『愛してる(死ね)』翻訳魔道具がバグって、辺境伯様の溺愛プロポーズが全部殺害予告に聞こえるんですが!震えて嫁いだら実は超愛されていて、私を捨てた元婚約者は勝手に自滅していきました
馬車の扉を開けた瞬間、冬の刃みたいな風が顔を切った。
雪の向こうにそびえる黒い城。
塔の先まで白く凍りついたその姿を見て、私は小さく息をのむ。
ここがラグナード辺境伯領。
噂の「氷の辺境伯」の城。
ついこの前まで、私は王都の第2王子の婚約者だった。
けれど「地味で役に立たない」と書類1枚で婚約を破棄され、没落寸前の子爵家のために、この辺境へ政略結婚で送られてきたのだ。
……だから、震えているのは寒さのせいだけじゃない。
「ネフェリナ・カルディア様ですね。ラグナード辺境伯閣下です」
案内役の声にうなずき、私はマントを握りしめた。
城門の前に立っていた男は、噂通りの大柄で鋭い目つきをしていた。
黒い髪を後ろで結び、肩には雪が降り積もっている。
「遠路、ご苦労だった」
低く胸に響く声。
耳元の魔道具が、古代語を共通語に訳す。
『遠くまでよく来たな。この城は寒い。だが――お前にはそれ以上に冷たい思いを味わってもらう』
(ひっ……!?)
思わず背筋が強張った。
いきなり、冷遇宣言?
「……こちらこそ、お迎えいただき光栄です」
笑顔を作るのは、もう慣れている。王都でもずっとそうしてきたから。
けれど、私は知らなかった。
この時、彼が心の中で『ああっ、雪の妖精のように可愛い! 寒くないだろうか、俺の顔を見て怖がっていないだろうか』と、ドギマギしていたことを。
そう。
私の耳についている翻訳魔道具は、致命的にバグっていたのだ。
◇
城内は意外なほど暖かかったのに、足の裏だけ氷みたいに冷たい。
通された寝室は広くて豪華で、暖炉の火もよく燃えている。
それなのに、まるで処刑前に用意された「最後の部屋」のように見えた。
「ネフェリナ」
名前を呼ばれて振り向くと、オズヴェルト様が小さな箱を手にしていた。
「これは贈り物だ。君と話すために用意させた」
本当はそう言っていたらしい。
けれど私の耳に届いたのは、まるで別の言葉だった。
『これは、お前の声を縛る道具だ。逃げ道をなくすために用意させた』
喉がひゅっと鳴る。
「耳に触れてもいいか」
(翻訳:『耳に印を刻んでもいいか』)
逃げたい。でも拒めば、何をされるか分からない。
「……お願いします」
震えを悟られないように、とにかく丁寧に頭を下げた。
箱の中から出てきたのは、銀色の片耳用の耳飾りだった。
青い宝石が埋め込まれ、光を受けて揺れている。
「似合うはずだ」
(翻訳:『鎖はよく似合うはずだ』)
冷たい金属が耳たぶに触れた瞬間、心臓まで凍りつく気がした。
この耳飾りが「翻訳魔道具」だと知らされたのは、そのあとだ。
「この城の者は皆、古代語を話す。共通語が不自由でな……君が不安にならないよう、その耳飾りを用意した」
オズヴェルト様は不器用な優しさでそう言った(らしい)。
だが、私の耳にはこう聞こえていた。
『この城の者は皆、俺と同じく冷酷だ。共通語を話せぬ者ばかりだからな……お前が逃げ出さないよう、その耳飾りを用意した』
どうして、そんな訳し方をするの。
「ありがとうございます。お気遣い、痛み入ります」
口だけが勝手に礼を言う。
心と逆の言葉を並べるのにも、もう慣れてしまっていた。
◇
意外なことに、その夜、私は殺されなかった。
オズヴェルト様は少し離れた椅子に腰掛けたまま、「眠れ」とだけ告げ、私に触れようともしなかった。
それでも翻訳はこう言った。
『眠れ。どうせすぐに叩き起こしてやるがな』
怖くて一睡もできなかったのは、言うまでもない。
けれど朝になっても私は生きていて、暖炉の火は暖かく、外には相変わらず雪が降っていた。
