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13.誰かと共に朝食を

 カーテンの合間から日光が差す。その光で、私は目を覚ました。


 そのまま布団の中で寝返りを打つ。他の人はどうなのか知らないが、冬、目が覚めたばかりの布団の中というのは、雪見露天風呂と同じくらいの価値があると、私は思っている。同じくらい、出たくない気分になるのだ。

 私は半睡半覚の状態でしばらく惰眠を貪っていた。幸いにも、巫には何時までに出勤せよ、などの決まりはない。マイルールもあるにはあるが、まぁそれを無視すれば、何時間でも寝ていいのだ。


「ふげっ」


 しかし、突如として腹部に衝撃が与えられた。口から洩れる怪音。のしかかる何か。

 一体誰だ、私の睡眠を邪魔しようとする輩は。氷魔法でかき氷にしてやる。

 などと考えつつ、私は寝ぼけ眼で氷の魔方陣を展開しようとした。


「ちょ!?師匠、師匠。起きぬけにいきなり氷魔法はやめてください、部屋凍っちゃいますからぁ!」


 という叫びが腹部から聞こえた。何だ、私の腹の虫はついに日本語が喋れるようになったのか。


「……ホナカ?」


 どうやら違うらしい。喋っていたのは私の腹の虫ではなく、ホナカだった。ということは、私の腹に衝撃が与えられたのは。

 見れば、ホナカが掛布団越しに私に馬乗りになっている。

うっかりうちの居候、もとい、期間限定の弟子をかき氷にするところだった。美味しいのだろうか。きっと美味しくはないな、と、自問自答する。


「師匠、朝ごはん出来たので早く起きてください、冷めちゃいますよ」


 もしかしたら、私が目を覚ましたのはカーテンの合間から差す日の光ではなく、朝食の匂いかもしれない。鼻をくんくんさせると、出汁の匂いが香ってきた。


 私はホナカの言に従い、のそりと布団から出る。ひやりと肌寒い。

 慌てて布団に戻る。そして掛布団に包まれたまま、部屋の中をずるりずるりと這って移動した。幸いにもアパートで独り暮らしである。普段ならば、これを見咎める者はいない。……そう、普段ならば。


「……ちょっと師匠、みっともないですよ、それ」


 頭上から、呆れたような声音が降ってきた。そういえばうちには居候がいたのだった。今は一人暮らしではなかった。

 ……いや、いいか。別に。居候だし。私は開き直ると、そのまま掛布団匍匐前進を続けた。洋服箪笥の前まで来て、引き出しを開ける。頭上から呆れたような溜息が降ってきたが、気にしないことにした。気にしたら負けだ。


 引き出しの中に入っていた真っ黒な洋服たちの中から、適当に下着と裏起毛のズボンとニットを引っ張り出す。私は布団に包まれたまま、もぞもぞと着替え始めた。


「師匠、早く着替えちゃってくださいー、お腹すきましたー」

「んー」


 またも鼻をくんくんさせると、魚が焼けるような香りがした。匂いだけでも実に美味しい。

 ところで、昨日もホナカはスーパーで何やら買っていたようだが、今日の朝食は何だろう。昨日の夕食の、鶏肉と緑黄色野菜の南蛮漬けは非常に美味しかった。ご飯は土鍋で炊いたらしく、おこげがついていたのがまた良かった。


 などと種々考えながら私は着替えを済ませると、邪魔にならないよう髪を一つにまとめ、ダイニングへ移動した。

 これがいつもだったら、冷蔵庫に入っているコンビニ弁当を温めて食べるのだが、それに比べると今朝は随分豪勢だった。


 ほかほかと湯気を立てている白いご飯には、やはりおこげがついている。ご飯の一粒一粒が、炊き立てです!という主張を全身で表している。

 みそ汁からはふわり出汁とみその匂いが漂い、それが食欲を掻き立てる。どうやら具材は豆腐とわかめのようで、白と緑のそれが碗の中に浮かんでいた。

 主菜は鮭の塩焼き。食欲をそそるオレンジ色と、程よく焼かれた皮は大変美味しそうである。因みに鮭の身はオレンジだが、鮭は白身魚である。と、ホナカが昨日言っていた。

 副菜にほうれん草のお浸し。らしいが、鰹節が小鉢の上部を覆い隠しているために、茶色しか見えない。これではほうれん草のお浸しではなく鰹節のてんこ盛りであるが、ゆらゆら揺れるそれに、思わずごくりとつばを飲み込んでしまったことは否めない。


