第22話 それでも、立つ
小さな紙に書かれていた住所は、倉庫街の外れにあった。
立派とは言えない石造りの建物で、看板も控えめだ。帝国絡みの派手な商会とは違い、通り過ぎる人の多くは気にも留めない。だが、扉の前に立った瞬間、セラはここが“仕事の場所”だと直感した。
扉を叩くと、すぐに中から声がした。
「どうぞ」
応接室は簡素だが整っている。机の上には帳簿と書簡が積まれ、無駄な装飾はない。奥から現れたのは、三十代半ばほどの女性だった。鋭い目つきだが、無駄な警戒はしていない。
「募集の件で」
セラがそう言うと、女性は一度だけ頷いた。
「名前は」
「……セラです」
姓は、まだ言わない。
「経験は」
セラは、隠さなかった。
「帳簿整理、取引記録の確認、交渉補助。
帝国領内での実務経験があります」
女性の視線が、ほんの一瞬だけ動いた。
「帝国、ね」
警戒でも、期待でもない。ただの事実確認。
「ここでは、肩書きは使わない」
そう言って、帳簿を一冊差し出す。
「これを見て。
どこが気になる?」
試すような問いだった。
セラは帳簿を開き、数ページめくる。取引先、金額、期日。ぱっと見では問題ない。だが、流れを追ううちに、小さな歪みが見えた。
「この取引、条件が途中で変わっています」
女性が、眉を動かす。
「続けて」
「変更自体は合意されていますが、
こちら側の不利が大きい。
修正案を出さなければ、次回で揉めます」
短く、要点だけ。
女性は、しばらく黙って帳簿を見直し、やがて息を吐いた。
「……そうね」
それだけで、十分だった。
「条件は?」
セラが尋ねると、女性は即答した。
「短期。
賃金は平均より少し下。
保証はなし」
正直だ。
「それでもいい?」
セラは、一瞬だけ考え、頷いた。
「はい」
条件が良いからではない。
ここなら、“帝国の看板”なしで立てる。
女性は、セラをじっと見てから言った。
「うちは、仕事ができなければ切る。
情けはかけない」
「承知しています」
「でも」
一拍。
「できる人間は、ちゃんと見る」
それは、約束ではない。
だが、信用の芽だった。
その日から、セラはその商会で働き始めた。
仕事は地味で、量も多い。だが、判断を求められる場面が多く、責任も伴う。誰かの名前を借りる余地はなかった。
夕方、書類をまとめていると、女性が声をかけてきた。
「さっきの件、助かった」
短い一言。
胸の奥が、静かに温かくなる。
「役割を果たしただけです」
そう答えると、女性は小さく笑った。
「それが、立っているってことよ」
宿へ戻る道すがら、セラは空を見上げた。
帝国の旗は、今日も街のどこかで揺れている。
それでも、自分の足元は、昨日より確かだった。
誰かに選ばれなくても。
肩書きがなくても。
それでも、立つ。
この街で、
私はもう――
自分の居場所を、作り始めていた。
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