている様子をしばらく眺めると、彼女に問いかけた。

「その料理の中身はいったいなんなの? どんな味? 食っても大丈夫かな?」

 彼女は料理を飲み込む行為を半分ほどのところで中断し、口で手を覆うと、

「大丈夫かなって、それ、どういう意味よ?」

 と、隼人に聞き返した。

「え?」

「これはあなたのおすすめ料理なんでしょ?」

「いやー」

 隼人が頭を掻く。

「ひょっとして、あなたはこの料理がなんだかを知らないの? いままで食べたことはなかったの? ひょっとして今日が初めてなの?」

「うん」

「あなたは自分が食べたことがないものを、私に勧めたわけなのね」

「そういうことになるね」

「私に毒見をさせたわけね」

「結果的にはそういうことになってしまったね。だけれども、世の中はレディーファーストが常識だろ? 女子である君から先に食べてもらうのがあたりまえ。これってオッケーでしょ?」

 奈々子の表情が変わった。

「オッケーなわけがないでしょ!」

 周りの客たちがこのテーブルの不穏な様子に気付き始めた。

「ちょっと、ここで大きな声をだすのはまずいでしょ」

 隼人は奈々子に小声で注意する。

「うるさい、今はそんなことを構ってはいられないわ。話はすぐ済むからいいでしょ!」

 奈々子が隼人を睨む。

「オー、怖い」

 隼人は、奈々子の怒りの表情に気圧され、のけぞった。

「レストランなのよ、外国の料理が出されてくるお店なのよ。使われている材料が何なのかも解らない、初めて見る料理が出されてくるところなのよ。ここは日本だからおそらくは大丈夫だろうとは思うけれど、もしも中身がいも虫だったりしたらどうしてくれるつもりなのよ」

 彼女の口の中で噛み砕かれたものが、罵声とともに隼人の顔をめがけて飛んできた。口を覆っていた奈々子の手はいつの間にかテーブルの上に置かれてその手で自分の体を支え、隼人に顔を接近させながらまくしたてた。マナーどうこうを気にしていられる心境ではないのであろう。

 騒動に気付いたボーイが慌てた様子でテーブルへとやってきた。

「お客様、ご安心ください。こちらは魚の鱈を揚げた料理でございます」

 ボーイが料理の材料を説明し、事態の収拾を図った。ボーイの説明に安心した隼人は、自分の口の辺りに飛んできてくっついたものをべろで拾うと、器用に自分の口の中へと運び入れ、それを味わってみた。

「なるほどー、鱈を揚げると、こーゆー味になるのか。結構おいしいよ、これ」

 奈々子は席を立つと、隼人を置き去りにして、店を出て行ってしまった。


 エピソード2 もちろん風呂もレディーファースト。

 ひょんなことから、奈々子が隼人の部屋に泊まることになった。デート後に奈々子を彼女の自宅まで送っていく途中、信号機の故障で電車がストップしたことで、送る手段を奪われてしまったのである。二人はやむなく最寄りの隼人宅へと向かった。そんな展開になることをこれっぽっちも予想していなかった隼人は、一人住まいのアパートに到着するや、慌てて部屋へと飛び込んだ。なにせ部屋は、いつもどおりの散らかったままなのである。とてもお客を迎えられる状態ではなかった。片づけなければ、お客を迎えられない。とりあえず、床に放置してあるものを、押し入れの中へと押し込み、

「どうぞどうぞ」

 と彼女を招き入れた。入りきらなかったものを部屋の端っこへと押しやり、

「散らかっているけど」

 と言いながら、彼女が座る場所を作った。そこに座布団を放り投げて、

「いますぐお客さんの受け入れ準備をするから、ここに座って待っていてね」

 と言い残してトイレに向かった。

 便器の中の水垢を、トイレブラシでゴシゴシとかき回し、水を流す。続いてトイレマットと便座シートを急いで新しいものに取り変えた。いつもはいやいややっているので、だらだらと30分ほどかかっている作業だ。最後にやったのはたしか一か月くらい前であろうか。かなりの時間を取られてしまうこの作業が隼人にはとても面倒くさく感じ、ついやらないままにこんなにも日にちが経ってしまっていた。ところが急いでとりくめばびっくりするほど短時間で出来てしまうもので、今日はものの5分で完了した。たまにお客さんに来てもらうことにすれば、いつでもきれいな部屋に保てるのかもしれない。

 次は風呂のそうじに移ったのだが、その作業中に、隼人はよからぬことを思いついた。男ならではの思いつきである。隼人は、ニヤッと笑うと、さっそく行動に移した。石鹸を石鹸ボックスから抜いてしまったのである。

(何も知らない彼女は、風呂に入り、体を洗い始める段階になって初めて石鹸がないことに気付くであろう。買い置きの石鹸がどこに保管されているかを彼女は知らない。おそらくは風呂場から石鹸を求めて自分に声をかけてくるはずだ)

 石鹸を持って風呂場にいった時に、中を覗いてやろうというのが隼人の狙いだ。

(頼まれて届けにいくのであるから、やましいことはない。堂々と覗けるというものだ)

 奈々子を策略にはめようとしている時点で充分やましいことだと言えるが、自分にとって都合の悪い考えは排除して、理論武装をしたのであった。


「お風呂、君が先に入ってよ。汗を流してからくつろごうね」

 隼人はさりげなく奈々子に入浴を勧めた。

「じゃあ、遠慮なくお借りするわ」

 奈々子はなんの疑いも持ってはいないようで、隼人の提案に素直に従った。

 やがて風呂場からシャワーの音が聞こえてきた。隼人はいてもたってもいられず、部屋の中をウロウロとしはじめた。

 3分が経過した。

(落ち着け、あわてるな、まあ待て、すぐにお呼びがかかるさ)

 と隼人ははやる自分を諌め、その時が来るのを待った。ところが、待てど暮らせど、彼女からは石鹸の催促がかからない。

 2分が経過した。

(おかしいな、うかつにも彼女の声を聞き洩らしてしまったかな)

 隼人はバスルームの近くまでそっと寄っていき、耳をそばだててみた。

(ここなら聞き漏らす心配はないぞ。さあ、いつでも来い)

 1分が経過した。

(まずい、ひょっとすると彼女は石鹸を使わないつもりなのか?)

(勝手に持っていってしまおうか。いや、頼まれもしないのにこっちから石鹸を持っていくのも変だしなー)

(このまま風呂から出てこられては、せっかくのチャンスを逃してしまうことになるぞ。何とか、堂々と覗いてみたい)

 覗きの専門家に言わせれば、こそこそしながら覗くことが覗きの王道であり、堂々と覗くのは邪道だと、おしかりを受けそうな、アマチュア覗き人隼人の意見である。

 30秒が経過した。

(このままではらちがあかないぞ。さあ、どうする?)

