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婚約を外された私は、敵国公爵に拾われました  ―役目を失った令嬢の、静かな逆転劇―  作者: 月岡紬


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第5話 保護する理由

帝国公爵の一行が野営地を発ったのは、夜明け前だった。


空はまだ薄暗く、星の名残がかすかに残っている。馬の蹄が地を踏む音だけが静かな森に響き、誰も無駄口を叩かない。移動は迅速で、効率だけを追求した動きだった。


セラは馬車に乗せられていた。昨夜の簡易的なものとは違い、内装は質素だが堅牢で、護衛の意図がはっきりしている。


――守るため、というより、管理するため。


向かいに座る人物はいない。護衛は外。完全に隔離された空間だ。だが不思議と、昨夜森に一人取り残された時のような恐怖はなかった。


「……生き延びる、ってこういうことなのね」


小さく呟き、膝の上で手を握る。


しばらくして馬車が止まった。扉が開き、外気が流れ込む。


「降りろ」


声の主は、エルヴィスだった。


馬車を降りると、そこは石造りの屋敷の前だった。城と呼ぶには小さいが、貴族の邸宅としては十分すぎる威圧感がある。無駄な装飾はなく、壁は高く、門は堅牢だ。


――帝国らしい。


「ここが、しばらくの居場所だ」


エルヴィスはそう言って、さっさと中へ入っていく。セラは一瞬立ち尽くしたが、促されるまま後に続いた。


屋敷の内部は整然としていた。侍女や使用人の動きに無駄がなく、視線は一斉にセラへ向けられるが、すぐに逸らされる。その反応が、はっきりと彼女の立場を示していた。


――客ではない。

――だが、無関係でもない。


応接室に通される。簡素な調度。だが一つ一つが高価で、機能的だった。


エルヴィスは椅子に腰を下ろし、セラに向き直る。


「さて」


その一言で、空気が引き締まる。


「君をここへ連れてきた理由を話す」


セラは背筋を伸ばした。ここからが、本題だ。


「君は王国で、何をしていた」


「……補佐役候補です」


「誰の」


一瞬、躊躇が走る。


だが、ここまで来て隠し通せるとは思えなかった。


「王太子殿下の」


エルヴィスの視線が、わずかに鋭くなる。


「ほう」


それ以上、感想はなかった。


「魔力は」


「平均以下です」


即答だった。隠す理由はない。


「だが、政治教育は受けている」


「……はい」


エルヴィスは、指先で机を軽く叩いた。


「使えない魔力。だが、使える頭」


その言葉に、胸がちくりと痛む。


だが否定はできない。それが、彼女が生き残ってきた理由だった。


「王国が君を切った理由も、理解できる」


冷静な分析。感情は挟まれない。


「君は王妃には向かない。だが、補佐としては優秀だ」


セラは視線を落とした。


評価されることに、慣れていないわけではない。だが、それを“切り捨てた側”の論理で語られるのは、想像以上に堪えた。


「……では、私は」


「帝国にとって、即座に価値があるとは言わない」


エルヴィスははっきりと告げる。


「だが、放置するには惜しい」


その言い方に、セラは小さく息を呑んだ。


「君を保護した理由は三つある」


一つ目、と指を立てる。


「君が、敵国の中枢教育を受けていること」


二つ目。


「君が、すでに切り捨てられていること」


三つ目。


「君が、自分の価値を過小評価していること」


最後の理由に、セラは思わず顔を上げた。


「……それが、理由に?」


「なる」


エルヴィスは即答する。


「自分を安く見積もる人間は、使いやすい。だが同時に、正しく扱えば化ける」


淡々とした言葉。だが、その奥にあるのは、冷酷な現実主義だった。


「私は君を、帝国の道具として即座に使うつもりはない」


セラは息を止める。


「だが、不要と判断すれば、王国以上に容赦なく切る」


はっきりとした宣告。


「それでも、ここにいるか」


問いは、短い。


選択肢は二つしかない。


――戻る場所は、もうない。

――ならば。


「……はい」


セラは、はっきりと答えた。


エルヴィスは、その返答を聞いて初めて、わずかに満足そうな表情を見せた。


「いい」


立ち上がり、扉へ向かう。


「まずは休め。明日から、君の“役割”を決める」


その背中を見送りながら、セラは胸の奥が静かに波打つのを感じていた。


保護されたわけではない。

救われたわけでもない。


それでも。


――ここには、まだ終わりはない。


そう思えただけで、今は十分だった。

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