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婚約を外された私は、敵国公爵に拾われました  ―役目を失った令嬢の、静かな逆転劇―  作者: 月岡紬


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第25話 再会は、交渉の席で

中立交易都市リュネスの会議棟は、朝から慌ただしかった。


石造りの大広間には長机が並べられ、各商会の代表や代理人が席に着いている。王国寄り、帝国寄り、そのどちらでもない者たちが混在するこの場では、肩書きよりも発言の重みが物を言った。


セラは、商会側の実務担当として末席に座っていた。


末席――だが、記録と確認を一手に引き受ける位置。数字と条件の矛盾を見逃さない役割だ。誰かに与えられた立場ではない。自分で掴み、維持してきた場所だった。


「帝国使節団、入場します」


扉が開く。


空気が一段、引き締まった。


先頭に立つ男を見た瞬間、セラは無意識に背筋を伸ばしていた。


――エルヴィス・アルドレイン。


濃紺の外套、無駄のない軍装、変わらぬ立ち姿。だが、どこか印象が違う。距離があるのだ。かつて執務室で感じていた、管理される側としての圧迫感がない。


彼は、こちらを見なかった。


それでいい、とセラは思った。ここは私的な再会の場ではない。役割の違う人間同士が、条件を持ち寄る場所だ。


交渉は淡々と始まった。


通行税、倉庫使用権、警備費用の分担。どれも数字と期限の話だ。帝国側は強気に出るが、商会側も譲らない。中立都市の利点は、力の均衡にある。


「その条件では、継続的な取引は難しい」


商会代表が言う。


「帝国としては妥協できない」


エルヴィスの声が低く響く。


セラは、書類に視線を落としたまま、違和感を拾い上げた。条項の順序。参照されている過去契約。そこに、意図的な抜けがある。


彼女は、ゆっくりと手を挙げた。


「補足を」


代表が視線を向ける。


「第三条の条件ですが、五年前の中立協定を基準にしています。しかし、その後に締結された追加覚書では、警備費用の上限が明記されています」


場が静まった。


帝国側の随員が書類をめくる。商会側も同じ箇所を確認する。


エルヴィスが、初めてこちらを見た。


視線が合う。


だが、そこにあったのは驚きではなく、確認だった。


「……その通りだ」


彼は、即座に認めた。


「こちらの提示に不備があった」


ざわめきが広がる。帝国側が非を認めるのは、簡単なことではない。


「条件を修正する。上限を覚書通りに」


交渉は、一気に動いた。


セラは再び視線を落とし、記録を続ける。胸は不思議なほど静かだった。認められた、という感情よりも、正しいことを正しく通したという実感がある。


会議は昼過ぎに一段落した。


非公式の休憩時間。人々が席を立ち、声を潜めて情報を交換する。セラは資料をまとめ、立ち上がろうとした。


「――少し、話せるか」


背後から、低い声がした。


振り返ると、エルヴィスが立っていた。随員はいない。だが、距離は保たれている。


「業務上のことでしたら」


セラは、落ち着いた声で答えた。


「今の発言について」


それだけで、用件は十分だった。


二人は大広間の端、柱の影に移動した。完全な私語にはならない、曖昧な距離。


「君の指摘は正確だった」


評価。だが、昔のそれとは違う。管理者のものではない。


「商会の判断か」


「私の確認です」


セラは即答した。


エルヴィスは、一瞬だけ黙った。


「……立場が変わったな」


「ええ」


短く、しかしはっきりと。


彼は、何かを言いかけて止めた。名前を呼ぶ気配。だが、呼ばれなかった。


それでいい。


「次の会合で、改めて条件を詰める」


「承知しました」


形式的なやり取り。けれど、そこに上下はなかった。


別れ際、エルヴィスが一言だけ付け加える。


「――こちらに、来いとは言わない」


セラは、わずかに口角を上げた。


「分かっています」


彼が去る。背中は変わらない。だが、もう追いかけたいとは思わなかった。


机に戻り、セラはペンを取る。


ここは交渉の席。

再会は、感情ではなく、条件の上で起きた。


それで十分だった。

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