広間での朝食のあと、私は執務室に案内された。
「領の帳簿だ。前任の文官が倒れてから手が回っていない」
翻訳:『領の命運を握る書類だ。前任の文官は潰した。次はお前の番だ』
机いっぱいに積まれた帳簿を見て、私は思わず息をのむ。
数字。計算。借りと貸し。
子爵家が傾き始めてから、私の仕事は家計簿をつけることだった。だから、こういうものを見ると逆に落ち着く。
「もしよろしければ、私が……」
「できるか」
翻訳:『(拷問に)耐えられるか』
氷みたいな瞳に射抜かれて、私はぎゅっと拳を握った。
「やってみせます」
それから数日、私は必死で帳簿と向き合った。
税収の抜け、備蓄の計算ミス。気づいたことを恐る恐る指摘すると、オズヴェルト様は驚いた顔をして、それから素直にうなずいた。
「助かる。俺にはそういうことが苦手だ。君がいてくれて、本当に助かる」
翻訳:『助かる。俺には他人を追い詰めることしかできない。お前は、いい獲物だ』
どうして、そう聞こえるの。
胸の奥がザリザリと削られるようで、私は紙の端をぎゅっと握った。
その日の午後、彼は厚手の白いコートを持ってきた。
「君の体格を見て仕立てさせた。この地では寒さが命を奪う。必ず身につけてほしい」
翻訳:『お前の身体を隅々まで見て仕立てさせた。この地では寒さが命を奪う。どう凍えていくか、必ず見届けてやる』
……言葉だけが、いちいち怖い。
でもコートはふかふかで、とても暖かかった。
袖を通した瞬間、思わず「ありがとうございます」とこぼすと、オズヴェルト様はほっとしたように微笑んだ。
あんな顔をされると、余計に分からなくなる。
◇
帳簿の数字を追いながら、私は時々、王都のことを思い出していた。
第2王子、アルシオン殿下。
柔らかな笑みで、こう言った人。
「ネフェリナは、地味で目立たないところがいいね。隣に立っていても邪魔にならない」
その言葉を、私は誉め言葉だと受け取ってしまった。
しばらくして、殿下は書類をパタンと閉じた。
「ごめんね。政略が変わったんだ。もっと人目を引く婚約者が必要でね」
そこに並ぶ婚約解消の文字。
私は、書類1枚で簡単に捨てられた。
だから私は信じている。
人の言葉なんて、いつでも引っくり返る。信じたって、損をするだけだ。
それでも、オズヴェルト様の「行動」はどう見ても優しかった。
そんな矛盾が、じわじわと心を追い詰めていった。
◇
数日後、執務室に見慣れない男がやってきた。
眼鏡をかけた痩せぎすの男。王都から来た魔道具技師、ジルクと名乗った。
「その耳飾りの具合を見に来た」
彼は私をちらりと見て、それからオズヴェルト様に古代語で話しかける。
「その型番、感情値の補正がおかしくてな。強い感情を危険と判断する癖がある」
実際にはそう説明していたらしい。
けれど翻訳は、やはり最悪だった。
『その道具、感情をねじ曲げて嬲るのに向いていてな。強い感情をより恐ろしく聞かせるようにできている』
血の気が引く、という感覚を初めて味わった。
「彼女の訳が、どうにも乱暴でな」
翻訳:『彼女の悲鳴が、どうにも物足りなくてな』
耳鳴りがした。
「数日後に遠隔で調整する。それまで、あまり極端な感情はぶつけないように」
翻訳:『数日後に遠くからでもよく響くように調整する。それまで、あまり殺しすぎないように』
椅子から立ち上がると、膝が少し笑っていた。
「す、すみません。少し、部屋で休んでもよろしいでしょうか」
オズヴェルト様が何か言いかけたが、私はそれを聞く前に部屋を飛び出した。
このままここにいたら、本当に殺される。
そう思い込んでしまったのだ。
◇
夜、私は1人で机に向かった。
外では吹雪が唸っている。暖炉の火はじゅうぶんに暖かいのに、胸の中だけが凍っていた。
