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六影相剋――記憶喪失の剣士は、六大勢力の争いの中で世界の歪みと向き合う  作者: いぬぬっこ
第二章 影醒

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第十話 影の意思

翌日、朝の光が薄く街道に差し込む頃、白黎と燕秋は天衡流会所の門前に立っていた。昨日の村落での出来事は、白黎の体内に静かな余韻を残している。影として反応するだけでなく、意思で守った結果、その感覚は新しい領域に入ったことを告げていた。燕秋は肩をすくめ、笑みを浮かべる。「さて、今日は小さな動きがある。江湖の歪みを少し覗き見る時間だ。」白黎は無言で頷き、剣を鞘に納める。目には計算され尽くした冷静さが宿っていた。


会所の門を抜けると、庭には微かな内功の気が漂い、風に混じって木の葉が揺れる。門弟たちは修練に励んでおり、その動きにさえ白黎は気配を読み取る。宗允は遠くから静かに見守り、白黎の視線を意識していないかのようだ。燕秋は小声で囁く。「ここでは、外から見えない歪みが動いている。注意して見ろ。」白黎は再び観察を始める。


昼過ぎ、会所の外で小規模な事件が起きた。村人の家から煙が上がり、門弟が駆け出す。白黎と燕秋も足を向ける。現場に着くと、盗賊の一団が家屋を襲い、財を奪って逃げようとしていた。白黎は即座に状況を分析する。人数、武器の種類、位置取り、村人の避難経路――最小限の情報で、最短の動きが必要だ。燕秋は後方で視界を広げ、情報を送る。


白黎の体が動く。剣は大きく振らない。影として流れを読み、最短で進路を遮断する。盗賊の一人が振り返り、白黎の姿を捉える。目には感情がない。だが、意思の力が宿る。その視線だけで、盗賊は足を止める。白黎は剣を軽く横に滑らせ、進路を断ち、最小限の力で相手を無力化する。燕秋も後方を封じ、逃げ道を絶つ。数が多くても、流れを二つに裂くだけで混乱は生まれる。


事件が収束し、村人は息を整えて白黎たちを見上げる。誰も感謝を口にしない。ただ、視線で「守られた」と伝える。その瞬間、白黎は自分の体に違和感のような重さを覚えた。守ることの意味、行動の結果、意思を持って選んだ影としての責任。無表情の下で、内側の感覚は確実に変化していた。


夕暮れ、会所に戻ると、宗允が静かに声をかける。「今日の行動は評価に値する。しかし、江湖の秩序は簡単ではない。内部にも、外にも、歪みは存在する。」白黎は黙って頷く。燕秋は肩を回し、微笑む。「ほらな、白黎。ここからが面白くなる。」


その夜、会所内で異変が起きた。門派の高弟と中堅の間で、内功の技法を巡る小さな争いが生じる。宗允は表面上落ち着いているが、漂う緊張を無視することはできない。白黎は見えない流れを読み取る。争いは武力ではなく、心理の均衡で制御されていた。燕秋が横で囁く。「今度は戦闘じゃない、駆け引きだ。」


白黎は一歩踏み出す。剣は使わない。内功と呼吸を微かに巡らせ、緊張の波を読み解く。小さな動作で、門弟たちの意識を外に向けさせる。争いの中心が揺らぎ、心理的均衡が崩れる。すると互いの牽制は自然に止まり、争いは収束する。殺さず、抑えず、ただ流れを整える。影としてではなく、意思を持つ者としての力が発揮された。


宗允は白黎を一瞥する。表情にわずかだが確かな認識が宿る。「君は、影としてだけではないな。意思を持って動く影……これが、江湖で何を意味するのか、見極めねばならぬ。」白黎は無言で答える。剣を鞘に納め、燕秋と共に静かに夜の会所を歩く。影が歩む道は、まだ長く、そして重い。


夜風が瓦屋根を撫で、庭の水面が微かに揺れる。白黎は胸の奥で、昨日の村落、今日の小規模任務、会所での抗争――すべてを反芻する。無表情のまま、内側では意思が芽生えている。その意思は、影としての反応を超え、守る者としての責任を伴うものだった。


燕秋がそっと囁く。「これで準備は整った。江湖の歪みは、これからもっと大きくなる。」白黎は微かに頷き、夜の空を見上げる。月明かりは冷たく、そして明晰だ。影として、意思を持つ者として、彼の歩みは始まったばかりだった。

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