 隼人はいつもののんびりやさんを返上し、通常の数倍のスピードで必死に考えた。そして現状打開策を頭の中からひねり出すや、すぐさまアクションに出た。

「あっ、思い出した、思い出したぞ。そういえば、ちょうど石鹸を切らしていたんだ!」

 と、風呂場に向かって叫んだ。シャワーの音でかき消されてしまい、奈々子に伝わらないようなことになってはたまらないという思いからか、隣近所にも聞こえそうなやたらとでかい声である。それが部屋中に響き渡った。

「いやー、ごめんごめん、石鹸を今から持っていってあげるからね。不便をかけてしまってわるかったね、謝るよ」

 当然風呂場にもその声は届いていた。

「汗を流すだけで充分だから、石鹸はいらないわ」

 奈々子の返事は隼人の期待を裏切るものであった。しかし隼人はそんな言葉でおいそれとは引き下がらなかった。そうそう訪れてはくれないチャンスを迎えているのである。隼人は石鹸を片手に風呂場に近づいていくと、

「シャワーだけでかまわないって? そんなことを言わないでよ。それでは、せっかくお風呂に入っても、きれいにならないよ」

「大丈夫。一日ぐらい、平気よ」

「いいや、だめだめ」

 隼人は風呂場に背中を向けてはいるが、首は可能な限り横にひねり、風呂場の曇りガラスにちらちらと視線を向けて奈々子にしゃべりかけている。首筋のきしみ音が聞こえてきそうだ。

「あたしの体なのよ、どうしようとあたしの勝手でしょ」

「勝手にされては困るんだ」

「何が困るのよ」

「うちのお風呂は、入ってもきれいにならない変なお風呂だと思われてしまう」

「そんなこと思うわけないでしょ」

「思うさ、そうに決まっている」

 説得するには無理がある言い分だ。

「なんか変ねー」

 彼女が疑りだした。

「あなた、何かよからぬことを企んでいるんでしょ」

 隼人は奈々子の指摘に動揺した。

「何を言い出すかと思ったら、はははは。君が思っているようなことは企んでいないよ」

「本当なの?」

「もちろんさ」

「じゃあ、別のことを企んでいるのね」

「そう、別のことだよ」

 動揺から平常心が崩れ、つい正直に言ってしまった。

(しまった)

「別のことって何よ」

(まずい、このままでは企てを白状させられてしまう。何とかはぐらかそう)

「こっちの話だよ」

「そっちの話と言っても、それはあたしにも関わってくる話なんでしょ」

「まー、君にも少しは関わるかな」

 また、正直に言ってしまった。

「何を企んでいるのか言いなさい!」

「いやだ」

「言うまでここから出ないから!」

「えっ」

 覗けるチャンスを逃すのも困るけれど、風呂に籠城されるのも困る。隼人は一生懸命考えた。

「石鹸の中にダイヤを入れてあるんだよ。それを君にプレゼントしたくって」

(この際仕方ない!)

「ありがとう。中身だけをあとでいただくことにするから、よく洗っておいてちょうだいね」

 奈々子の反応は冷ややかであった。

「わかりました」

 すごすごと風呂場を離れた隼人は、ダイヤの原石を秘密の保管場所から取り出した。

(いずれ誰かにプロポーズするときのためにと購入して大事にしまっておいたのに)

 と落胆する隼人であったが、テーブルの上にそっとダイヤを置いたときにひらめいた。

(そうだ、彼女と結婚すればいい。災い転じて福となすだ! よーし、レディーファーストに磨きをかけて、なんとか彼女の気持ちをつなぎとめ続けよう)

 大切なダイヤを失った今、隼人としてはなにがなんでも結婚まで辿り着かなければならない瀬戸際に立たされることになったのである。


 エピソード3 眠り

 布団の中で眠っていた奈々子は、自分の顔の辺りに異様な気配を感じて眠りから覚めてしまった。気配の正体が何なのかを確認するために勇気を出して目を開けてみると、そこには距離十センチのところまで近づいて、自分の様子をじっとうかがっている男の顔があった。

