第一話
黒沼和樹は、今日も薄暗い部屋の中でゲームに没頭していた。
日曜日の午前十一時を回ったにもかかわらず、部屋のカーテンはぴったりと閉ざされたままだ。唯一の光源は正面に三枚並んだモニターの液晶画面。その青白い光が、和樹の不健康な顔を照らし出していた。
彼の容姿は、二十二歳の青年としてはあまりに不健康だった。
長年の夜型生活と日光不足のせいで肌は青白く、天然の黒髪は手入れを怠り、前髪は目の際にかかっている。体つきは痩せ気味で、着古したネイビーのパーカーのフードが、彼の細い首の周りでくたっとしている。
背筋は常に少し猫背ぎみだ。ただ、カードを扱うことに特化したその指先だけは長く、不自然なほどに繊細な印象があった。
彼は世間から見れば、ただのニートのゲーム廃人だった。
彼は今、オンラインカードバトルゲーム、『ディヴィーナ・ルーデンス』のSランクマッチ戦をプレイしている。
「よしっ、これで大丈夫……」
和樹のつぶやきが部屋の空気にとけた。現在のマッチはトーナメント本選に入ったばかりで、相手の戦術レベルは低く、和樹は優位に立っていた。
この『ディヴィーナ・ルーデンス』は、地形や属性、配置位置による補正が複雑に絡み合う戦略性の高いゲームだ。和樹のデッキは火属性の召喚士を主軸とした速攻型。分身を駆使してフィールドを制圧し、一気に相手のライフを削り取る戦術を得意としている。
残り山札は三十枚。この戦いは和樹の完勝のペースで進んでいた。
和樹は机に置かれたエナジードリンクの缶を無意識に掴んだ。体は重く睡眠不足で頭痛がひどい。だが和樹は、そんな肉体の悲鳴を無視して神経を指先に集中させた。
画面上の前衛フィールドに火属性の召喚士「業火の死神 -グレン-」を召喚し、さらに分身を生成する「咆哮する幻狼」を横に展開、さらにコストを消費し複製した。
「これで終了だ」
彼はキーボードとマウスを操作し、残りのコストを全て注ぎ込んだ召喚を行い攻撃を仕掛けた。
モニターの中で和樹の召喚士たちが一斉に炎をまとい相手へと突撃していく。
激しいエフェクトと轟音の後、相手のライフが完全にゼロになった。勝利の文字が画面いっぱいに表示される。
しかし、その直後、モニターのスピーカーから荒いノイズと共に、男の舌打ちが響いた。
「ちっ、廃人が!」
ゲーム終了と同時に、相手プレイヤーがボイスチャットを繋いできたのだ。罵倒はそれだけで途切れたが、和樹の表情は一気に硬くなった。
彼は勝利したという事実に満足できなかった。世間から浴びせられる蔑称を突きつけられたことに激しく感情を揺さぶられる。
「負け犬がっ!」
和樹は叫んだ。モニターの前のデスクを拳で強く叩きつけ、身体を椅子から乗り出す。
彼は荒い息を繰り返しながら、そのままデスクに拳を押し付けた。空になったエナジードリンクの缶が潰れ、グシャッという鈍い音が部屋に響く。
その時、部屋のドアが「ドン!」と乱暴に叩かれた。
「お兄!」
ドア越しに聞こえてきたのは、妹、黒沼絵里の声だった。
「荷物来てたから部屋の前に置いとくから!それといつまでゲームしてるの!もうお昼過ぎてるんだよ!」
絵里は二十歳。
都会の専門学校に通う彼女は、和樹とは対照的に流行に敏感で垢抜けた印象のある普通の女性だ。明るめの茶色に染めた髪は肩にかかる長さで、毛先は軽く巻かれていた。服装も専門学生らしいトレンドを取り入れた可愛らしい格好だ。
彼女の目は大きくぱっちりとしており、和樹を心配するときは優しさと、しかし今は世間への怒りが混じったような強い光を宿していた。
和樹は口元を歪ませながら、「ごめん」と短く返すだけだった。
「いい加減にしてよ!いい大人が一日中家に引きこもってゲームばっかり。もう何年も外に出てないよね!」
