第7章:神々の黄昏(ラグナロク)
7-1:垂直の進軍
アイテリス・タワーの高度800メートル地点。いつもは鈍い機械音と汚水の流れる音しかしない「スラグ・タウン」が、かつてない震動に包まれていた。
「いい? 突入のチャンスは一度きりよ。タワーの『胃袋』から『心臓』まで、最短ルートで駆け上がる。ついてこれるかしら、点検員?」
サリナが、バイオ装甲のヘルメットを閉じながら不敵に笑う。彼女の背後では、地表軍の小型ステルス艇「リーフ・ダイバー」が、緑色の生体発光を脈動させながら待機していた。
「……ついていくんじゃねえ。俺が先導するんだ」
カイルは、ネジ爺によって極限まで「削ぎ落とされた」自身の義足を一歩踏み出した。
それはもはや脚の形をしていなかった。タワーの外壁装甲を貫くための超硬質パイルと、電磁吸着ユニットが剥き出しになった、垂直登攀専用の「槍」だ。一歩歩くごとに、神経接続された脳へ焼けるようなノイズが走る。だが、その激痛が、アイリスへの執念をより鋭く研ぎ澄ませていた。
「面白い。野郎ども、点検員を死なせるなよ! 発進!」
サリナの号令と共に、リーフ・ダイバーのハッチが開いた。
外は、猛烈な乱気流が吹き荒れる雲海の境界線。カイルは躊躇なく、その虚空へと身を投げ出した。
鋼の絶壁を駆ける
普通なら、そのまま高度数千メートルの下界へと墜落するはずだった。
だが、カイルが空中で右脚をタワーの外壁へと叩きつけると、**ガツゥゥゥン!!**という凄まじい衝撃音と共に、電磁アンカーが鋼鉄の装甲を捉えた。
「う、おおおおおおっ!!」
カイルは義足の油圧シリンダーを爆発的に収縮させ、垂直の壁を「跳んだ」。
一跳びで十メートル。
重力を無視し、垂直の絶壁を真上に向かって駆け上がるその姿は、タワーという巨大な獲物を食い破る飢えた獣そのものだった。
その背後を、サリナたちのリーフ・ダイバーが、タワーの防衛網を攪乱しながら追従する。
「……何よ、あの動き。人間業じゃないわね」
サリナが呆れたように呟く。
「管理局が奪ったんだ……人間の『普通』ってやつをな!」
通信機越しにカイルが叫ぶ。
高度1,000メートル。
タワーの自動防衛システムが、ついにこの「異物」を感知した。外壁の至る所から、隠されていたレーザー砲塔がせり出し、カイルに向かって無数の赤い光軸が収束する。
「アイリス、今だ!!」
カイルの叫びに応えるように、タワー全体の電力が一瞬だけ、激しく明滅した。
最上層でシステムに接続されているアイリスが、内側から防衛プログラムに「ノイズ」を叩き込んだのだ。
「ターゲット・ロスト」――無機質なシステム音声が響き、砲塔が迷うようにあらぬ方向を撃ち抜く。その隙を突き、カイルはさらに加速した。
第10居住区:執行官の壁
だが、高度1,500メートル付近。
上級市民が住まう「清浄区」の入り口で、彼らの前に最悪の壁が立ちふさがった。
銀色の装甲に身を包み、背中に六本の電磁ウィングを備えた特化型執行官――「セラフィム・ガード」。ゼノア直属の、感情を捨てた殺戮機械たちが、空中に整然と陣を敷いていた。
「これ以上の侵入は、タワーの秩序を乱す『悪性腫瘍』と断定する。……一掃を開始する」
一斉に放たれる高周波ブレードの雨。
サリナのリーフ・ダイバーが、回避しきれず翼を損傷し、黒煙を上げる。
「チッ、ここまでか……! カイル、あんただけでも行け!」
「冗談言うな、一人で勝てる相手じゃねえ!」
カイルは外壁にアンカーを突き刺し、空中で静止した。
彼の周囲を、三機のセラフィム・ガードが包囲する。電磁ランスが、カイルの残された生身の身体を貫こうとした、その時。
タワーの外壁自体が、まるで生き物のように蠢き、巨大な「放熱板」が猛烈な勢いで展開された。
ゴォォォォォォ!!
凄まじい熱風が、執行官たちの飛行姿勢を狂わせる。
アイリスが、タワーの排熱システムを強制稼働させ、カイルを守るための「盾」を作ったのだ。
「アイリス……見てるんだな!」
カイルは熱風の中、怯んだ執行官の一機に飛び移り、そのバイザーを素手で引き剥がした。
「どけよ……そこは、俺とあいつが駆け抜けた道だ!!」
義足のパイルが執行官の動力源を貫き、爆発。その衝撃を推進力に変え、カイルはさらに上へ、雲を突き抜けた先の「神の領域」へと手を伸ばした。
7-1:結び
高度2,000メートル。
ついに雲海を完全に脱し、目に痛いほどの純白の月光が、カイルの煤けた顔を照らし出した。
見上げれば、そこには静寂に包まれた最上層「クラウン」がある。
そしてその中心、青く光る「心臓核」の中に、すべての情報の糸を握り、祈るように目を閉じているアイリスの姿が、カイルの目にはっきりと映った。
「……待たせたな、アイリス。……今、ぶっ壊してやる」
カイルの右脚から、過負荷による火花が散る。
残る距離は、わずか数百メートル。
だが、その入り口には、白いスーツを完璧に着こなした男――ゼノアが、冷たい笑みを浮かべて立っていた。
「見上げた執念だ、カイル。だが、その足で神の庭を汚すことは許さない」
タワーの全機能を掌中に収めたゼノアが、自ら最終防衛ラインとして立ちはだかる。
空と大地、そして機械と人間。
すべての因縁が、この「空の頂」で決着しようとしていた。