「ぎゃー」

 奈々子はすぐさま布団から横にとび抜けて身構えた。

「うわっ、」

 奈々子のその驚きようをうけて、隼人の方もびっくりして後ろに尻餅をついた。

 奈々子は、自分を驚かせた顔の正体が誰だかを理解すると、言い放った。

「あなたねー、あたしの傍でいったい何をしていたのよ!」

「大きな声を出さないで」

 隼人は人差し指で、シーッのポーズをとっている。

「好きで大声を出したわけじゃないわよ。驚かされれば、叫ぶし、声だって大きくなるわ!」

「近所迷惑になるから、なるたけ小さな声で叫んでくれ」

「無理な注文をしないでよ。そもそも私を驚かせて叫ばせたのはあなたでしょ、あなたが理解に苦しむ行動をしたからでしょ!」

「ごめん、驚かせてしまったようだね」

「当たり前でしょ」

「ごめん、ごめん」

「だんだん、あなたを信用できなくなってきたわ」

 あわてた隼人は土下座して奈々子に訴えた。

「そんなことを言わないでよ。頼む、僕がここにいた理由を聞いてくれ」

「もちろん聞かせてもらうわ。理由がわからなければ安心して眠れやしないし、どうせ、びっくりして目がさえてしまったんだから、すぐには眠つけやしないわ」

「君が眠ったのかどうかをここで確認しようとしていたんだ。君が先に眠ってくれないと、僕は眠りにつけないんだよ。レディーファーストだからね」

 隼人は、男子は女子より先に眠りについてはいけない、女子が眠りに入るのを待ってから男子が眠りにつくことが正しいことだと思っているのである。

「やましい気持ちでいたのではないというのね」

「そうそう」

「本当かしらね」

「本当だとも」

「お風呂の件もあるし、どうかしら」

「ぼくはもう、あの件で懲りているからさ」

「ふーん」

「君の顔の近くに寄ってみれば、寝息や様子で解るかなって思ったんだよ」

「それにしてもあれは近づき過ぎでしょ」

「ごめん」

「わたしの寝息をあなたが聞く前に、あなたの鼻息で、あたしが目を覚ましてしまったじゃないの」

「君がいびきでもかいてくれれば、離れていても解るんだけど、どうやら、かいてはくれないようだったからね」

「おあいにく様」

「びっくりさせてしまってごめんよ。でも、こっちもびっくりしたから、今回はおあいこだね、ははは」

「あなたねー、なにを虫のいい寝言を言っているのよ」

「うまい!」

「うまくなんかない、ちゃかさないで!」

「すみません」

 隼人は正座してしょんぼりしながら謝った。

「また、レディーファーストなのね」

「そうそう、そうなんだよ」

「徹底しているのね、ほんと、感心する」

「ありがとう」

「褒めているんじゃないの、あきれているっていう意味よ」

「そうでしたか」

 隼人はしょげ返ってしまった。

「で、ちなみに起きるときはどうするつもりなのよ」

「起きるとき?」

「そうよ。起きる順番もレディーファーストでいくわけ?」

 隼人が目覚まし時計を奈々子に差し出して言った。

「もちろんさ、君から先に起きて欲しい。君の好きな時間をセットしてくれ」

「明日は休日だから、寝だめをしたいわね」

「そうだね、そうだね」

「うーん。じゃあ、10時にしましょう。それでよろしいかしら?」

「もちろんさ」

「それじゃあ、さっさと寝て頂戴。もう、驚かさないでね」


 隼人は目覚ましの音で10時に目を覚ました。奈々子の姿はすでに部屋にはなかった。


 エピソード4 誕生日

 今日は隼人の誕生日である。隼人と奈々子、ふたりだけでのバースデーパーティーだ。デコレーションケーキでは大きすぎるということで、ショートケーキを二つ用意した。キャンドルは年齢数立てるにはケーキが小さすぎるということで、雰囲気用に一本だけ立ててみた。「ハッピーバースデー」の歌を二人で歌い、隼人がキャンドルの火を消すと、部屋の中が暗がりになった。蛍光灯のスイッチを隼人がつけると、奈々子からお祝いの言葉がかけられた。

「おめでとー」

「どうもありがとう。今日を迎えられたのは君のおかげだよ」

「わたしは別になにもしてあげていないわよ」

「ご謙遜を。いつもいっぱい感謝しています」

 照れかくしに奈々子が話題を変えにかかった。

「乾杯しましょうか」

「そうだね」

 二人はお互いのワイングラスをチーンとあて、飲み始めた。

 30分が経過した頃、隼人のグラスからワインがあまり減っていないことに奈々子が気付いた。自分はすでに3杯目にはいっている。奈々子はそれほどピッチの速い飲み方をする方ではない。むしろ隼人のピッチが遅いといえるであろう。

「あなたはなんでちびちびやっているの?」

「僕が君よりも先に酔ってしまうわけにはいかないからね」

「わたしを先に酔わせたいわけね。どういう魂胆なのよ」

「魂胆というものはないよ。単にそれがレディーファーストだからさ」

「それじゃあ、あたしが酔うまでは、あなたも酔えないわよ」

「ああ、そういうことになるね」

「酔わなきゃ飲んでいてもつまらないでしょ」

「そんなことはないよ。後で酔うからかまわない」

「あたしはあなたよりも先に酔うなんていやよ」

「そう言われても」

「じゃあ、せめて同じ量のお酒を飲みましょうよ」

「それは同時に酔おうという提案かい」

「ええ、そうよ」

「妥協しようかな」

「よし、それでこそ男というものだよ」

「変なところで褒めるなよ」

「じゃ、改めまして、かんぱーい」

 30分が経過した。同じ量の酒を飲んだはずだが、隼人の方が先に酔ってしまった。個人差があるのだ、奈々子の方が隼人より強かったのである。

「女がなんだー」

 と、隼人がくだをまき始めた。

「聞き捨てならないわねー。女がなんだとは何よ、レディーファーストはどうしたのよ」

「俺は日本男児だー」

 夜が更けていく。


「あっ、そうだ。ケーキをいただきましょうか」

「うん、そうしよう、そうしよう。それじゃあ君が先に食べてよ」

「あのね、今日はね、あなたの誕生日でしょ」

「うん、そうだね」

「今日はあなたが主役なのよ、そこは解るわね」

「うん、解る」

「だったらこのケーキは、あなたが先にお食べなさいな。さあどうぞ、召し上がれ」

「でも、レディーファーストが・・・・」

 また、レディーファーストが戻ってきた。

「自分の誕生日にまでレディーファーストを持ち出さなくてもいいでしょ」

「でもー」

 彼女がブチ切れた。

「いますぐ女装しなさいよ。そうすれば今日はあなたも女、あなたが先に食べなさい」

 奈々子に服を交換させられて、バースデーパーティーは再開された。


 エピソード5 遊園地

 隼人と奈々子はデートで遊園地に来ていた。一日いればひととおりのアトラクションを回れるという、比較的小規模な遊園地である。効率よく回れるようにとの園の配慮で、順路が設けられていた。二人が順路に従っていくと、最初がお化け屋敷であった。

 隼人が入口のドアノブに手を触れると、ぶるぶると振動が手に伝わってきた。

「うわっ」

 驚いた隼人が思わずドアノブから手を離すと、「ギギギー」という不気味な音を立ててドアが勝手に開いた。目の前にできた薄暗い空間から、冷たい空気が流れ出てきて隼人の首を覆った。

(こりゃやばい。そういえば、僕ってこういうところ、苦手だったんだよね)

 久しぶり訪れたお化け屋敷なのでつい忘れていたが、ものすごく怖い思いをした小さいころの記憶が一瞬でよみがえってきた。冷えた部屋の中で突然目の前に現れたろくろ首。暗がりからこちらを見ている光る眼。恐怖心で足がひるんで前に進めないまま、ギャーギャーとわめきながら泣いていた過去の自分の体験が思い出された。

(こ、こわいよー)

 と入口を入る前から途方に暮れていた隼人であったが、突然ひらめいた。

(そうだ、こんな時のためのレディーファーストじゃないか。先頭に立ってお化けを見るよりも、彼女の肩越しから前の様子を覗きながら歩いた方が、幾分恐怖心がレベルダウンするような気がするな。しかし、男の自分としては、僕はお化けが怖いから先を歩いてよなどとは言えない。ここはレディーファーストを理由にすることにしよう。これはアリだ。おれは紳士だからな)