紙とペンを取り出し、私の母語で短い文を書く。
「ここでの暮らしは、思っていたよりずっと温かいものでした。
罪を犯す前に、私を忘れてください」
罪。
それは、多分。
氷の辺境伯を、少しずつ好きになっていること。
帳簿に向かう横顔が、温室で花を見つめる視線が、私にはどうしようもなく優しく見えてしまっていた。
そんな感情を抱いたまま殺されるのだけは嫌だった。
だから私は、逃げることにした。
白いコートと、温室の花で作ってもらった髪飾りを丁寧に畳み、置き手紙といっしょに机の上に置く。
扉をそっと開け、誰もいない廊下を抜け、城門を出る。
雪が、顔に容赦なく叩きつけてくる。
それでも足は止まらなかった。
◇
「ネフェリナ!」
背後から、聞き慣れた低い声が飛んできた。
振り返ると、黒い馬に乗ったオズヴェルト様が、吹雪を裂いてこちらに迫ってくる。
「止まれ! ここは危険だ、死ぬぞ!」
翻訳:『逃げるな! ここは俺の縄張りだ、ここで死ね!』
やっぱり。
この人は、私を殺すつもりなのだ。
そう決めつけて、私は母語で叫んでいた。
「どうせ殺すなら、今ここでにしてください!」
彼の顔色が、雪よりも白くなった。
馬から飛び降りたオズヴェルト様が、雪を蹴って駆け寄ってくる。
「ネフェリナ、待て、違う、俺は……!」
古代語の早口は翻訳が追いつかず、耳飾りがじんじんと熱を持つ。
その時だった。
足元の雪が崩れ、私は斜面の向こうへ滑り落ちた。
真っ白な世界が反転する。空と雪と彼の姿がぐちゃぐちゃに混ざる。
「ネフェリナ!」
強い腕に抱きしめられた瞬間、背中に衝撃。雪に叩きつけられ、転がって、ようやく止まる。
耳元で、ぱきん、と硬い音がした。
視界の端で、耳飾りが淡く光ったかと思うと、その光がふっと消える。
◇
「……ネフェリナ。大丈夫か」
すぐ近くで、震えた声がした。
見上げると、オズヴェルト様の顔があった。息が白く煙り、額には雪が張り付いている。
「……こ、殺さないんですか」
自分でもひどい言葉だと思った。
けれど彼は、まるで刺されたみたいな顔をした。
「殺す? 俺が、君を?」
私がうなずくと、彼は氷のような瞳を大きく見開いた。
「そんなこと、1度も言っていない」
「でも、いつも……耳飾りが……」
そこで、彼の視線が私の耳に落ちた。
ひびの入った耳飾りが、雪の上に転がっている。
同時に、彼の懐から淡い光が漏れた。小さな魔石が震え、頭の中に声が響く。
『こちらジルク。さきほど翻訳魔道具のバグを修正した。これで本来通りの訳になるはずだ』
今度は、古代語なのに意味がそのまま分かった。
私は耳を疑った。
「バグ……?」
私の呟きに、オズヴェルト様は低くうめいた。
「感情値の補正が暴走していてな。強い愛情や心配を、防衛本能を刺激する方向に訳していたようだ。まあ、よくあることだ」
ジルクののんきな声が頭の中に響く。
「よくあること、じゃない!」
オズヴェルト様の怒鳴り声が、森に響いた。
「彼女はずっと俺の言葉を……!」
そこで彼は、私を見た。
「ネフェリナ。俺は、遠くまで来てくれてありがとうと言った。この城は寒いが、君には決して冷たい思いをさせないと」
胸が、ぎゅっと締め付けられる。
「君の体格に合わせてコートを仕立てさせた。この地では寒さが命を奪う。だから、凍えてほしくないと」
温室の花。コートの暖かさ。彼のぎこちない笑顔。
「王都の花を集めたのは、君が故郷を恋しがるだろうと思ったからだ。墓ではない」
視界が滲んだ。
「……ずっと、逆だったんですね」
震える声で、私は言った。
「私を殺そうとしていたんじゃなくて、守ろうとしてくれていたんですね」
「守りたかった」
オズヴェルト様は、雪の上で拳を握りしめる。
「昔、求婚に失敗してな。言葉で泣かせてしまった。それ以来、自分の声に自信がなくて……だから、道具に頼った。結果がこれだ」
