1.とある雪山にて
顔面に、風を受ける。気持ちいい。私は、雪山の中を滑走しながら、それを考えた。無論、周囲の警戒は怠らないが、それでもそれくらい考えたところで罰は当たるまい。
補足だが、足にはスキー板。全身は専用のウェアに、頭部はヘルメットやらゴーグルやらに覆われている。今朝も十分以上に確認したため、不備はない。
「ちょっと、ミズマリさん!?どうするんですか、これえええ!」
はぁ、気持ちいい。静かな雪山で……いや、今この瞬間は静かではないが、それでも基本静かな雪山で、周囲を気にせず急斜面を滑る。あたかも、風になった気分である。命がけのこの仕事をする、唯一無二のメリットだ。ほかの人はどうだか知らないが、私はそう考える。
「ねぇ、ちょっと!?ミズマリさん、聞いてますか?ミズマリさん?ミズマリさん!?」
……それにしても、周りがうるさい。周囲を気にせず、とは言ったが、これでは気になって仕方がないじゃないか。どうしてくれるんだ。一体誰だ。
「話聞いてくださいよ、ミズマリさん!」
「おっと」
唐突に、左から魔力弾が飛んできた。最も、避けられる速度で、当たっても軽症だろうという威力で、何なら避ける必要すらなかった。
けれど、当たったらウェアに穴が開いてしまう。いや、穴は開かないかもしれないが、生地は傷むだろう。そうなったら、またあの気難しい職人の世話になるわけだ。
それは嫌だ。個人的に、あの頑固おやじが嫌いだった。何を考えているのか分からないあたりが、特に。
いや、それを言ったら、私も無口なほうだから、何を考えているかわからない、とか、思われているのだろうか。それで、嫌われているのだろうか。
何だか悲しい。元々誰かと会話する気なんてあまりないけれど、嫌われるのは嫌だ。
笑顔の練習でもしてみるべきか。いや、きっとそんな笑顔になったところで、もっと恐れられるだけじゃないだろうか。
「……しんどい」
「それは私のセリフですよ、ミズマリさん!」
何者かが、私の独り言を拾い上げた。別に会話のキャッチボールをするつもりはなかったが、投げられたら投げ返すべきだろう。
というか、私の独り言をすかさず拾うなんて、よっぽどの暇人じゃないだろうか。
「ホナカ、暇なの?」
「暇なわけないじゃないですか!頭おかしいんですか!?」
「……違う。私の独り言を拾う人なんて、よっぽどの暇人だろうな、って思って」
「違いますよ!藁にも縋る思いってやつです!やっぱりあんた、頭おかしい!」
……どうやら、暇なわけではなく、危険を前にしてやけくそになっているだけらしい。
しかし、人のことを藁扱いとは、これ如何に。先輩に対して失礼じゃないか。もっと敬いたまえ。先輩のことをあんた呼ばわりするだとか、頭おかしいと言うところとか。そういう態度も失礼だと思う。もっと私を敬いたまえ、後輩。
「ちょっとミズマリさん!急に会話終わらせて物思いに耽るの、やめてください!」
「もっと先輩を敬いたまえ、後輩」
「いや、そんな態度の先輩をだれが敬うんだよ!」
会話を急に終わらせるなと言われたから続けたというのに。重ね重ね、失礼な後輩だ。
「だぁからぁ、こんな話してる暇なくて!いったいどうするんですか、あいつ!」
この後輩、名前をホナカというのだが、ホナカが後ろを指さす。
巨大な白いマンモスのような異形が、私たちのことを追いかける姿があった。
全長は大体、十メートル程度。ここは杉の木が大量に生えている林であるため、マンモスは木をなぎ倒しながら走っている。走るというより跳躍する形に近い。マンモスが一歩進むごとに地面が揺れていた。
「ミズマリさん!私、あんな巨大な奴に食べられて一生を終えるなんて、嫌ですからね!まだまだ花の十代なんですから、いざとなったらミズマリさんを見捨てて逃げます!」
「私、ホナカと三つくらいしか歳変わらないんだけど……」
という私の声は、マンモスの怒声にかき消された。
マンモスが吠える。それだけで周囲の木々が吹っ飛び、ブワリという音を立てて雪煙が上がった。
一瞬で、前が見えなくなる。隣にいたはずのホナカも、影が薄ぼんやりと見えるだけだ。
「うぎゃあああ!ちょ、ミズマリさん、助けてー!」
悲鳴をあげられるだけの元気はあるようだ。無事で何より。
それにしても、どうするべきか。今までは視界が十全だったため、林の中を滑走することができていた。それが今や、一寸先も見えない雪煙に覆われている。
私の記憶では、確かもう少しで林を抜けるのだが。
「ミズマリさん、ミズマリさん!すみませんでした、ミズマリ先輩はすごい人です!ちゃんと敬うんで、助けてください!」
……確かもう少しで林を抜けるのだが、ホナカはついてこられるか。ついてこられない気がする。実はホナカとは少し前に出会ったばかりだ。しかし、まだこの仕事を始めたばかりの新人だと言っていたし、無理は禁物。よし、置いてくか。
「ホナカ、ここで待っていて」
「は!?え、は?マンモスに食われて死ねと?冗談じゃないですよ!」
「いいから。ついてこないで」
そう言うと、ホナカが横で急制動をかけるのが分かった。同時に、ホナカが魔方陣を展開する。
おい、待て。何をする気だ?せっかく、先輩である私がマンモスを引っ張って行って撃退しようとしたのに、手出しは禁物だぞ?それとも、余計なちょっかいを出してマンモスに食われたいのか?
「ホナカ。余計なことしないで」
「え」
「私が仕留める」
そう言うや否や、私は魔方陣を展開し、氷の矢を放つ。
こちとら三年以上この雪山で仕事しているのだ。実戦経験ゼロのひよっこに遅れを取ってなるものか。
再び、マンモスが吠える。先程まではどちらを狙うべきか迷っていた様子だったが、今は明らかに私を狙っている。
私はそのまま滑走しつつ、氷の矢を連射する。対してダメージを負っているようには見えない。
私は少し進路を変える。多分これで、ホナカに被害は及ばない。多分。……あれ、大丈夫だよね?大丈夫だと思いたい。
マンモスが三度吠える。どうやらこのマンモスは、魔法が使えないタイプの異形らしい。
やがて、少し先にひときわ明るい場所が見えた。やはり、私の記憶力は衰えていなかったようだ。一安心である。
私はマンモスより一足先に林を抜ける。魔方陣展開。林の一部を囲うように鋭くとがった氷の杭が出現する。
はるか昔、旧石器時代と呼ばれる時代。その人々によって、マンモスは絶滅に追い込まれた。
じゃあ今目の前にいるのは何か、と思われるかもしれないが、これは異形であって本物ではない。
そんなことより、その旧石器時代、人々はどのようにして自分たちよりはるかに大きいマンモスを打倒したのか。一説によると、槍を投げて突き刺していたらしいが、こんな、ふさふさでもふもふな毛皮に覆われている獣を槍一本で貫けるか。
否、難しいだろう。それならば、別の説。鋭い刃のついた杭を地面の穴に敷き詰め、そこに誘導し、落とす。これはそれの応用である。
予想通り、マンモスは無警戒に突進してきた。私の仕掛けていた杭が、ぐさぐさとマンモスに突き刺さる。
思っていたより勢いよく突進してきたようで、たったそれだけで、その大きなマンモスの異形は絶命した。