 隼人の頭の中で、自分に都合のいいことばかりを引き出してくれる思考回路が働きはじめた。後ろを振り返った隼人は、奈々子に提案した。

「レディーファーストです、女子のあなたからお先にどうぞ」

「この暗がりの中であたしを矢面に立たせる気なの? そんなのいやよ。男のあなたがあたしを守るべきでしょ。あなたが先に行ってよね」

「お化け屋敷は先に入ったほうが、リアルにスリルを味わえるから得なんだよ」

「あなたが得してくれて結構よ」

「僕としては君に得してほしい」

 後ろでは、次の客が待っている。

「これじゃあらちがあかないわ、ここはじゃんけんで決めましょうよ」

「いいよ」

 妙に素直に奈々子の提案を飲んだ隼人であったが、これは彼に勝算があったためである。最近の彼は女子とじゃんけんをして負けたことがなかった。

「じゃんけんポン」

 奈々子がグー、隼人がパー。奈々子の負けであった。

「今の、後だしくさいけどなー」

 ほんの一瞬の差ではあるが、隼人はじゃんけんでもレディーファーストを使ったようである。

「あなたは怖いのが苦手なようだから、今回は大目に見てあげるわ」

 奈々子を先にして二人が数歩進むと、床から低い声が聞こえてきた。

「さーて、どっちから先に食べてやろうか。ヒッヒッヒッ」

 その声に反応した隼人が返事をした。よりによって、

「レディーファーストで、女子から先に食べてください」

 と答えたのである。暗がりで奈々子のビンタがさく裂した。


 エピソード6 ジョギングも後ろから

 二人のデートは今日はジョギングである。隼人が用意をしたおそろいのジャージを着て、川沿いの道を走っていく。昨今のジョギングブームに後押しされて整備された、足にやさしい新素材を使って舗装されている道である。昨日降った雨はすっかり道から引いており、今日もジョギング愛好家たちでにぎわっていた。その道を奈々子が前を走り、隼人がその後ろをついてゆく。

「あなたねー、ここは道が広いんだから、横に並んで走ればいいでしょ」

 ここは毎年市民マラソンのコースとして使われている広々とした道なのである。奈々子の意見はごもっともであった。

「僕はこの位置がいいんだ」

 と隼人は言い、奈々子のアドバイスを聞き入れようとしない。

「あたしのお尻ばっかり見ているんでしょ」

「ちがうよ、レディーファースト、レディーファースト」


 エピソード7 雨上がりの公園のベンチ

 二人はジョギングの休憩地点にと目指していた公園に到着した。大人が公園にやってきて、滑り台や砂遊びをする姿は、酔っぱらい以外ではあまり見かけない。ベンチに腰掛けて会話や景色を楽しんですごすというのが一般的であろう。隼人が奈々子に提案した。

「座ろうか」

「ええ」

 この公園のベンチは座面が木でできているタイプである。昨日は雨が降っていた。ベンチに湿り気がまだ残っており濡れている状態なのか、それともすでに乾燥が進んでおり乾いている状態なのかが、見た目にはよく解らない。

「どうぞ」

 隼人が奈々子に、先に腰掛けるよう促した。

「このベンチ、乾いているのかしら?」

「どうだろうねー。君が座ってみて、僕に感想を聞かせてよ」

「あなたは、私のお尻を使って椅子の湿り具合を確かめようっていうの?」

「結果的にはね」

「ばかっ!」

 バシッ、バシッ。

 罵声と往復ビンタが飛んできた。

「あなたが先に座ってよ」

「そんなこと僕にはできないよ、レディーファースト精神に反する行為になる」

(なんでみんな、レディーファーストを理解してくれないんだ。ここが日本だからなのか?)

(俺が間違っているわけがないのだから、俺の言動は直しようがない)

(相手に過ちを気付いてもらい、自ら変わってもらわなきゃいけないな)

(そのためには、俺としてはいったいどーすりゃいいんだろうか)

 と隼人は思っている。

(強烈に怒られるわ、ビンタを往復でもらうわで、散々な扱いを受ける羽目にあってしまったな)

(彼女は俺を叱咤激励してくれているのか? いーや、そんなことを考えている表情には見えなかったな。本気で怒っていたようだし、ものすごく憎しみを含んでいたビンタだったよなー。思い出してもぞぞぞぞぞーと恐怖を感じてしまうようなビンタだったよな)

(でも、ちょっと待てよ)

(たしかに彼女は俺にビンタを食らわせた。それは事実だ。しかし、こうは考えられないだろうか。もしも彼女が俺に対して本気で怒っていたのだとすれば、パーではなくてグーを選択して殴っていたはずだよな。パーで殴ったということは、彼女は本気では怒っていたわけではないということになるなー)、

 と隼人は奈々子の振るったビンタを好意的に解釈した。

(彼女はそういう表現の仕方をする、すごく個性的なタイプの娘なんだよ、今まで僕が出会ったことのないタイプなんだよ)

 といった受け取り方で納得し、思考を完結させてしまう隼人。女子から見れば、逆恨みされる心配のない安全な存在ではあるが、自分の真意を正しく解ってくれない、はた迷惑な思考回路の持ち主ということにもなるであろう。

 隼人ははたかれた方のほっぺをさすりながら、

(ほっぺたはひっぱたかないで、本当はこうやって優しくさすって欲しいもんだよな)

 と思っていた。隼人は自分をひっぱたいた理由を奈々子に聞いてみた。

「僕をはたいた理由を教えて欲しいんだけど。なんで? 怒ったの?」

「そう、怒ったのよ。いつでもどこでも女子の順番を先にすればいいっていうものではないのよ」

「順番は先の方がいいだろ? 早く座りたいだろ? 立っている時間は短いほうがいいだろ?」

「そうじゃない、そうじゃないのよ。なんであなたは解ってくれないのよ」

「へんなの、君の言っていること、俺には解んないなー」

「今日こそ解ってもらうわ」

「僕はどうすりゃいいんだろう」

「さっきとは別の対応方法があるはずよ。あなたにもう一度チャンスをあげるから、よく考えてやり直してみなさいよ」

「うん、やってみる」

 隼人はちょっとの間考えた。そしてポケットからハンカチを取り出して椅子に乗せると、笑顔で奈々子に声をかけた。

「どうぞ」

 ボカッ。

 今度はグーでたたかれた。

「いって―」

「おんなじじゃないの、バカ」


 エピソード8 卓球

 今日の隼人と奈々子は卓球デートである。卓球台を確保すると、隼人が奈々子に球を渡し、

「どうぞ、君のサーブから始めようよ」

 と提案した。

「どうもありがとう。そうさせてもらうわ」

 奈々子がラケットで軽く球を打った。ネットを越えてこちら側の陣地へやって来た球をあちらの陣地へ打ち返そうと振りだした隼人のラケットは、残念ながら空振り。球は卓球台から落ちてしまい、床をころがった。隼人はその球を拾うと、奈々子のところへと歩み寄り、再び手渡した。次も、その次も、同じ光景が何度も繰り返された。隼人がミスをしてばかりいるので、球は一度も奈々子の陣地に戻ってはこない。けして奈々子が難しい打球を隼人に送っているわけではない。隼人がかなりのへたくそなようだ。まぐれで当たってしまうことすらないのであるから、よほどの腕前らしい。