絵里の罵倒は、近所の冷たい視線に耐えかねた悲鳴にも近いものだった。
彼女は、働かない兄が遺産を管理し続けていることに苛立つ日々を送っていた。両親の残した預貯金で生活は成り立っているが、この状況がいつまで続くのかという不安が彼女を駆り立てる。
「お父さんが残してくれたお金が尽きたらどうするつもりなの!誰が私たちの生活を守るのよ!」
悲鳴にも近い絵里の言葉に、和樹はグッと唇を噛んだ。
「そんなにゲームが好きなら、ゲームの世界にでも引き込んでいたら?!お兄なんて死んだことにするからっ!」
絵里の叫びはまるで何かに取り憑かれたかのように痛烈で、そして切実な願いだった。
その時だった。
和樹の部屋の中に強烈な光が満ちた。
和樹は目を細め、モニターから目を離し部屋を見回した。ドアの前に誰かが立っている。
「その願い、叶えて差し上げられますよ」
その声は優雅で気まぐれな、若い声だった。
そこに立っていたのは白銀の髪を持つ美しい青年だ。
年齢は和樹と同じく二十代前半に見える。
彼の白銀の髪は肩まで流れ、端正に整った顔立ちには常に余裕綽々とした微笑が浮かんでいる。目は深い紫色で、その奥底には人間に対する興味と、全てを見透かすような退屈が同居していた。
まるで芸術品のような優雅な雰囲気を全身から放っている。
「あなたの妹君がそう強く願った。そして、貴方自身もこの世界から逃げたがっている」
青年は和樹が座る椅子へとゆっくりと歩み寄る。
「違う、俺は……」
否定をしようと口を開いた和樹は、その途中で体が硬直したように動けなくなるのを感じた。
「私の名はアルテミオ・カストルッチ。遊戯の神を自称する者です。では、あなた方のその願い、私が叶えて差し上げましょう」
アルテミオは動けなくなった和樹の額に指先をそっと触れた。
その瞬間、全身に激しい痛みが走り、和樹は顔を歪めた。光が部屋を満たし、和樹の存在そのものが霧散していくのを感じた。
「さあ、楽しんで。臆病なデュエリストよ」
ドアを叩きながら罵倒していた絵里は、突然室内の光と静寂に気づき、勢いよくドアノブを回した。
ガチャリと鍵の開く音。
絵里が部屋に飛び込んだ。
だが、部屋の中に兄はいなかった。和樹が座っていたはずの椅子には誰も座っていなかった。
「お兄?」
絵里は困惑した。
そんな絵里は、ふと目の前のパソコンのモニターに視線を移した。
三枚並んだモニターの中央、ゲーム画面の中。そこには、和樹が立っていた。
見慣れたパーカー姿のまま、彼は知らない荒野のような場所に立っている。そして辺りを見回し、戸惑いの表情を浮かべていた。
「え?何これ?ゲームの中?」
絵里がモニターに顔を近づけたその時だった。
「ようこそ。神の遊戯へ。観客は君だけだ。楽しんでくれると良いけどね」
背後から、ゆったりとした美しい声が聞こえた。
絵里は慌てて振り返る。そこにはあの白銀の髪を持つ美しい青年、アルテミオが立っていた。
アルテミオはニコニコと笑みを浮かべている。内から湧き出る喜びを噛み締めるようにニコニコと。
「貴方の願いは私の退屈を埋めてくれました。彼はこれから私の遊戯の駒として、命を懸けた戦いを続ける。そして貴方は、それを特等席で見守ることができるのです。最高でしょう?」
アルテミオの言葉は絵里の全身を硬直させた。目の前の現実は、あまりにも非現実的で受け入れがたい。
パソコンのモニター画面の中では、和樹が震える手でデッキのカードを確認していた。確認を終えた彼の瞳の奥に強い決意の光が宿る。
絵里はその場で始まった恐ろしい遊戯の始まりを、呆然と立ち尽くし見守るしかなかった。
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