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婚約を外された私は、敵国公爵に拾われました  ―役目を失った令嬢の、静かな逆転劇―  作者: 月岡紬


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第17話 値段をつけられる

倉庫街の朝は早い。


日の出前から人が動き、荷が運ばれ、金の話が始まっている。セラは通りの端で足を止め、いつものように様子を眺めていた。


――見られている。


ふと、そんな感覚があった。


気のせいではない。視線の重さが、昨日までとは違う。倉庫の奥、古い石壁の前に立つ男が、こちらを観察している。


中年で、身なりは質素だが、目が鋭い。商人だ。長くこの街で生きてきた人間の目をしている。


男は、セラに近づいてきた。


「昨日のことだが」


不意に声をかけられ、セラは顔を上げた。


「湿った布袋の件」


昨日の商人とは、別の人物だ。


「見ていた」


そう言われ、胸が一瞬だけ強張る。


「余計な口出しだと思ったが……筋は通っていた」


男は腕を組み、しばらく黙ってから続けた。


「帳簿も見れるな」


問いではなく、確認。


「はい」


短く答える。


「計算も、状況も」


「できます」


男は、ふっと口角を上げた。


「率直に言おう」


一拍。


「金は出せない」


その言葉は、意外でも何でもなかった。


「だが、仕事はある」


セラは、相手の目を見たまま、黙って待った。


「短期だ。三日。

帳簿整理と、取引内容の確認」


条件が続く。


「賃金は、安い」


はっきりと言われた。


「保証もない。

名前も、契約書もない」


――それでも。


「どうする」


その問いに、セラは即答しなかった。


胸の奥に、わずかな抵抗が生まれる。


安い。

軽く見られている。

値踏みされている。


だが同時に、理解もあった。


――今の私の“値段”だ。


「受けます」


はっきりと答えた。


男は、意外そうに眉を上げた。


「文句はないのか」


「あります」


セラは正直に言った。


「ですが、今は条件を選ぶ段階ではありません」


そして、続ける。


「私の仕事の内容を、見てから判断してください」


男は、数秒黙り、やがて頷いた。


「いいだろう」


「商会名は?」


「名乗るほどでもない小さな商いだ」


それも、正直だ。


倉庫の一角、簡素な机に帳簿が積まれていた。古く、雑多で、修正も多い。整理されていないが、致命的な間違いはない。


セラは、腰を下ろした。


ペンを取り、ページをめくる。


頭が切り替わる。

感情が、静まる。


数字を追い、取引の流れを組み立て直す。

曖昧な記述に印を付け、後で確認すべき点を分ける。


時間が過ぎるのを、忘れていた。


「……ほう」


男の低い声が、耳に届く。


顔を上げると、彼は帳簿の上に置かれた付箋を見ていた。


「これは?」


「取引先ごとに、支払い条件が違います。

ここを分けないと、また揉めます」


「……確かに」


男は、ゆっくりと頷いた。


「三日で、どこまでできる」


「全体の流れは整えられます。

完璧にはなりませんが」


「十分だ」


即答だった。


夕方、簡素な袋に入った銅貨が渡された。


約束通り、安い賃金。

だが、誤魔化しはなかった。


「また、頼むかもしれん」


男は、それだけ言った。


セラは袋を受け取り、軽く頭を下げた。


「ありがとうございます」


宿へ戻る道すがら、袋の重さを確かめる。


多くはない。

だが、初めて――

この街で、自分の仕事に値段がついた。


値踏みされた。

軽く扱われた。


それでも、ゼロではない。


部屋に戻り、袋を机に置く。


「……これが、始まりね」


呟く声は、静かだった。


誰かに与えられた価値ではない。

自分で差し出し、受け取った価値。


安くても、

それは確かに――

セラ自身の値段だった。

本話もお読みいただき、ありがとうございました!


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