第二話
一方、荒野に放り出された和樹もまた、目の前の光景に立ち尽くしていた。
見渡す限り、岩と砂に覆われた不毛の地だ。空は薄い紫色で空気は重く、喉がすぐに渇くような乾燥した熱気が漂っていた。遠くには、この世界の中心を象徴するかのような、巨大な塔がかすんで見える。
ポケットの中には、入れた覚えのないカードが束ねて入っていた。それを確認する和樹は、Cランクの初期デッキであることを理解した。自身が好んで使用している火属性の多いデッキ構成であることに安堵する。
その時、荒野の向こうから一人の男が歩いてきた。和樹の最初の対戦相手、レナート・ファルコーネだ。
レナートは三十代半ばほどの体格の良い男で、全身にレザーの防具を纏っていた。顔には大きな切り傷の跡があり、その表情は荒々しく、獲物を見つけた獣のようだ。
彼は和樹の貧相なパーカー姿を一瞥し、鼻で笑った。
「なんだ、こんなひょろいガキが最初の相手かよ。今日は運がいいな。これで俺のBランク昇格も近いぜ!」
レナートの言葉は明らかに和樹を下に見ていることを物語っていた。
和樹の意識は、手の中のデッキに集中していた。
対戦が始まった。
和樹の手から勝手に離れたカードが目の前でシャッフルされる。
その間に、二人に間には見慣れたフィールドが形成され、それぞれの右側に山札として五十枚のカードが束ねられふわふわと浮いていた。
和樹は震える手でその山札に向かって手を翳すと、五枚の手札となるカードが飛来し、和樹の手の中にきっちりと納まった。
ランダム選択により先行となった和樹。
ひと呼吸おいて、和樹は手札の中からCランク召喚士カード「嘆きの幻狼」を前衛に召喚した。
「まだ状況がよく分からないが、負けるわけにはいかないよな……」
和樹は自らに言い聞かせるようにつぶやいた。
レナートは和樹の様子を侮り、低ランク帯で流行している防御的な戦術をとった。しかし和樹は、たとえ手持ちが初期デッキであったとしても、その卓越した戦術眼を衰えることは無い。
長年廃ゲーマーとして培った彼の思考は、目の前のレナートの数手先を読んでいた。
和樹が好んで使っている「嘆きの幻狼」は、分身を生成する代わりに、召喚士自身の体力が低いという弱点を持つが、彼はその弱点を克服するため、幻狼の周りを「火山地帯」へと変化させた。
さらにコストを支払って分身を作り出す。相手の攻撃を受ける前に仕留めるのが和樹の先鋒であった。
和樹はレナートの防御の薄い一点を突く。Cランクの火属性カードを巧みに連携させ、レナートのフィールドの属性相性を崩し、瞬く間に制圧した。
途中、倒し切れずに一度攻撃を受けたが、保険として召喚していた「業火の壁」により事なきを得ていた。思いがけずひやりとしたことに、和樹の頬には冷や汗が流れていた。
とはいえ戦いは短時間で決着した。レナートは自慢の防御壁を崩され、為す術なくライフをゼロにされた。
和樹の勝利。
勝利の文字が空に浮かぶと同時に、レナートは狼狽しながら騒ぎ出した。
「ば、馬鹿な……、こんな貧弱な奴のデッキに、俺様が……」
そして、断末魔と共にレナートの体が引き裂かれ、その亡骸が淡い光の粒子となって崩れていく。彼はポイントと引き換えに、文字通り塵となって消滅した。
その光景に、和樹はたまらずその場で胃液を吐き出した。
ゲームの敗北が、即ち死であるという非情な現実を目の当たりにし、その恐怖が和樹の全身を支配した。
「死、人が死んだ……、本当に消えた……」
彼は震える手で自身のライフゲージとポイントを確認した。手に入れたのはわずかなポイントと、レナートのデッキから無作為に引き継いだ数枚のCランクカードだけだった。
「冗談じゃない……、ここは、ゲームなんかじゃないのか!」
彼は荒野に座り込み、乾いた土を掴んだ。握りしめた指の爪先に土が食い込み痛みを感じる。この世界の全てが現実世界で慣れ親しんだ『ディヴィーナ・ルーデンス』とはまるで違うのだと実感した。
世界を支配する神の悪意がそこにはあった。