「どうです、師匠?美味しそうですよね?美味しそうですよね?」

「……ん。美味しそう」

「ですよね!?それじゃあ、早速いただきましょう!いただきます!」

「いただきます」


 箸を手に持って、ふと、前に誰かと食事をとったのはいつだったろうか、と考える。随分前かもしれない。

 そう考えて記憶を探ると、なんてことはない、昨夜、ホナカと夕食を共にしていた。何ならおやつも、昼食も朝食も、さらには一昨日も夕食を一緒に食べている。よくよく考えてみれば、一週間くらい前に師匠のツクモに夕食を奢ってもらった記憶すらある。


 いやそれでも、と私は箸で鮭を一口つまみ、口に運びながら考える。昨日はホナカと食べたが、確か余っていた菓子パンとか、そういうので済ませたはずである。

 誰かと共に朝食をとる、それもコンビニ弁当ではない、きちんとした朝食。それ自体は随分と久しぶりなのである。


「……美味しい」

「ですよね!?美味しいですよね!?」


 鮭を食べ、みそ汁をすすり、炊き立てのご飯を食み、ほうれん草のお浸しを口にする。美味しいと言ったのは世辞ではない。

 みそ汁を飲めば、心の芯から温まるような気がした。鮭とご飯を共に口に含めば、塩味と仄かな甘みがふんわり溶けていくようだった。ほうれん草と鰹節を食めば、そのひやりとした冷たさとうまみに痺れるような優しさを覚えた。


「そうだ、良かったらこっちもどうぞ。ご飯に乗っけて食べてください」


 そう言われ、鉢に入れられた野菜に目を移す。


「甘辛炒めです。ご飯によく合うんですよー」


 そう言いつつ、ホナカは茶碗に溢れるくらいに乗っけた。私も真似る。

 それはとても輝いていた。人参やごぼうの表面が、なにで味付けされているのかきらきら輝いて見えた。


 ごくり、生唾を飲み込み、ご飯と一緒に口に運ぶ。噛む。飲み込む。


 美味しい。醤油の塩味とうまみと風味と、ほんのりとした甘み。酢のような酸味。それからしゃきしゃきとしたごぼうとれんこん。比較的柔らかな人参。それらが混ざり合って調和している。そんな中に白いご飯の乱入。甘く、温かく、柔らかなそれが、大いなる包容力で包み込む。


「……すごく」

「え?」

「すっごく、美味しい」


 ホナカの顔が、ぱっと輝いた。コーギーのように人懐っこい、明るい笑みを浮かべる。やった、と小さく呟いている。


 私はもう一口、甘辛炒めとご飯を食べた。

 ホナカは期間限定の弟子だ。期間限定と言っても、これからの互いの関係次第で期間が延長されることもある。しかし、あまり考えたくないことであるが、一月を終える前に師弟関係が解消されることもあるのだ。それは、新人の樹氷の引退率、或いは死亡率を見れば、嫌でも考えさせられる。


 私はもう一口、甘辛炒めとご飯を食べた。

 師弟関係を築いたとき、師匠も弟子も学べることは多いと、ツクモが言っていた。今のところ、ホナカが私から何かを学べたのかは分からない。だが私は、誰かと共に朝食をとること、それがひどく優しく、ひどく温かいものであると思ったのだ。


 この優しさを、この温もりを、手離したくない。


 そんな、漠然とした思いが私の中で渦を巻いて。それが、自分のわがままであると気がついて。

 私は少し悩んでから、それでも、口を開いた。


「……あのさ」

「何ですか?」

「…………その、今度……料理の仕方、教えてほしいなって……思って…………」


 きょとんとしていたホナカが再び明るい笑みを浮かべるまで、あと三秒。

 おかしい……雪蜘蛛討伐まで行く予定だったのに、朝食飯テロで終わってしまうなんて……こんな、こんなはずでは……!

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