第2話 静養という名の退去
王城の鐘が、正午を告げていた。
その音を、セレスティア・エルフォードは部屋の中で聞いていた。昨日までと何も変わらないはずの鐘の音が、今日はひどくよそよそしく感じられる。まるで、「ここはもうあなたの場所ではない」と念を押されているようだった。
机の上には、今朝届けられた封書が一通、きちんと中央に置かれている。封蝋には王城の紋章。開封するまでもなく、内容は察しがついた。
――静養、だったわね。
昨夜はほとんど眠れなかったが、不思議と頭は冴えていた。こうなることを、どこかで予想していたからだろう。役目を終えた人間が、王都に長く留まる理由はない。
封を切り、書面に目を通す。
形式ばった文面。丁寧な言葉遣い。だが、そのどれもが「去れ」と同じ意味を持っていた。
・王都を離れること
・指定された地域で静養に入ること
・当面、城への立ち入りは認めないこと
実家の名は、どこにも書かれていなかった。
「……帰れない、のね」
ぽつりと零れた声は、部屋に吸い込まれて消える。
扉をノックする音がした。
「セレスティア様。移送の件でご説明に参りました」
入ってきたのは、見覚えのある下級役人だった。彼は視線を合わせないまま、淡々と話を進める。
「本日中に王都を出ていただきます。護衛は最低限ですが、道中の安全は保証されています」
最低限、という言葉が妙に耳に残った。
「……質問しても?」
「はい」
「もし、途中で何かあった場合――その責任は?」
一瞬の沈黙。役人はほんのわずかに言葉を選んだ。
「不可抗力、という扱いになります」
なるほど、とセレスティアは心の中で頷いた。
守る価値は、もう高くない。
「分かりました。従います」
役人は安堵したように一礼し、部屋を出ていった。
荷造りはすでに始まっていた。侍女たちは必要最低限の荷物だけを選び、手早くまとめていく。その動きに、迷いはない。
「……随分、手慣れているのね」
思わずそう言うと、年若い侍女が一瞬だけ手を止めた。
「申し訳ありません。ですが……その、静養に向かわれる方は、珍しくありませんので」
珍しくない。つまり、それだけ多くの人が、同じようにこの城を去ってきたということだ。
馬車が用意されたのは、裏門だった。
正門を通らない。その配慮が、逆に立場をはっきりさせている。
乗り込む前に、セレスティアは一度だけ城を振り返った。高くそびえる白い壁。幼い頃から、ここが世界のすべてだった。
「……さようなら」
誰に向けた言葉でもない。
馬車は静かに動き出した。
護衛は二名。会話はない。必要以上に周囲を警戒する様子もなく、ただ任務をこなしているだけだった。
王都を離れるにつれ、道は次第に荒れていく。整備された石畳が土に変わり、街並みが途切れ、森が増える。
――本当に、外に出るのね。
王都の外の世界は、知識としては知っている。だが、実感としてはなかった。自分がそこに属する日が来るとは、考えたこともなかったのだ。
夕刻、馬車は森の近くで休憩に入った。
「この先は道が悪くなりますので」
護衛の一人が、事務的にそう告げる。
セレスティアは頷き、水を一口飲んだ。その瞬間、胸の奥に、言いようのない不安が広がった。
――もし、ここで何か起きたら。
その先の想像を、頭が勝手に続ける。
誰が本気で守ってくれるだろう。
誰が責任を取るだろう。
答えは、分かりきっていた。
彼女は、もう重要人物ではない。
だからこそ、不思議だった。
怖いはずなのに、どこかで思ってしまう。
――これで、本当に終わるのかしら。
役目を失い、王都を追われ、名前も立場も薄れていく。その先に何があるのか、分からない。
それでも。
馬車が再び動き出したとき、セレスティアは小さく目を閉じた。
王城にいた頃よりも、胸が苦しい。
それなのに、ほんのわずかだけ――息がしやすい気もしていた。
それが何を意味するのか、彼女はまだ知らない。
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