彼は荒野に座り込み呼吸を整えようとした。そして、顔を上げ、空に浮かぶ巨大な塔を見つめた。ゲームと同じなら、その塔こそが最終決戦上の場であった。
「早く、元の世界に戻らなくては」
その声は小さく弱弱しかったが、現実世界の和樹の部屋で呆然と立ち尽くしていた妹の元へと、しっかりと届いていた。
自室のモニターを見つめていた絵里はその言葉を聞いて凍りついた。
「戻らなくては……?」
絵里は、優雅に椅子に座り込んでいるアルテミオへと顔を向けた。
「どういうこと?お兄は大好きなゲームの世界にいるんでしょ?何年も引きこもって、毎日毎日ゲーム漬けだったんだから、この中で楽しく暮らせばいいじゃん!なんでこっちに戻りたいのよ!」
絵里は強い疑問を感じていた。
アルテミオは絵里の嘆きに、ふふ、と喉の奥で笑った。それは絵里の無知を嘲笑うかのような、冷たい笑いだった。
「ああ、なるほど。貴女にはまだ、あの男のことを何も知らないのですね」
アルテミオは、モニターに映る和樹の姿を指差した。
「彼がただのニートのゲーム廃人ではありませんよ?」
絵里は困惑する。
「彼は、このオンラインカードバトルゲーム、『ディヴィーナ・ルーデンス』において、Sランクプロゲーマーとして知られています」
アルテミオの言葉に、絵里はさらに困惑する。
「そんなの知らないわ!じゃあなんで家に引きこもってたの?」
アルテミオは悠然としていた。
「彼は完全に身元を隠していましたからね。彼がお金持ちと知られればどうなるか……、すべては大切な貴方を守るためにね。美しい家族の絆ってやつでしょうか?」
アルテミオは、まるで芝居でも見せるかのように声の調子を変えた。
「彼は高校時代に苛めてきた元同級生から、『金を出さなければ、妹を襲う』と脅迫されていたようですよ?彼は貴方を守るため、昼夜問わずゲームに打ち込み、レアなカードを揃え、Sランクのプロゲーマーとなったのです。
毎月かなりの額をその脅迫者たちの口座に振り込むためにね。ちなみに御父様の遺産にはまったく手をつけていないようですね。しっかりと自身の貯金もしているようです。健気な方だ……」
遺産から生活費を出していたというのは、和樹が絵里を安心させるための心優しい嘘だった。和樹が稼いだ金は、二人の生活のため、そして絵里の安全のために浪費していたようだ。
絵里の全身から力が抜け、その場に崩れ落ちた。
「嘘よ……、そんな、私はずっと……」
ずっと兄に冷たい言葉を浴びせていた絵里。働かないニートだと罵倒し、遺産を食い潰す廃人だと非難していた。その兄が、まさか自分のために必死で金を稼ぎ、悪意から身を守ってくれていた。
アルテミオは、絵里の絶望と自己嫌悪の表情を愉快そうに眺めた。
「ああ、良いですね!最高の顔だ。貴女の感情の揺らぎこそが、この遊戯の最高のスパイスだ!」
アルテミオは、絵里の絶望を肴に口元をさらに緩めた。
そして脳内に、数年前の出来事がはっきりと再現された。
和樹たちが通っていた高校の近くの路地裏で、不良たちが下級生の胸倉をつかみ脅しをかけている。
殴られた下級生は財布を地面に置いて逃げていった。
こんなことばかり繰り返していた三人の男は、その傍でこちらを見て笑っている青年を視界にとらえた。
三人は新しいカモが来たと笑いながら近づいたが、近づくほどにその青年から感じる圧が強くなるのを感じ、気付けば三人共が逃げ腰になっていた。
「はあ、生きていて楽しいかい?」
その、白銀の髪を持つ美しい青年は、恐怖を感じる程に美しい笑みを浮かべた。
怯える三人は、その青年から和樹のことを教えられた。
彼なら妹をネタに脅せば大金をせしめることができますよと。親の遺産で楽しく暮らしている人生を舐め切った男に人生を教えて欲しいと。
その青年の言った通り、彼らは和樹を脅し、今も毎月大金を手にしているのだ。
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