 奈々子が打ち、隼人がミスをする、隼人が落ちた球を拾いそれを奈々子に渡す。この単純作業が延々と繰り返された。へたくそなくせに、レディーファーストを盾にしてサーブの権利を奈々子に与え続けていたいため、自分から打ち始めることはせず、まずは球を奈々子に渡す。この繰り返しにとうとう痺れを切らした奈々子が、

「ちょっと、タイム。次はあなたがサーブを打ちなさいよ。これでは、はたから見ていると、あたしが打ちかえしにくい、いじわるな球ばかりをあなたに向けて打っているように映るでしょ」

「えっ、違うの? そうじゃなかったの?」

「違うわよ、あたしは普通にやっているわ。あなたがへたくそなだけのことじゃない」

「へたくそとは心外だなー。よーし、やってやろうじゃないの、名誉挽回するぞ」

 侮辱された隼人が奈々子から球を奪い取ると、サーブを打った。球は奈々子の陣地の端、いわゆるエッジと言われる部分にかすって床に落ちた。ボールが跳ね上がってこないので、奈々子としてはなすすべもないまま隼人のポイントとなった。

「ごめんごめん」

 謝った隼人であったが次も、その次も同じ結果をだした。

「あなた、わざとやっているんでしょ」

「それは言いがかりだよ。いくら僕が上手だからと言ったって、そんな器用なことをねらってできるわけがないだろ」

「言い訳はいいわ。今度やったら、タダじゃおかないからね」

「わかったよ。こんなことはそう何度も続くわけはないさ」

 結果は、続くわけのないことが続いてしまった。奈々子は隼人に近づくと隼人の頭をラケットでたたき始めた。

 ポカポカポカ。

「いてててて」

 隼人はたまらず、卓球台の下に隠れた。奈々子のラケットは台の下までも追いかけてくる。隼人の顔のそばをラケットがかすめるが、しかし逃げ回る隼人には当たらない。

 うっぷんを晴らしきれない奈々子が何を思ったか、卓球台の上に飛びのった。隼人には奈々子がどこにいるのか見えなくなった。奈々子からも隼人が見えないということでは同条件のはずであったが、一つ違いがあった。自分に危害を加えようとしている相手が見えない不安から、隼人の息遣いは荒くなっており、フーフーという音をたてていたのである。隼人の呼吸音で居場所を特定した奈々子は、彼の真上まで移動すると、台上から下にいる隼人に向かってラケットを振り下ろした。

 パコーン。

 隼人は後頭部をたたかれた。ラケットがどこから振り下ろされて来るのかわからず、その後も3回後頭部をたたかれた。

「いってー、不意打ちとは卑怯だぞ。正々堂々と戦え」

 その声に反応するかのように、突然隼人の目の前に奈々子の顔が上からにゅっと飛び出してきて、二人の目があった。

「じゃあ、これでどう?」

「うわっ、びっくりした」

 パッコーン。


 エピソード9 ボウリングのダブルス

 今日の二人はボウリング場に来ていた。友人たちが集まってのボウリング大会なのである。参加者全員がカップルということで、ダブルス形式で優劣を競い合うこととなった。

「お先にどうぞ」

 と隼人が奈々子に投球を促した。

「ありがとう、そうさせてもらうわ」

 奈々子が軽めのボールを慎重に、丁寧に転がした。スポット(ここにボールが入ると、たくさんのピンが倒れやすくなる、いちばんの狙いどころ)に吸い込まれていくボール。

 パカラーンンン。

 いい音が場内に響き、ピンがきれいに倒された。

「やったー」

「ナイスボール」

 レーンに残されたピンは一本だけ。奈々子が9本も倒してくれたのだ。戻ってきた奈々子が隼人に、

「後はあなたに任せたわよ。お願いね」

「了解、任せてよ」

 息を大きく吸い込み、勢いよく助走をしてボールを投げた隼人であったが、残りの一本にボールをあてることはかなわず、残念ながらはずしてしまった。スペアならずであった。

「あー、残念」

「惜しかったわねー」

「申し訳ない」

「次に頑張ればいいわよ」

「そう言ってくれると救われるよ、ありがとう」

 確かに、次に頑張れれば和やかな雰囲気は続くのであるが、残念ながら、頑張れないままに奈々子が9本倒して隼人が外すという、このパターンが繰り返され続けた。楽しくボウリングに興じる他の仲間たちのなかで、二人の居場所だけがだんだん重い空気に包まれたものへと変わっていった。

 ボウリングはスペアが取れないことには、点数がいっこうに伸びて行かない競技である。ふがいない点数の続く状態に痺れを切らせた奈々子から、隼人に対して順番変更の提案がだされた。

「あたしがスペアを取るから、あなたが先に投げなさいよ」

 急に隼人がうまくなるとは思えない。チーム戦で勝ちに行くためには、妥当な提案であろう。隼人は奈々子からのその提案をレディーファースト精神に反するとは感じながらも、しぶいしぶ受け入れた。

 ところが、世の中は予定通りにはいかないものである。隼人が先に投げると、なんとストライクがでてしまった。彼にとっては十本のピンがすべて並んでおり的が大きくなっていたほうが投げやすいのか、投げるボールがスポットにきれいに吸い込まれ、レーン上のピンはきれいにすべて倒された。次も、次も隼人はストライクをとる。それに比例して、点数がどんどん上がっていった。

 しかし、これはこれで問題であった。点数が上がることはチームとしては歓迎できる、とてもよいことなのではあるが、一投目でストライクを出されてしまうと、レーン上にはピンが残らない。二投目を担当するはずの奈々子に出番が回ってこなくなってしまったのである。彼女はここに応援団として来ているわけではない。たとえチームの点数が上がったとしても、ゲームに参加しなければちっとも面白くはないのである。

 奈々子のほっぺたが膨らんだ。

 次に目つきが険しくなった。

 だんだんと様子が芳しくなくなった。

 そして、切れた。

 ストライクを出して悠々と戻ってくる隼人の足に向かって奈々子がボールを転がしてきた。隼人が上に飛んでボールをよけると、奈々子の表情から自分の身の危険を察し、レーン上へと逃げていった。奈々子はそれを追いかけてまたボールを転がした。隼人は今度はピンに向かって逃げた。当然行き止まり。奈々子は隼人に向かって歩いてくる。逃げ場を失った隼人は並んでいるピンを押しのけると機械の中に飛び込んでいった。機械の隙間を潜り抜けて隼人が別のレーンから出てきたところを奈々子は見逃さなかった。またもボールが襲ってくる。今度はレーン上を横に逃げる。他者がプレー中のボールが横から転がってくる。隼人はそれをとび避けながら、逃げ回った。


