第1話 役目の終了
人は、
声を荒げられなくても、
泣かされなくても、
静かに切り捨てられる。
それを、私は知っていた。
婚約を破棄されたわけではない。
誰かに責められたわけでもない。
ただ、「役目が終わった」と告げられただけだ。
王太子の隣に立つ未来は、
最初から私のものではなかったのだと、
皆が当然のように理解していた。
だから私は、
王都を去ることに異議を唱えなかった。
その選択が、
敵国で生き延びるきっかけになり、
そして――
誰にも名を呼ばれない別れへと繋がることを、
この時の私は、まだ知らなかった。
――静かすぎる朝だった。
王城の回廊は、いつもなら靴音と囁きで満ちている。貴族たちの思惑、侍女たちの気配、どこか張りつめた空気。それらが当たり前のように流れているはずの時間に、今日だけは不自然なほど音がなかった。
セレスティア・エルフォードは、窓辺に立ったまま、薄いカーテン越しの光を眺めていた。朝日が差し込んでいる。それだけで、今日が「特別な日」であることを、身体のどこかが理解していた。
――来るだろうな、とは思っていた。
王太子の婚約者が正式に決まる、という噂は数日前から流れていた。だが、その名に自分が含まれていないことを、誰も口にしなかっただけだ。
扉をノックする音がする。
「セレスティア様。お時間です」
侍女の声は丁寧で、いつもと変わらない。だからこそ、胸の奥が少しだけ痛んだ。
「……分かりました」
返事をして、深呼吸を一つ。鏡に映る自分の顔は、驚くほど落ち着いている。怯えても、怒ってもいない。ただ、どこか輪郭が曖昧な顔だった。
応接室には、王城付きの高官が二人座っていた。見慣れた顔だ。幼い頃から、補佐役候補として何度も顔を合わせてきた人物たち。
「本日はお越しいただき、ありがとうございます」
形式的な挨拶。セレスティアも同じように頭を下げ、席に着く。
少しの沈黙の後、年配の高官が口を開いた。
「結論から申し上げます。王太子殿下の正式な婚約者は、ルヴェリア侯爵令嬢に決まりました」
その瞬間、胸の奥で何かが音もなく落ちた。
――ああ、やっぱり。
驚きはない。悲鳴も、涙も出てこない。ただ、確認が取れた、という感覚だけが残った。
「これまで、あなたが補佐役として尽力してきたことは、城としても高く評価しています」
続く言葉は、丁寧で、柔らかく、どこまでも配慮に満ちていた。
「しかしながら、魔力量、血統の釣り合い、将来的な政治判断を総合した結果、この決定となりました」
要するに――役目を果たせなかった、ということだ。
「今後の処遇についてですが」
高官は一枚の書類を机に置いた。
「あなたには、王都を離れ、しばらく静養していただきます。名目上は療養です。身の安全は保証します」
セレスティアは書類に視線を落とした。そこに書かれている文字は、どれも知っている言葉ばかりなのに、どこか他人事のように見えた。
「……承知いたしました」
自分の声が、ひどく遠くから聞こえた。
「異議はありませんか?」
「ありません」
異議を唱えたところで、何かが変わるとは思えなかった。ここで求められているのは感情ではなく、納得だ。
「あなたの今後の幸いを、我々も願っています」
それは、終わりの言葉だった。
応接室を出た後、廊下はやはり静かだった。すれ違う人々は視線を逸らすか、形だけの礼をするだけ。誰も声をかけない。かける理由が、もうないのだ。
部屋に戻ると、侍女が荷造りを始めていた。
「……早いですね」
思わず漏れた言葉に、侍女は一瞬だけ困ったように笑った。
「正式な命ですので」
それ以上、言葉は続かなかった。
荷物は少なかった。もともと、この部屋に「自分のもの」はほとんどなかったのだと、今さら気づく。
夜になり、灯りを落とした部屋で、セレスティアはベッドに腰掛けた。
王太子の顔が脳裏をよぎる。穏やかで、優しく、しかし決してこちらを見てはいなかった人。彼にとって自分は、補助線のような存在だったのだろう。
――悔しくないの?
自分に問いかけてみる。
答えは、すぐには出なかった。
悔しさよりも先に、理解があった。そういう世界で、そういう役割を与えられて、そういう結末を迎えただけだ。
「……お疲れさま、私」
小さく呟いて、天井を見上げる。
役目は終わった。
それだけのことだ。
だが、その言葉を胸の中で繰り返すたび、なぜか息が少しずつ苦しくなっていくのを、セレスティアはまだ、はっきりとは自覚していなかった。
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