最終話
なおもアルテミオの愚痴は止まらなかった。
「幸せそうな人間を壊して遊ぶ時だけが幸せだったのに!あの男が恐怖に顔を歪ませ、体を壊しながらも必死で金を稼ぎ、お前のような無知な妹に罵倒されながらも耐え忍ぶ姿は最高でした……。
ここまで完璧に遂行できていたのに、最後になってこれかっ!まったく、話にならない!なんと邪魔な女だ!」
アルテミオは絵里を掴んだ手にさらに力を籠め、部屋の壁へと叩きつける。
悲鳴と共に壁にもたれかかる絵里。
「さあ、この落とし前はどうつけてくれるんです?私の遊戯を汚した罪は、その身体で償ってもらいましょうか!死ぬまで殴り続けてあげましょう!」
アルテミオが、その拳を振り上げた。
絵里は恐怖に目を瞑り、身体を竦ませた。
だが……、その拳が振り下ろされることはなかった。
ドガッと鈍く、重い衝撃音が部屋に響き渡った。
「ぐっ!?」
アルテミオの体が横に飛び、絵里と同じように壁へとぶつかり痛みに声を漏らしている。そして床に無様に転がったアルテミオ。
絵里が恐る恐る目を開ける。
そこに立っていたのは……、ボロボロのパーカーを着て、髪は伸び放題。目の下には酷い隈。
けれど、その背中は誰よりも大きく、頼もしく見えた。
「お、お兄?」
和樹は、真っ赤に腫れあがった拳を握りしめたまま、肩で息をしていた。
その目は、床に転がる青年を射殺さんばかりに睨みつけている。
「全部……、聞いてたぞ、このクソ野郎!」
和樹の声は、地を這うように低かった。
「俺を嵌めるのはいい。俺を甚振るのも勝手にしろ。だがな……」
和樹が一歩、アルテミオに近づく。
「絵里に手を出そうとしたことだけは、絶対に許さねえんだよ!」
アルテミオは殴られた頬を押さえながら、ふらりと立ち上がった。
殴られたはずの頬にはなんら変化はなかった。
「やれやれ……。野蛮ですねぇ、人間というのは」
彼はまるでなかったかのように、和樹たちを見ていた。
「まあ、いいでしょう。興が削がれました」
「逃げるのか!」
和樹が掴みかかろうとするが、アルテミオの体は陽炎のように揺らぎ始めた。
「逃げる?違いますよ。この暇つぶしはもう終わり。それだけのことです。もう君たちに興味は尽きました。せいぜいあと100年ほどのつかの間の幸福を喜びながら、ささやかな人生を謳歌することですね」
アルテミオは、和樹と絵里を交互に見つめ、にやりと口角を上げた。
「それに、君たち兄妹の絆とやらを見せつけられては、吐き気がしますからねっ!」
彼は和樹に向かって、子供のように舌をベーっと突き出した。
「バーカバーカ!精々、そのつまらない現実で足掻き続けるといいですよ!」
そんな捨て台詞を残し、アルテミオの姿は光の粒子となって霧散した。
部屋には、静寂だけが戻ってきた。
いつもの、薄暗い和樹の部屋。
パソコンのファンが回る音だけが響いている。
和樹は、力が抜けたようにその場に座り込んだ。
「終わった、のか」
「お兄!」
絵里が和樹に飛びついた。
そのまま和樹の胸に顔を埋め、堰を切ったように泣き出した。
「ごめんなさい……!ごめんなさいっ!私、何も知らないで……、お兄に酷いことばっかり……」
和樹の服が、絵里の涙で濡れていく。
「お兄がそんなに苦しんでたなんて……、私を守るために、あんな……、うぅっ……」
和樹は困ったように眉を下げ、おずおずと絵里の頭に手を置いた。
「良いんだよ。俺が勝手にやったことだ」
「良くない!良くないよぉ……」
絵里は子供のように泣きじゃくった。
しばらくして、ようやく落ち着きを取り戻した絵里は、赤くなった目をこすりながら、和樹を睨みつけた。
「どうして……」
「ん?」
「どうして警察に相談しなかったのよ!脅迫なんて、立派な犯罪じゃない!警察に行けば、そんな奴らに!」
絵里の正論に、和樹はバツが悪そうに視線を逸らした。
「だ、だって……、警察なんてあてにならないだろ?ニュースでもよく見るじゃないか、ストーカー被害を相談してたのに殺されたとか、証拠不十分で動いてくれないとか……」
和樹の言葉は、彼なりの切実な配慮だった。
「それに、もし警察が動いて逆恨みされたら……、お前が傷つけられるかもしれないと思ったら、怖くて……」
「もうっ!」
絵里は怒ったように声を上げたが、その目には再び涙が溜まっていた。
兄の臆病さは、あまりにも深い愛情の裏返しだったのだ。
絵里はため息をつくと、涙を拭って床に落ちてしまったスマホを拾い上げた。
そしてスマホを操作しその画面を和樹に見せた。
「え?」
和樹が目を疑う。
そこに表示されていたのは、ディヴィーナ・ルーデンスの公式のページだった。
「もう日本なんて出ていっちゃおう?警察が信用できないなら、もっと安全なところに行こうよ!」
「は?なんでだよ。それよりそのページ、なんで……」
スマホの画面には、つい最近行われた大会の結果を載せているページだった。
「お金、あるんでしょ?」
絵里はニヤリと笑い、画面の一部を指さした。
そこには、優勝者の名前が書いてあった。黒鉄の使徒卍最強竜人ダークネスと……」
和樹は振り返り、パソコンの画面を確認する。
そこには、勝利の文字と共に、黒鉄の使徒卍竜人最強ダークネスというプレーヤー名がしっかりと表示されていた。
「ずっと見てたの?」
「うん!黒鉄の使徒卍最強竜人ダークネス、だもんね!優勝賞金五千万かー!すっごいね!」
「ぶっ!?」
和樹は吹き出した。
「それに、愛の力、なんでしょ?ダークネスさんの?」
「いや、それはその……、勢いってやつだ!ってかやめろ!その名前で呼ぶな!」
和樹は顔を真っ赤にして頭を抱えた。
中二病全開のハンドルネームを、よりによって実の妹に連呼される羞恥プレイ。神の遊戯よりキツイかもしれないなと死にたくなっていた。
「何度も優勝してるみたいだし、全部を取り上げられてたわけじゃないんでしょ?」
絵里は、和樹の手を取った。
「ああ、四億ある……、もう一生困ることは無いけど、俺は不安で稼ぐことを止められなかったんだ……」
「よ、四億……?さすがに引くわ……、もうっ!お兄はほんと……。まあいいや。行こうよ!誰も私たちのことを知らない場所へ!」
強く握りしめた絵里の手は、とても温かかった。
血の通った、家族の温もり。
和樹は、涙ぐみながら、それでもしっかりと絵里の手を握り返した。
「ああ。そうだな。行こう、どこへでも……、だがその前に、風呂、入ろう……俺もだが、お前も中々だからな?」
「へ?」
照れ臭そうに頬を掻く目の前の兄の言葉に、絵里は自身の様子を確認し、悲鳴を上げた。
和樹を突き飛ばし一人部屋を飛び出した絵里。
取り残された和樹が安堵の表情を浮かべる中、薄暗かった部屋に、カーテンの隙間から一筋の陽光が差し込んでいた。
それは、二人の新たな門出を祝福するかのように、優しく揺れていた。
引きこもりのデュエリストは、兄妹の絆を取り戻し海外へと旅立つようです。
おしまい
これにて終了、お粗末様でした。
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