 エピソード10 看病

 ボウリング場での騒動で二人がそろって怪我をしてしまった。救急で病院に運ばれた。奈々子は気絶している。

「二人とも輸血が必要な状態ですね」

 と、ドクターが隼人に言った。

「僕の治療は彼女の後でかまいません。どうか彼女を先に助けてください」

 と、隼人がお願いした。

「何を言うんだ。どちらかと言えば、君の方が重傷だよ」

 と、ドクター。

「それでも僕の治療は後にしてください。お願いです」

「君って人は」

 その時、輸血用の血液が集中治療室に届いた。

「どうか彼女を先に」

「それはだめだ、君の血液型の血が先に届いたんだ」

「それでも彼女を先に」

「バカを言うな。型が違えば輸血することはできない。この血は君にしか使えないんだよ」

「じゃあ、彼女の血液型の血が届くまで、僕への輸血を待ってください。僕に輸血をするのは彼女が済んだ後にしてください」

「だめだ。医者として、それは受け入れられない相談だ」

「そこをなんとか・・・

 隼人の意識が遠のいて行った。隼人も気絶したのである。


 奈々子の意識が戻った。

「アー、よかった」

 と、隼人が隣のベッドで胸をなでおろした。そばで奈々子の様子を見守っていたドクターからも、

「アー、よかった。早く良くなってください。お願いします」

 と、奈々子に声がかけられた。

「ありがとうございます。がんばります」

「いやー、彼の症状はよくなってきてはいるんですが、あなたが退院しないと僕は退院しないなどと言って、駄々をこねているんですよ。早く良くなって退院してくださいね」

「なんですって、この人がそんなことを言っているんですか?」

「輸血を先に受けた償いをしたいということらしいですね」


 彼女を先に退院させたくて、治療に取り組むドクターと看病する隼人であった。



 エピソード11 バーゲンセール

 バーゲンセールに行くという奈々子につきあい、展示場へいくことになった。会場へ向かう単線電車のホームは、人でごった返していた。電車がホームに入ってくると、行列が一気に電車の入り口に殺到した。そんな時でも隼人は、

「どうぞ、レディーファーストで」

 と奈々子に言っている。暢気なものである。

「そんなことはいいから、ここは一緒でいいのよ! さあ早く乗りなさい。この電車に乗れなかったら次の電車の到着は20分後なのよ」

 到着駅から会場への道は、降車した人の流れがそのまま行列になっていた。ゆっくりとその流れに任せて進んで行く。大勢の人が会場に吸い込まれてゆき、やがて二人の順番が回ってきた。入口は回転ドアである。隼人としては当然彼女が先に通ってくれることを望んだ。

「レディーファーストだからお先にどうぞ」

「ありがとう」

 と言って奈々子が先に入口を入った。隼人が続いて入ろうとすると、

「ちょっとちょっと」

 と、後ろから話しかけてくる声がする。隼人が後ろを振り返ると、

「わたしも女子よ」

 声の主を見ると確かに女子である。もちろんレディーファーストは奈々子だけに使うものではないということを隼人は解っている。

「これは失礼しました。危うく紳士らしからぬ行動をとってしまうところでした。どうぞどうぞ」

「ありがとう」

 女子はお礼を言って回転ドアに吸い込まれていった。隼人が入場を待つ行列をなにげなく見てみると、女子がずらりと並んでいる。

(ぎょっ、女子ばっかりだ。この人たち全員に先を譲るのかよ。合間に男子がいてくれるといいのだが)

 乗りかかった船である、いまさらレディーファーストをないがしろにはできない。

「お先にどうぞどうぞ、レディーファーストです」

 と先を譲る行為を繰り返した。50人ほどの女子を見送ったであろうか、やっと男子が来てくれた。やれやれと隼人が入口から入ろうとすると、

「ちょっとちょっと、あなたって失礼な人ね、私も女子なのよ」

 と隼人が男子と判断した人から苦情が出た。

「えっ?」

「あなたは、あたしがボーイッシュだからって差別をするわけ? 男の風上にも置けないわね」

「すみません、けしてそんなわけではありません。どうぞどうぞ、お先にどうぞ」

「乙女心が傷つくわ、まったく」

「ごめんなさい、ごめんなさい」

(いかんいかん、ちゃんと見ないと性別っていうのは解らないものなんだな)

 隼人は男か女かを見極めるため、ぎらぎらとした眼で睨みつけるように行列を観察しはじめた。

(これは女子だ)

(これは男か? いや女子だ)

(うーん、これは判断に自信が持てないなー、いいや、迷ったら女子ということにしよう)

(はたしてこれはいつまで続くのだろうか)

(中では先に入った奈々子が待っている。ここであきらめて帰るわけにはいかない)

 隼人のところに警備の人がやってきた。誰かが呼んだようだ。入口で警備担当でもない男が入場者の顔をじろじろ見ていれば、気味悪がられて通報されるのは当り前であろう。

「君君、そこで何をしているの」

「よかったー、助けてくださいよ。僕、眼力に自信が持てなくなってきてしまったんです」

 隼人は警備員の手を握った。窮地にいた隼人の目には、警備員が助っ人に映ったようである。

「なにをする! やっぱり通報通り気味の悪い奴だなー、その手を離せ!」

「いやだ、助けてくれると言うまでは離さないよ」

「わかったよ、困っていることはわかったから。で、どうすればいいわけ?」

「この列の中から、男を探してほしいんです」

「そんなの、見れば自分でわかることだろー」

「いやー、僕もそう思っていたんですけどねー。ところが一度間違えてしまったら、それがトラウマになっちゃって、自信を喪失してしまったんです」

「しょうがねーな」

 警備員が何人かを眺めると、

「ほら、この人が男だよ」

 と、一人の人に指を指した。

「失礼ね」

「えっ」

「私、女よ」

「嘘つけ」

「本当よ」

「なにをぬけぬけと」

「ほら、これを見なさいよ」

 と証明書を出す相手。正真正銘の女子だった。

「あっ、どうもすみませんでした」

 二人でそろって謝った。

「いやー、解んないもんだなー。どうやら甘く見ていたようだ。よーし、こうなりゃ一度に聞いてしまおう」

 警備員は行列の後ろに向かって大きな声で、

「すみませーん、この中に男の方はいらっしゃいますかー」

 と叫んだ。すると、はるか後ろの方で手を挙げてくれた人が一人いた。その男性が入口に到着したところで、やっと隼人は入場できた。だが、待たせすぎたため怒ってどこかに行ってしまったらしく、奈々子と合流することはできなかった。

「あーあ」

 ため息とともにしゃがみこむ隼人。地面には蟻が一匹。

(俺はレディーファーストをちゃんとやっているのに、なんでいつも女子からこんなにこっぴどい目に合わされることになるんだろう。蟻さんどう思う?)

