第19話 不本意ながらこの生活に慣れて来てしまった
「ふわぁあ、ねみぃ」
入学してから一週間半程が経過した朝、ぼんやりした顔で洗面所に向かう一哲。しかし冷たい水を二度三度ぶっかけると、一気に表情が引き締まる。寝起きは良い方なのだ。
「はっみがき、はっみがき~っと」
一哲は寝起きに歯を磨く派だ。
髪のセットをしながらしゃかしゃかと丁寧に磨く。
するとそこに同じく寝起きの加恋がやってくる。
「…………」
足取りが怪しく、表情もまだ寝ているような感じであり、一哲が使っているというのに洗面台の前に割り込んで来ようとする。
「おい馬鹿。やめろ。合体するだろ」
朝一番で合体したら、一日中そうして過ごさなければならない。その生活があまりにも面倒なことをすでに知っているため、慌てて一哲は加恋から距離を取る。
「起きろ、おい起きろ!」
「…………え」
一哲の大声でようやく意識が覚醒して来たのか、加恋の瞳の焦点が合おうとしていた。
「…………きゃあ!」
そして可愛らしい悲鳴をあげ、顔を隠して飛びのいた。
寝起きの少女の姿など、見せられるものでは無いのだ。
「相変わらず寝起き悪すぎだろ」
「う、うるさいわね。さっさと退いてよ!」
「まだ使ってる途中だ。先着順にするってルールだったろ」
「う゛……そ、そうだったわね。ごめんなさい」
世の中には自分が間違っているのに逆ギレして怒るような女性もいるが、加恋は嫌いな相手であっても素直に謝れる性格らしい。同棲生活をするには必須のスキルである。
「さっさと終わらせるから外で待ってろ」
「うん」
加恋が洗面台の前から退いたので一哲は歯磨きと髪のセットを再開した。加恋は一旦部屋に戻ってから後でまた来ようと洗面所から出ようとする。
その背に一哲が声をかけた。
「つーかお前、そのクソダサスウェットで寝てるのかよ」
「な……!? あんただってスウェットじゃない!」
「そうだな。良く似合ってるだろ」
「うっ……」
一哲のスウェットはダサくも格好良くも無いが、とても似合っている物だった。
一方で加恋が来ているスウェットは誰が見てもクソダサと思ってしまいそうな逸品だった。それを加恋が好んで着ているというわけではなく、単に部屋着だから問題無いと服装に無頓着だっただけ。
「別に俺がいなくても、女なら家でも服に気をつけろよ」
「余計なお世話よ!それに今時女なら、なんて言ったら炎上するわよ!」
「かもな。でもクラスの女子はどうなんだろうな」
「…………」
琴遥をはじめ、クラスの女子の誰もが今の加恋のようなクソダサな格好をしていそうなイメージが全く湧かなかった。それほど身嗜みに気を使って無さそうなオタクな女子ですらもっとマシなものを着ていそうだ。
「~~~~!」
あまりにも恥ずかしくなり、逃げるように部屋に戻ってしまった加恋。
いくら勉強が一番とはいえ、少しはファッションにも気を使おうと思った瞬間であった。
その後、しばらく待ってから洗面所に向かうと一哲は居なかった。キッチンから良い香りがするので朝食を作っているのだろう。顔を洗い、時間をかけて身嗜みを整える。スウェットはアレだが、決して美を蔑ろにしているわけではない。
「あれ、もう出かけたのね。相変わらずお盛んなこと」
玄関の扉が開き、一哲が外出したことが分かった。
一哲は朝早くに登校する。少しでも長い間、女子と話をしたいからだそうだ。
自分がその女子に含まれていないことに不満を覚える気持ちなど無く、いなくなるとほっとする。この気持ちが反転することなどあり得ないと思っているが果たして。
「今日は和食ね」
ダイニングキッチンに向かうと、テーブルの上にほかほかの朝食が用意されていた。
白米、ワカメの味噌汁、だし巻き卵、昨晩の残りのきんぴらごぼう、サラダ。
「あいつがこれ作るの、未だに納得が出来ないんだけど」
だらしないイメージが強かった一哲は、朝は遅刻ギリギリまで寝ていて慌てて菓子パンを食べながら登校するのだと思っていた。しかし実際は加恋よりも早く起きて時間がかかる朝食を作る主夫そのもの。
「しかもこんなに美味しいなんて、中身絶対別人よね」
