第21話 選ばないという選択
翌日、街の空気はさらに張りつめていた。
帝国の使節団が滞在を延ばした、という噂が流れ、商会の動きも慌ただしい。条件の良い仕事の話が増え、酒場では「帝国絡みなら安全だ」という声が聞こえるようになっていた。
セラは、その喧騒から少し距離を置いて歩いていた。
――誘いが来る。
そう予感していたし、実際に避けられなかった。
倉庫街の一角、小さな商会の主人に呼び止められる。
「帝国の事務官が、人を探している」
単刀直入な言い方だった。
「帳簿が読めて、交渉の流れが分かる人間だ。
条件は、悪くない」
悪くない、どころではないだろう。
保証、賃金、安全。
今まで苦労して積み上げたものを、一気に飛び越えられる話だ。
「……私で、いいのですか」
確認すると、主人は肩をすくめた。
「帝国公爵の下にいたんだろう」
胸の奥が、ひくりと鳴る。
――知られている。
この街では、情報が金よりも早く回る。
「その名前を出せば、話は早い」
主人は、悪気なく言った。
「楽になるぞ」
楽になる。
それは、甘い言葉だった。
一瞬、頭の中に浮かぶ光景。
整えられた執務室。
用意された机。
役割と、安全。
あの場所は、確かに居心地がよかった。
「……断ります」
セラは、静かに言った。
主人が、目を丸くする。
「正気か」
「はい」
即答だった。
「帝国を頼れば、今までの努力が無駄になるわけではありません」
セラは、言葉を選びながら続ける。
「でも、私は――
“帝国にいた人間”として評価される場所には、立ちたくない」
主人は、しばらく黙り込んだ。
やがて、呆れたように笑う。
「損な生き方だな」
「そうかもしれません」
それでも、声は揺れなかった。
主人は、手を振る。
「勝手にしろ。
だが、後悔するなよ」
「後悔は、選ばなかった時にします」
主人は、それ以上何も言わなかった。
その場を離れ、街路を歩く。
胸は、静かだった。
不思議なほど、迷いがない。
――私は、もう知っている。
楽な選択が、
必ずしも正しいわけではないことを。
午後、掲示板の前で足を止める。
帝国関連の張り紙は、相変わらず目立つ。
だが、その隣に、小さな紙が貼られていた。
〈商会内実務補助・短期〉
〈条件応相談〉
控えめで、誰も気に留めていない。
セラは、その紙をじっと見つめた。
――これでいい。
帝国の名を借りなくても、
選ばれなくても。
私は、私の条件で、立つ。
紙を剥がし、懐に入れる。
夕方、宿の部屋で、簡単な準備をする。
名前を書くか、書かないか。
それも、自分で決める。
窓の外では、帝国の旗が風に揺れている。
セラは、視線を逸らした。
選ばないという選択。
それは、逃げではない。
自分の足で立つための、
はっきりとした意思表示だった。
この街で、
私はもう――
「誰かの看板」で生きる人間ではない。
そう胸に刻み、
セラは灯りを落とした。
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