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第7-2話:神の領域、断絶の果て


1. 虚飾の玉座、鋼の決闘

高度2,500メートル。

アイテリス・タワーの頂上「クラウン」は、かつてカイルが目にした時よりも、ずっと冷たく、静謐な輝きを放っていた。だがその静寂は、下層から這い上がってきた熱気と、火花を散らす義足の駆動音によって無残に踏み荒らされる。


「……ようやく来たか、点検員メンテナンス。あるいは、下界の泥を運んできた『汚染源』と呼ぶべきか」


ゼノアは、全面ガラス張りの床の中央、アイリスが眠る心臓核セントラル・コアの前に立っていた。彼の周囲には、実体を持たないはずのデータストリームが、物理的な殺意を伴う青い光の刃となって渦巻いている。


「ゼノア……! アイリスを、そこから出せ!」


カイルは、限界まで加熱された右脚のシリンダーを軋ませ、一歩踏み出した。彼の全身からは、過負荷による白煙が上がっている。神経系は悲鳴を上げ、脳内ではナノマシンの残滓が、記憶を再び焼き切ろうと暴れていた。


「出せ、だと? 滑稽な。彼女はこのタワーという『秩序』そのものだ。彼女がいなければ、この巨大な揺り籠は重力に抗えず、君たちが守ろうとしている汚れた大地へと墜落する。……彼女を救うということは、世界を終わらせるということだ」


「……あいつが望まない世界なんて、終わっちまえばいい!」


カイルは叫び、右脚のパイルを床に叩きつけた。

ドォォォォォン!!

強化ガラスが粉砕され、真空に近い気圧の差が二人を襲う。だが、ゼノアは動じない。彼は指先を微かに動かした。


「ならば、その『絶望』すらもシステムに組み込んでやろう」


ゼノアの背後から、タワーの全演算能力を注ぎ込まれた「重力操作翼」が展開された。

それは物理的な剣ではない。局所的な重力を歪め、対象を押し潰す、神の如き権能。


カイルの身体に、数トンの圧力がのしかかる。

「ぐ、あああああぁぁっ!!」

生身の骨が軋み、義足の接合部から血が吹き出す。カイルは膝をつきそうになるが、粉砕されたガラスの破片に映る、カプセルの中のアイリスの姿が、彼を支えた。


2. アイリスの覚醒、内側からの叛逆

カプセルの中で、アイリスの意識は情報の海に溺れていた。

ゼノアが起動した「最終プログラム」は、彼女の個我を情報の粒子へと分解し、永遠にタワーのOSへと融合させようとしていた。


(……寒い。……何も、見えない……)


だが、その凍てつく情報の海に、一つの「熱」が突き刺さった。

それは、ゼノアの重力攻撃に耐え、泥臭く、無様に、けれど決して折れることのないカイルの執念の鼓動だった。


(カイル……また、あなたは……ボロボロになって……)


アイリスの心臓が、強制接続されたケーブルを通じて、タワー全域に共鳴を送った。

彼女は、自身の記憶を消去しようとするプログラムに対し、あえて自分から「同調シンクロ」を深めた。消されるのではない。自分がシステムそのものになり、内側から「拒絶」を叩き込むために。


「……っ……あああぁぁっ!!」


アイリスが目を見開いた。

その瞳は、もはや人間のものではない。回路のように光る幾何学模様が走り、彼女の叫びと共に、タワー全体の青い光が「紅」へと反転した。


[エラー]:コア・ユニットが管理権限を剥奪。

[エラー]:全システム、緊急停止シーケンスを開始。


「何……!? アイリス、貴様、正気か! 自分を焼き切るつもりか!」

ゼノアの余裕が、初めて崩れた。重力場が乱れ、カイルへの圧力が消失する。


3. 垂直の咆哮

「……今だ、カイル!!」


アイリスの声が、スピーカーではなく、タワーの振動そのものとなってカイルに届いた。

カイルは残された全エネルギーを、右脚のブースターへと回した。


「う、おおおおおおおぉぉぉっ!!」


カイルは跳んだ。

重力から解放された一瞬、彼は一筋の彗星となり、ゼノアの懐へと飛び込んだ。

ゼノアは咄嗟に防壁を展開しようとしたが、アイリスによって権限を奪われたシステムは、彼の命令を拒絶した。


「点検員の、……最後の仕事だ!!」


カイルの義足から、超硬質パイルが射出された。

それはゼノアを貫くのではない。ゼノアの足元、アイリスを繋ぎ止めている「心臓核セントラル・コア」の基部――タワーのすべての嘘が集約された、その一点へと突き刺さった。


ゴォォォォォォォォォン!!!


鐘の音のような、巨大な金属音がクラウンを揺らした。

パイルがエネルギー供給路を粉砕し、アイリスを縛っていた光の鎖が、音を立てて弾け飛ぶ。


「……馬鹿な。私の、私の理想郷が……!」


ゼノアが絶叫する中、タワー全体を支えていた重力制御が消失した。

アイテリス・タワーが、その長い歴史の中で初めて、重力という真理に従い、ゆっくりと、しかし確実に、傾き始めた。


4. 断絶の果て、掴んだ手

爆風と崩落の中、アイリスを収めていたカプセルが粉砕された。

宙に放り出される、白く細い少女の体。


「アイリス!!」


カイルは、ボロボロになった身体を投げ出し、空中で彼女の手を掴んだ。

かつて脱出劇の際に離してしまった、あの手。

今度は、どんな嵐が吹いても、決して離さない。


「カイル……やっと、捕まえた……」


アイリスは、カイルの胸の中で小さく笑った。

彼女の黒く染まった髪は、過負荷の影響で再び元の白銀へと戻りつつあったが、その瞳には、もはや「標本」の面影はなかった。


「……逃げるぞ。本当の、自由へ」


背後では、タワーの最上階が崩壊を続け、ゼノアの姿は瓦礫の渦へと消えていった。

カイルとアイリスは、地表軍のサリナが差し向けた、ボロボロの救命機へと飛び込んだ。


タワーが崩れる。

高度2,500メートルから、雲海の下へと。

それは世界の終わりではなく、一人の少女と一人の男が、初めて「明日」という名の時間へ踏み出すための、豪奢な祝砲だった。

次回予告:第7-3話(最終回)「空の終わり、大地の始まり」

雲海を突き抜け、地表へと降り立つ二人。

崩壊するタワーの残骸が、大地に新たな命の糧を運ぶ。

汚染が消えゆく森で、カイルとアイリスが見つけた「本当の空」の色とは。

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