自嘲気味な笑みが痛い。
「俺は君を怖がらせたくなかった。笑っていてほしかった。ここにいてほしかった」
私の喉がつまる。
「……ずっと、怖かったんです」
白い息が、夜気に溶けていく。
「殺されるのが、じゃなくて。あなたを好きになってしまう自分を、認めるのが」
オズヴェルト様の目が、驚いたように揺れた。
「帳簿を見ている時、温室を案内してくれた時、コートを渡してくれた時……全部、嬉しかった。なのに言葉だけが怖くて、信じたくなくて」
だから、逃げた。
自分の気持ちごと、雪の中に埋めようとした。
「本当は、ここで生きたかったんです」
それが、私の本心だった。
沈黙のあと、そっと抱き寄せられた。
今度は、その腕が怖くなかった。
「ありがとう」
耳元で、小さな声がする。
「俺を好きになることを怖がってくれて。そんなふうに言ってもらえるとは思わなかった」
彼の胸に耳を押し当てると、どくどくと早い鼓動が聞こえた。
「君が俺を怖がるのは当然だ。俺は不器用で、顔も怖い。戦場ではそれでいい。だが、君には……」
彼は1度言葉を切って、息を吸い込んだ。
「君が望むなら、何度でもやり直したい。正しい言葉で、正しい意味で、君を愛していると伝えたい」
私は、顔を上げた。
彼の瞳は氷の色をしているのに、不思議と暖かい。
「……1度だけ、信じてみてもいいですか」
声が震える。
「今度は、あなたを信じる方に間違えてみたい」
オズヴェルト様は、ゆっくりと笑った。
「何度でも、間違えてくれ」
その笑顔は、吹雪の中の焚き火みたいに心強かった。
◇
それからしばらくして、王都から噂が届いた。
第2王子アルシオン殿下の新しい婚約者が派手に浪費していること。そのせいで城の会計が乱れ、殿下が頭を抱えていること。
元婚約者の没落など、今の私にはどうでもいいことだ。
対して、北のラグナード領が見違えるほど安定していること。
新しい辺境伯夫人が帳簿に強く、領民からも信頼されていること。
「地味で目立たないところだけが取り柄だと思っていたのになあ」
殿下のそんな愚痴も、噂話に混じっていた。
暖炉の前でそれを聞きながら、私は肩をすくめる。
「地味、ですか」
「地味で堅実な者ほど、戦でも領地でも頼りになる」
向かいの椅子で、オズヴェルト様が真顔で言った。
「目立つだけのやつは、すぐ死ぬ」
「それはそれで物騒です」
思わず笑うと、彼も少しだけ口元を緩めた。
机の上には、2冊の帳面が並んでいる。
1冊は、私のための古代語練習帳。もう1冊は、彼のための共通語練習帳。
耳飾りは、机の隅で静かに休んでいた。もう、ほとんど使っていない。
「……ネフェリナ」
名前を呼ぶ声に顔を上げると、オズヴェルト様がやけに真剣な顔をしていた。
「さっき、君の言葉で練習していたやつを……言ってみてもいいか」
「……はい」
彼は小さく咳払いをして、ゆっくりと口を開いた。
「……ネ、フェリナ。あい、してる」
たどたどしい母語の告白。舌足らずで、少し音が違う。
でも、それがたまらなく愛しかった。
「はい」
私は共通語で、できるだけはっきりと答える。
「私も、愛しています。オズヴェルト様」
暖炉の火がぱちんと弾け、オレンジ色の光が部屋を照らした。
外では、相変わらず雪が降っているだろう。
けれど、あの日ほど寒くはない。
あの時は、声が怖かった。
今は、その声がいちばんの、私の春だ。
読了ありがとうございます!
「言葉がすれ違っても、想いはちゃんと届く」勘違い溺愛のお話でした。
少しでも「良かった」「続きも読んでみたい」と思っていただけましたら、ブックマークと、ページ下の【☆☆☆☆☆】からの評価・一言感想をいただけると、とんでもなく励みになります!




