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婚約を外された私は、敵国公爵に拾われました  ―役目を失った令嬢の、静かな逆転劇―  作者: 月岡紬


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第13話 居場所のない街

中立交易都市リュネスは、思っていたよりも騒がしかった。


石造りの城壁をくぐった瞬間、音が一気に押し寄せてくる。商人の呼び声、馬車の軋み、異国語の飛び交うざわめき。王都の整然とした喧騒とも、帝国の軍紀に縛られた静けさとも違う、無秩序に近い活気だった。


セラは、街門の内側で立ち止まった。


護送の兵は、すでにいない。

「ここまでだ」と言われ、最低限の路銀だけを渡されて、背を向けられた。


振り返っても、もう誰もいない。


――本当に、一人だ。


胸の奥で、小さく現実が形を持つ。怖さはある。だが、森に置き去りにされたときのような恐怖ではない。ここでは、少なくとも「殺されはしない」。


生きるかどうかは、

自分次第だ。


まずは宿を探そうと、通りを歩く。看板の文字は読めるが、店ごとに使う言語が違う。帝国語、王国語、そのどちらでもない言い回しも多い。


最初の宿で、女将に声をかけた。


「部屋をお借りしたいのですが」


女将は、ちらりとセラを見て、すぐに視線を外した。


「長期?」


「……当面は」


「保証人は」


「いません」


即座に、首を振られる。


「悪いね。短期ならともかく、当面は無理だよ」


二軒目、三軒目も同じだった。

理由は様々だが、結論は変わらない。


――身元が、ない。


王国でも帝国でも、名と家は通用した。

だが、ここではそれが逆に警戒材料になる。


四軒目で、ようやく古い宿に空きがあった。


「一晩だけなら」


そう言われ、条件を飲む。部屋は狭く、窓も小さい。それでも、屋根と鍵があるだけで十分だった。


荷を下ろし、ベッドに腰掛ける。


――ここが、今の私の場所。


そう思おうとして、言葉が胸に引っかかった。


場所はある。

だが、居場所ではない。


翌日から、仕事を探し始めた。


商会の掲示板、酒場の張り紙、路地の噂話。

帳簿整理、翻訳、交渉補助。できることは多いはずなのに、声をかけるたびに同じ質問をされる。


「どこの出だ」


「保証はあるか」


「前の雇い主は」


答えに詰まるたび、視線が冷える。


「……そうか」


そう言って、話は終わる。


昼過ぎ、路地裏の簡易食堂で硬いパンをかじりながら、セラは手を止めた。


――私は、何者でもない。


王太子の補佐役候補でもない。

帝国公爵の事務補佐でもない。

ただの、名の通らない女だ。


それなのに、胸の奥に奇妙な感覚があった。


寂しさでも、絶望でもない。

もっと乾いた感情。


――期待されていない。


それは、痛い。

だが同時に、軽くもあった。


午後、商会の倉庫街を歩いていると、言い争う声が聞こえた。


「帳簿が合わないんだ!」


「そんなはずはない!」


足を止める。

口を出すつもりはなかった。だが、声の内容が耳に残る。


数字の勘違い。

日付のずれ。

よくある話だ。


――でも。


セラは、しばらく迷った末、声をかけた。


「失礼します。確認だけ、しても?」


二人の男が、怪訝そうにこちらを見る。


「誰だ、あんた」


「通りすがりです」


それだけ言って、帳簿を指差す。


「ここ、計算方法が途中で変わっています。合わなくて当然です」


一瞬の沈黙。


男の一人が帳簿を見直し、顔色を変えた。


「……本当だ」


もう一人が舌打ちする。


「なんだよ、それ」


感謝はされなかった。

礼もなかった。


それでも、セラは一歩引き、頭を下げた。


「余計なことでしたら、失礼しました」


背を向けて歩き出す。


胸は、不思議と静かだった。


――役に立っても、呼び止められない。


それが、この街だ。


宿に戻る夕暮れ、石畳が夕日に染まる。

人々は忙しなく行き交い、誰も彼女を気に留めない。


部屋に戻り、窓辺に立つ。


「……居場所のない街、か」


呟いて、少しだけ笑った。


だが、胸の奥で、確かな火が灯っている。


誰も用意してくれないなら、

ここでは、自分で作るしかない。


役割も、信用も、

そして――

呼ばれる名前も。


セラは、静かに深呼吸をした。


物語は、まだ終わらない。

ここからが、本当の始まりだった。

本話もお読みいただき、ありがとうございました!


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