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婚約を外された私は、敵国公爵に拾われました  ―役目を失った令嬢の、静かな逆転劇―  作者: 月岡紬


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第11話 それでも、役に立ちたい

翌朝、目が覚めた瞬間に、胸の奥が重く沈んだ。


理由は分かっている。

昨日告げられた言葉が、まだ身体の内側に残っているのだ。


――仮の滞在者。

――準備をしておけ。


セラは静かに身を起こし、身支度を整えた。鏡に映る自分の顔は、驚くほど平静に見える。泣き腫らした跡もない。取り乱した様子もない。


それが、少し怖かった。


執務室へ向かう足取りは、昨日までと変わらない。扉を叩き、中へ入る。


エルヴィス・アルドレインは、すでに机に向かっていた。視線が一瞬こちらを向くが、すぐに書類へ戻る。


「……おはようございます」


「来たか」


それだけ。


線引きはされた。

だが、仕事は終わっていない。


セラは自分の机に向かい、昨日途中だった書類を手に取った。指先が、自然と動く。文字を追い、数字を確認し、矛盾を拾い上げる。


頭が働くうちは、余計なことを考えずに済む。


「……この件ですが」


意識して、いつも通りの声量で話しかける。


エルヴィスは顔を上げた。


「続けろ」


「交渉記録の中で、相手国の主張が途中から変わっています。ですが、こちらの反論が弱い。背景を補足した方がよろしいかと」


一瞬の沈黙。


エルヴィスは書類を引き寄せ、目を通す。


「……その通りだ」


短い肯定。


セラの胸が、ほんのわずかに緩んだ。


――まだ、必要とされている。


その事実に縋りついている自分を、はっきりと自覚する。


昼を過ぎても、仕事は続いた。エルヴィスは必要な指示だけを出し、セラはそれに応える。昨日までと、何も変わらない。


変わったのは、セラの内側だけだ。


――ここにいられる時間は、残り少ない。


そう思うと、不思議な焦りが湧いてくる。


もっと役に立たなければ。

もっと必要とされなければ。


それは、王城で抱いていた感情と、よく似ていた。


午後、セラは自分から資料を探しに書庫へ向かった。追加で確認すべき点がある。頼まれてはいないが、やるべきだと思った。


書庫は静かで、紙の匂いが濃い。


――こうしていれば、まだここに居られる。


自分に言い聞かせるように、棚から資料を引き抜く。


気づけば、時間が経っていた。


「……まだいたのか」


背後から声がして、肩が小さく跳ねる。


振り向くと、エルヴィスが立っていた。


「申し訳ありません。確認したい点がありまして」


セラは資料を差し出す。


「この記録ですが、過去の処理と矛盾があります。今後の交渉に影響が出るかと」


エルヴィスは受け取り、目を通した。


「……よく気づいた」


それだけ言って、資料を閉じる。


「だが、今日はここまでだ」


思いがけない言葉だった。


「え……?」


「これ以上やれば、効率が落ちる」


事務的な理由。だが、その声音には、僅かな遮断があった。


「君は、必要以上に動きすぎている」


セラの喉が、きゅっと締まる。


――気づかれていた。


「……申し訳ありません」


反射的にそう言うと、エルヴィスは眉を寄せた。


「謝る必要はない」


一拍置いて、続ける。


「だが、覚えておけ。働きすぎは、評価を上げない」


その言葉は、忠告だった。


セラは、俯いたまま頷いた。


「……はい」


書庫を出るとき、胸の奥がざわついていた。


役に立ちたい。

必要とされたい。


それが、いつの間にか「しがみつく」ことに変わっていた。


部屋に戻り、ベッドに腰掛ける。


手のひらを見つめると、指先が微かに震えている。


――私は、ここを失うのが怖い。


王城を追われたときよりも、はっきりとした恐怖だった。


何も持たずに出された場所より、

一度、居場所を与えられた場所を失う方が、ずっと痛い。


「……だめね」


小さく呟く。


ここは仮の場所だ。

エルヴィスは、最初からそう言っていた。


それなのに。


胸の奥で、確かな感情が芽生えている。


この場所にいたい。

この人の傍で、役に立ち続けたい。


それが、恋ではないことは分かっている。

けれど、依存に近い感情であることも、否定できなかった。


セラは、静かに息を吐いた。


このままではいけない。

けれど、どうすればいいのかも分からない。


答えの出ないまま、夜は更けていく。


そして、次に訪れるのは――

「去る準備」を突きつけられる、最後の確認だった。

本話もお読みいただき、ありがとうございました!


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