 と、蟻に話しかけた隼人に一つのアイディアが浮かんだ。

(そうだ、先輩に相談してみよう。もともと自分にレディーファーストを教えてくれたのは先輩なんだから、なにかいいアドバイスをもらえるはずだ)


 二か月前の先輩

 隼人には尊敬している先輩がいる。この男がレディーファーストの本質を分かってはいない男で、隼人の今回の悩みを作った張本人と言えるかもしれない。

 今とは別の原因ではあるが、恋愛がうまくいかないことを悩んでいたころ、仲良くしてもらっているその先輩が結婚を決めた。2か月前、そう、隼人が清美に振られた日、成功者の話を聞かせて欲しいということで、隼人が先輩にお願いし、喫茶店で会ってもらった。

「先輩、ご結婚おめでとうございます」

「ありがとう」

「結婚する秘訣を僕に教えてくださいよ」

 結婚を決めた男は、勝者気分になっており、おごり高ぶる傾向にある。

「聞きたいか?」

「はい、ぜひ聞かせてください」

「俺も苦労してここにたどり着いたんだ、教えてくださいといわれて、ああいいよ、などと簡単には教える気にはなれないなー」

「そんな事を言わないで、教えてくださいよ」

「ただで教えるのはもったいないなー」

「じゃあ、ここを奢りますよ」

「安いなー」

「ひょっとして、人の弱みに付け込むことが先輩の秘訣なんですか?」

「人聞きの悪い事を言うなよ」

「じゃあ、もったいぶらずに教えてくださいよ」

「わかった、わかった。ほかでもないお前の頼みだ、教えてあげよう」

「よろしくお願いします」

 先に結婚を決めた者は、未婚の者との接し方に勝者と敗者の関係をはめ込みがちである。そんな勝者の持つ優越感に浸っていることと、もうすぐ結婚をするという幸せ気分が重なって、つい饒舌になり、持論をまくしたてはじめるのである。

「秘訣? そりゃー、レディーファースト精神だな」

「レディーファーストですか」

「うん、これに尽きるな」

「効き目はありますか」

「そりゃそうさ、俺が結婚できるのが何よりの証拠だろ」

「そうですね、何よりの証拠ですよね」

「そうだろ」

「で、どうすりゃいいんですか?」

「そりゃ、言葉の通り、女子を一番にしてあげることさ」

「たとえば?」

「おいしいものは自分よりも女子に先に食べてもらう。ゲームは先にやってもらう、そういったことさ」

「はあ」

「そうすると女子はお姫様気分を味わえて、気分がいいというわけさ」

「へー」

「ようは、自分の楽しみを後回しにするということさ」

「今まで自分のしてきたこととはまったくの逆ですね」

「お前、まだそんな女の敵みたいな奴をやっているのか」

「僕って自分のしたいことを我慢できないんですよねー」

「相手の気持ちを汲んでやれよ」

「一応相手の希望を聞くには聞くんですが、意見が分かれたときには相手の希望は却下してしまうんです」

「いい加減にして、身勝手人間からはそろそろ卒業しろよ」

「先輩だって以前はそうだったじゃないですか」

「まあな」

「お菓子が一つしか残っていないときに、俺の方が体が大きい、今日はたくさん動いたから君よりも俺の方が腹が減っている、だからこれは俺に食わせてくれ、僕の当然の権利だよね、とか言って自分が食べていたし」

「まあね」

「ゲームだって、女子に先を譲ったことがあったけれども、スピードの遅さにイライラしてしまい、遅すぎる、待ちきれないよ、と文句を垂れて、最終的にはゲームを取り上げてしまっていたし」

「俺は変わったのさ」

「変わればうまくいくということですか」

「そういうこと。変わらなきゃー、このままうまくいかなないままで当たり前だぞ」

「そういうことかー」

「今までとは逆のことをすれば、逆の結果が得られるということだな」

「つまり、先輩のまねをすればうまくいかなかったことが、うまくいくようになるということですね」

「うん、そういうこと。今日のお前は呑み込みが早いな」

「必死ですからね」

「お前も頑張れよ」

「はい、今日はありがとうございました。さっそく教わった通りにしてみます。失礼します」

 出口へ一目散の隼人。

「おーい、伝票を忘れているぞー」

 先輩の声は隼人の耳には入らなかった。


 この時が隼人のレディーファーストが始まった瞬間であった。わがままな隼人が人の話を受け入れたのは、先輩が結婚を決めたという実績に説得力があったからである。そして今、勝利者としてすでに結婚生活に入っている先輩に、再び救いの手を求めた。


 今の先輩

 先輩が結婚してから初めて訪れた先輩の家。

「こんにちは、隼人です」

「おー、よく来てくれたなー。ありがとう、本当にありがとう。さあ、外で話そうか」

 部屋の奥から奥さんの怒鳴り声が放たれてきた。

「ちょっとあんた、どさくさに紛れて逃げる気なの?」

「何を言っているんだ、それは違うよ。せっかく後輩が来てくれたので、ここじゃーなんだから、外で話そうかなと思ってさ」

「それって、普通は逆じゃないの? 外で会った時に、ここじゃーなんだから、中へどうぞ、という使い方をするのがあたりまえでしょ」

「いや、うちの場合は中が外よりも散らかっちゃっているからさ、普通の対応が通用しないんだよね」

「うるさい、黙れ。あなたの可愛い後輩がせっかく我が家にやって来てくれたんだから、中に入ってもらいなさい。食事どきなんだから、食べていってもらいなさいな。もちろんあなたが作るのよ」

 つっかけに足をひっかけて、すでにドアから外に半分ほど体を出していた先輩は首根っこを奥さんにひっつかまれると、家の中につれ戻されてしまった。先輩はせっかく訪れた逃亡のチャンスを生かすことはできなかった。

 奥さんに、隼人を中へ招くよう命じられた先輩であったが、先輩としては、かっこ悪い姿をこれ以上後輩に見せるわけにはいかない。

「今立て込んでいるからさ、こんどゆっくり話そうや」

「わかりました。でも、ちょっとだけ質問してもいいですか?」

「ああ、手短に頼むよ」

「いま、幸せですか?」

「もちろんだとも」

「奥さんも幸せですかね」

「お姫様なんだぜ、幸せに決まっているよ」

「ありがとうございました。失礼します」

 今の隼人は自分のことで精いっぱい。先輩の置かれた状況を読み取れてはいなかった。先輩から送られた言葉だけを信じた。

(先輩は二人とも幸せだといっていた。やり方は間違っていない。いまのままでいいんだ。奈々子さんに解ってもらうまでには、おそらくもう少し時間が必要なのだろう)

