第26話 役割が違えば、見え方も違う
午後の会合は、午前よりも緊張感を帯びていた。
帝国側が条件を修正したことで、商会側も譲歩点を探らざるを得なくなった。互いに一歩ずつ踏み込み、引き、探る。そのやり取りは静かだが、刃の応酬に近い。
セラは、午前と同じ位置に座り、資料を整理していた。
だが、周囲の視線が変わっていることに気づく。
――さっきの発言で、立場が変わった。
末席ではあるが、「ただの記録係」ではなくなった。代表が時折、確認のために視線を投げてくる。それに短く頷き、必要なときだけ口を開く。
「この条件の場合、倉庫使用期間はどうなりますか」
「二年です」
「覚書では、更新時に再交渉の余地があるとされています」
代表が、即座に言葉を継いだ。
セラは内心で息を整えた。
――私は、前に出なくていい。
必要なところで、必要なだけ支える。
それが、今の自分の役割だ。
エルヴィスは、何度かこちらを見ていた。
それは監視ではない。
判断でもない。
「確認」の視線だ。
この場で、彼は帝国の代表であり、
セラは中立都市の商会の一員。
かつてのような上下関係は、ここには存在しない。
交渉が進む中で、決定的な論点が持ち上がった。
通行路の警備責任を、どちらがどこまで負うのか。
曖昧にすれば、後で必ず揉める部分だ。
帝国側は、自国の影響力を前提に条件を出してくる。
商会側は、中立を盾に譲らない。
議論が、停滞した。
そのとき、商会代表が、ちらりとセラを見る。
合図だった。
セラは、ゆっくりと口を開く。
「警備責任を地域で分けるのはいかがでしょう」
一斉に視線が集まる。
「主要通行路は帝国側、支線と倉庫周辺は商会側が担当する。
ただし、合同巡回を条件にすることで、中立性は保てます」
短く、簡潔に。
感情は挟まない。
利点と、落とし所だけを示す。
エルヴィスが、わずかに目を細めた。
「合同巡回……」
彼は、数秒考えた後、頷いた。
「現実的だ」
帝国側の随員が小声で意見を交わす。反論は出ない。
商会代表も、ゆっくりと息を吐いた。
「その案で進めましょう」
決まった。
会議室に、目に見えない重さが落ちる。
それは、合意の重みだった。
セラは、手元の書類に決定事項を書き込む。指先は落ち着いている。心臓も、変に高鳴ってはいない。
――通った。
それだけだ。
休憩時間。
代表が、セラに小さく声をかけた。
「助かった」
一言。だが、確かな感謝。
「いえ。役割ですから」
そう答えると、代表は少しだけ笑った。
「謙虚すぎるのも、考えものだぞ」
その言葉に、セラは返事をしなかった。
謙虚なのではない。
ただ、自分の立ち位置を知っているだけだ。
会議の終盤、エルヴィスが発言する場面があった。
「本件については、帝国としても前向きに評価する」
その声が、会議室に響く。
だが、彼の視線は、代表ではなく、
ほんの一瞬、セラに向けられていた。
――認識された。
管理対象としてではない。
対話の相手として。
会議が終わり、人々が席を立つ。
交わされるのは、形式的な挨拶と、探るような笑顔。
セラは資料をまとめ、立ち上がった。
そのとき、背後から声がかかる。
「……変わったな」
振り向くと、エルヴィスが立っていた。
午前と同じ距離。だが、空気は少し違う。
「何が、でしょうか」
「立ち方だ」
短い答え。
「以前は、誰かの判断を待っていた。今は、自分で場を読んでいる」
それは、評価だった。
だが、かつてのような一方的なものではない。
「そう見えるなら、ここで学びました」
セラは、はっきりと言った。
「与えられた役割ではなく、
自分で選んだ立場の中で」
エルヴィスは、黙ったまま、彼女を見ていた。
何かを言おうとして、
そして、飲み込んだように見えた。
「……次は、もう少し厄介な条件になる」
「ええ。承知しています」
「それでも、君なら対応できる」
その言葉は、初めてだった。
“役に立つ”ではない。
“対応できる”。
能力への信頼。
セラは、小さく息を吸い、吐いた。
「ありがとうございます」
その一言に、特別な感情は乗せない。
だが、胸の奥で、何かが静かに定まった。
役割が違えば、
見え方も違う。
そして今、
私はもう――
誰かに使われるために、ここに立っているのではない。
自分で選んだ場所で、
自分の判断で、
この場にいる。
その事実が、
何よりも確かな支えになっていた。
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