だし巻き卵を口に入れると、卵のふわふわ感と濃厚かつ繊細な出汁のあまじょっぱさがたまらない。がさつな一哲が作った物とは思えない。
「…………どうしてこんなに美味しいの作れるのに、あんなこと言ったのかしら」
それは二人が家事の分担について相談していた時の事。
ご飯は自炊するのか、弁当などを買いに行くのか。
それを決める時、一哲が不思議なことを言った。
『お前が食べるなら作っても良い』
大嫌いなはずの加恋に、料理を作ってやっても良いと言う。
当然加恋は断ろうとした。何を入れられるか怖くて分かった物ではないからだ。
あるいは嫌味をこめて揶揄おうとも思った。好感度をあげたいのかと。
『……味次第』
だが加恋は何も言えなかった。
一哲が時折見せる、逆らい難い雰囲気を放っていたから。
「ああもう悔しい。なんでこんなに美味しいのよ!」
だがそこで断らなかったからこそ、絶品の料理を食べられる。毎日食事に苦労することがない。
「私が食べなくても、自分だけ作れば良かったのに」
作ることが面倒なのであれば、そもそも作りたくないと言うだろう。
一哲は何故か突然加恋のことを考えた行動をすることがあるが、流石に加恋の栄養を考えての台詞ということは無いだろう。
コンビニ弁当よりも遥かに美味しい料理を作れるのであれば、そして作ることがネックでないのであれば、加恋がいようがいまいが作った方が得なはず。
「…………私が気にする話じゃないか」
加恋は食べ終わった食器をシンクまで持って行き、一哲のそれと一緒に洗い始める。家事をしっかり分担してやっているのだから、一方的に恩義を感じる必要は無い。一哲の行動に何か含みがあろうとも、考える必要などない。
そう思い込もうとしていることを、加恋は気付きつつも考えないようにしていた。
「それに確かに美味しいけど、何か物足りないのよね」
洗い物をしながら加恋は自分が贅沢なことを言ってるなと気付き小さく笑う。
だがその|贅沢なことの理由《一人で寂しいから味気ない》に気付いた時、彼女は何を思うのだろうか。
「よし、終わり」
洗い終わった食器を乾燥機に入れ、自室に戻ってから洗濯物を持って洗面所に向かった。朝は加恋が、夜は一哲が洗濯機を使うルールになっている。とはいえ、一哲は何日か溜めてから洗っているので夜は使われてないことが多い。
「…………皆、どうしてるのかしら」
下着を手に加恋は少し考える。
体育などの着替えが無く、女子にも下着を見られない日は安物を履いている。別に見せるつもりは無いのだからそれで良いと思っていた。
『つーかお前、そのクソダサスウェットで寝てるのかよ』
寝起きに一哲に言われた言葉を思い出して意識してしまったのだ。
人に見せなくても身嗜みに気を使うのが女子の当然の嗜みでは無いのかと。
誰にも見せない下着もまともなものを着用することで、美意識が向上してより良い女になるのではないかと。
勉強一筋でも、女としての自分を捨てた訳ではない。
むしろ終わってしまわないように意識している。だからこそ、新入生代表として男子達の視線を釘付けにするような美しさを保てているのだ。
「合体した時に見られて馬鹿にされるのも癪だし、気をつけよう」
それが男の視線を意識しての変化だということに、気付いているのだろうか。
加恋は洗濯を開始し、洗面台へと移動して再び身嗜みを整え始めた。
「今朝やることは……あ、ゴミ出しがあった。もう、こんなんじゃ勉強する時間が無いじゃない」
分担しているのにこの忙しさ。
これまで自分の親がどれだけ大変なことをしていたのか実感する加恋であった。
「今度お母さんに家事のコツを聞いてみよ」
せめて一哲に馬鹿にされない程度には何でも出来るようになろう。
だがそのためには勉強時間を削らなければならない。
加恋にとっての優先度が、徐々に変わりつつある。
それは果たして彼女にとって良いことなのかどうなのか。
「あ、もうこんな時間! 急がなきゃ!」
曲がったリボンタイをきゅっと直し、洗濯物を自室で干し、部屋にカギがかかっていることを何度も念入りに確認し、加恋はゴミと通学鞄を手に慌てて寮を飛び出したのであった。




