第19話 選ばれなかった過去
仕事のない朝は、もう珍しくなくなっていた。
セラは宿の小さな窓を開け、街の音を聞く。商人の声、荷車の軋み、遠くの鐘。リュネスは今日も変わらず動いている。自分が忙しくても、そうでなくても。
それが、この街の正しさだった。
机の上に、昨日の帳簿の写しが置いてある。整理した数字の列を見ていると、自然と記憶が引き寄せられた。
――王城の回廊。
――補佐役としての自分。
あの頃、なぜ選ばれなかったのか。
ずっと「足りなかったのだ」と思ってきた。
魔力。
血筋。
華やかさ。
理由はいくつも並べられる。だが、それだけではなかったのではないかと、今は思える。
「……私は、前に出る人間じゃなかった」
独り言のように呟く。
主役になりたいわけではなかった。
注目を浴びたかったわけでもない。
整えること。
支えること。
混乱が起きる前に、静かに手を打つこと。
それが、自分の得意分野だった。
王太子の隣に立つには、
あまりにも地味で、
あまりにも実務的すぎた。
――向いていなかったのだ。
それは、否定ではない。
評価でもない。
ただの、事実。
昼前、倉庫街を歩いていると、以前の商人に呼び止められた。
「この前の帳簿、揉めずに済んだ」
短い報告。
「それは、何よりです」
「……あんた、前はどこにいた」
不意に、そう聞かれた。
セラは、少し考え、答えた。
「選ばれなかった場所です」
商人は一瞬、怪訝な顔をし、やがて鼻で笑った。
「この街じゃ、普通だな」
それだけ言って、背を向ける。
その言葉が、胸にすっと落ちた。
ここでは、
選ばれなかったことは、
特別な烙印ではない。
むしろ、当たり前だ。
午後、広場の縁に腰を下ろし、行き交う人々を眺める。
誰もが、何かを選ばれ、
同時に、何かから落ちてきた人間だ。
それでも、歩いている。
セラは、静かに息を吸った。
「……被害者でいるのは、もう終わり」
王国での自分は、確かに切り捨てられた。
だが、それだけで人生が決まるわけではない。
選ばれなかった理由を、
恨みに変えなくてもいい。
「向いていなかった」
それだけで、十分だ。
夕暮れ、宿へ戻る途中、掲示板の前で足を止めた。
新しい張り紙が増えている。
小さな商会の、短期の実務補助。
条件は、相変わらず厳しい。
だが、目が自然とそこに留まった。
「……応募してみるか」
声に出して言う。
選ばれなかった過去が、
今の自分を否定する理由にはならない。
むしろ、
今の自分が立つ場所を、
はっきりと示してくれている。
部屋に戻り、簡単な書き付けを用意する。
名前は、まだ書かない。
だが、能力は書く。
経験は、隠さない。
セラは、紙を折り、封をする。
選ばれなかった過去を、
ようやく背負えるようになった。
それは、前に進めるようになった証だった。
この街で、
私はもう――
「落ちてきた人間」ではない。
自分の足で、
次の場所を選ぶ人間になっていた。
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