 そんなことを考えながら、意気揚々と先輩の家から離れて行く隼人であった。


 結婚する前も、結婚してからも、先輩の奥さんはお姫様であった。通常お姫様と結婚すると、相手は王子さまになる。しかし、先輩はというと、王子様ではなく奴隷になっていたのである。それに気づいた先輩であったが体面もあり今更後輩にはいえないのであった。

 そもそもの先輩の結婚前を見てみよう。


 先輩の過去

 奥さんは、

(男子は女子と一緒にいる時に、レディーファーストで行動するもの)

 という主義の女子で、

(女子を大切にすることは男子として当然でしょ、当たり前の話なのだから、男に感謝なんかはしないわ)

 と、お姫様状態に胡坐をかいていた。

 奥さんにそんな態度をとられると、付き合い始めたころの先輩は一瞬にして胸には怒りが湧きあがり、頭には血が上り、ムカッと来たものであるが、彼女に惚れている弱みからか、だんだんと奥さんに感化されてゆき、

(そりゃそうだよな)

 と、思い直して納得し、反論することなく、結局は自分が引き下がってしまうようになっていった。

(俺は紳士だから、レディーファーストを貫くことは絶対的な使命だ)

 と感じようとして交際してはいたものの、その使命感に従って行動した結果がいつも損ばかりさせられていることや、自分が奴隷化していることに気づかない先輩であった。それでも、

(俺の生き方は男の中の男の生き方の見本だ)

 と自分に言い聞かせて、つらい思いをしながらも頑張って彼女が言うレディーファースト精神を貫き続けていると、やがて、彼女と彼とが思うところの、男の中の男になっていった。強く信じると人は変われるのであろう。


 デートのとき、こうだった。

「デートどこにしようか?」

 先輩としてはもちろん行先の希望は持っている。ただ、言えないだけ。

(ディズニーランドに行きたいんだよなー。ディズニーランドと言ってくれよ)

 と心の中では願っている。ところが奥さんはというと、

「買い物に行きたい」

(ガーン)

(この際正直に俺はディズニーランドに行きたいんだと、言ってしまおうか)

(いやいや、それではレディーファーストの精神に反してしまう)

(そもそも、自分勝手で生きてきて、居場所がなくなったから、自分のためより他人のため、自分が話すよりも他人の話に耳を傾けよう、ということを決心したはずじゃないか、そのための第一歩でレディーファーストを始めたんだから、ここは我慢我慢)

(俺って昔は嫌な奴だったからなー)

(自分の行きたいところばかり、いかに素晴らしいかを語って強引に押し切って、説得していた。ディベートの天才だったよなー)

(ひどい時には、反対のための反対というか、あまのじゃくというか、人が言うことの逆じゃないと嫌だといういやーなやつだったなー)

(その結果はというと、作った友達がことごとく離れて行ったからなー。残ったのは後輩たった一人)

(友達になるのは得意で早かったから、数えあげたら結構な人数になるはずだよ。あのまま嫌な奴として生きていたら、やがては一億人と知り合って、その一億人から絶交されていたかもしれないな。国中の人が顔見知りで、しかもそのことごとくの人が自分を嫌っているなどという状況は、はたしてどんな居心地なのだろう。楽しくはないだろうなー。いやー、途中で気が付いてよかったなー)

(せっかくやり直そうと思い直したんだ。我欲は捨てようと決めたんじゃないか)

(でも、ディズニーランドはしばらく行ってないしなー。しかたない、今度、一人で行ってみるか)


 食事を提案するときこうだった。

「食事はラーメン屋さんでいいかな?」

(今日はラーメンを食いたいんだよなー)

(ラーメンでいいと言ってくれー、頼む)

 心の中で叫んでいた。

「麺には賛成よ。でも、私はスパゲッティを食べたいわ」

「あいにくここら辺には、スパゲッティを置いていそうな店はないよ」

「スパゲッティが食べたい・・・」

 彼女が泣き出した。

(まずい、女子を泣かせてはいけない、これは鉄則だ)

 たとえ嘘泣きだとしても、女子に泣かれてしまうと、どうしていいのかわからないので、何も対処できないままでうろたえてしまう、オロオロしてしまう先輩。そんな思いをするくらいであれば、むしろ怒られる方が、まだましだ。笑ってくれなくてもかまわないから、せめて泣かないでいてくれ、と言った心境であろうか。

「わかったわかった。スパゲッティ―を出す店に移動しよう。今すぐタクシーを呼ぶから、泣かないで」


 お店を選ぶとき、こうだった。

「あんた、男でしょ」

「うん」

「だったら、リードしてよ。お店はあなたが決めなさいよ」

「じゃあ、この店にしよう」

「この店? 私は我慢するけど、他の女子を誘うときは別のところにしてあげなさいよ」

「他の女子とデートするなんてことは考えられないよ」

「じゃあ、私の好みそうなお店を選びなさいな」


 遊園地で、こうだった。

 目的にしていた観覧車には待ち人の行列ができていた。乗りたくないアトラクションは空いていた。

「どっちの乗り物にしようか」

「男でしょ、あなたが決めなさい」

「うーん」

「あなたが乗りたいのはどっちなの?」

「こっち、かな」

「なら、悩むことはないでしょ」

「でも、大勢の人が並んでいて、待ち時間が随分必要になりそうだよ」

「乗り物に乗ることが第一の目的なの? それともあたしと一緒に居たいのか、いったいあんたの気持ちはどっちなのよ」

「君と一緒に居たい」

「二人でしゃべっていれば、時間は流れるわよ。そうすれば順番なんかはすぐに回ってくるでしょ」

「そうだね、二人で一緒にいられりゃ、場所なんかはどこでもいい」

「じゃー、迷うことはないじゃないの。決めなさい」

「解った、決めた」

 決めたのは自分なのだが、決定を自分で下した気はしなかった。


 待ち時間に、先輩はポケットから、ビスケットを取り出した。

「半分子しようか」

「なにいっているのよ。あなたには余分なエネルギーがたくさんついているでしょ。それを燃やして使いなさいよ。私は痩せていて、予備のエネルギーは身についていないのよ、 それを食べるのはあたしよ」

(くっそー、言われた理屈は理解できるが、どう見ても、彼女の方が俺よりも強靭な生命力を持っているよなー)

 どうするか悩む先輩。じゃんけんか、折れるか、屁理屈を吐きかえすか。じゃんけんを選んで提案した先輩であったが、彼女にとっては受け入れるわけにははいかない意見だった。取り合いで、先輩は結局負けてしまった。


先輩が先輩なら、後輩も後輩。悪戦苦闘する二人です。


その後どうなっていくのかを、いずれはお伝えしたいと思っております。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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