第16話 実験動物になるなんてまっぴらごめんだ
一哲はテストの途中でトイレに行ったまま戻って来ない。
加恋は琴遥達の追及をそう誤魔化し、逃げるように慌てて保健室へと駆け込んだ。担任の窓理教師が合体について知っているためフォローしてくれたのも大いに助かった。
「昨日の今日でもうやっちゃったの?」
困り顔で迎えてくれた冬星保健医。
今回は扉にしっかりと鍵をかけ、使用中の札も吊るした。
「こんなに簡単に合体するなら、そのことを先に教えて欲しかったです!」
椅子に座った加恋が抗議するが、冬星保健医は伝える情報の優先度を誤っていた訳では無かった。
「時間が無かったのだから仕方ないでしょ。それに今日は合体なんてしないって思ってたのよ」
「でもしちゃいました」
「そうみたいね。不思議」
冬星保健医が本心から首をかしげている様子だったので、イレギュラーなことが起きたのだろうと加恋は察し、仕方なかったことならばと少しだけ怒りの気持ちが治まった。
「合体の条件って何なんですか?」
「素肌が激しく接触すること」
「…………なるほど、そりゃあ起きそうにないですね」
「でしょ? 素肌が出ている所なんて手と顔と女子の足だけ。しかも嫌い合っているから積極的に近づくこともないし、万一触れたとしても『激しい接触』になることなんてまずないでしょう。身体測定だけは不安だったけれど、別々で測定したようですし」
ゆえに合体は起こらないはずだった。
加恋が一哲の背中を叩いた時も、制服越しだったから合体は発動しない。加恋だっていくら嫌がらせとはいえ、嫌いな男の素肌になんて触れたくもないから腫れた顔を叩くようなことは決してやらない。
加恋が背中に触れると勘違いして手を振り払ってしまった。
その振り払った手が加恋の腕ではなく手に直撃してしまった。
滅多に起こり得ない予期せぬ偶然により合体が発動してしまったのだ。
「はぁ……運が悪すぎ。これ治す方法って無いんですか?」
「分からないわ」
「え?」
無いと断言されるか、あっても時間がかかるとか確証はないなど、なんらかの答えがあるのかと思いきや、まさかの不明という答えに加恋は眉を顰める。
「分からないって……だって先生は合体の症状のことをご存じだったじゃないですか。治せるかどうかくらいは分からないのですか?」
「分からないわね。そもそも合体はこの学園でしか起きない症状であって、情報が全然ないのよ」
「この学園だけ?」
「ええ。どうせ桜ヶ平さんもネットで調べてみたのでしょう。出て来なかったはずよ」
「…………はい」
スマホで簡単に調べただけだが、合体で調べてもアニメや漫画の話しか出てこなかった。
「で、でもこの学園で起きるなら、それこそここなら沢山の情報があると思うんですが」
「あるにはあるけれど、少しだけよ。だって本格的に調べてないもの」
「どうしてですか!? こんな異常な事態なのに!」
未知の病気なのだから、それこそ徹底的に調べて治療すべきだ。それが当たり前だろうと加恋は学園の対応に不満を抱く。
「なら桜ヶ平さんが調べさせてくれる? 毎日朝から晩まで調査することになるから授業を受けられなくなるけど」
「え……?」
どうして学園が合体に対して本気で手を打たないか。
それは学生の未来を考えての事だった。
「未知の病気は確かに怖いわ。でもこの症状は素肌の強い接触が無ければ起こらない、ということだけは分かってる。それだけを気をつければ貴方達は普通に学園生活を送れるのよ。それなのに実験動物になって貴重な高校時代を潰したいのかしら」
「…………」
それは加恋から勉強を奪い、高偏差値の大学への進学という未来が閉ざされるということを意味している。
「これまで合体症状を発症した人には、必ず確認をしています。病気を治すことに専念するか、病気と付き合いながら学園生活を送るか。どちらを選びますか?」
「そんなの……」
選択肢になっていない。
勉強を捨てられるのであれば、そもそもこの学園には来ていないのだから。
「はっきり答えて頂戴。後でサインもしてもらうわ」
後々トラブルにならないためではあるが、これまでトラブルが起きそうになったことは無い。あくまでも念のためである。
「治療は……要らないです」
「そう。なら巌流島君に変わってくれる?」
「いらねーよ。当然だろ?」
顔だけが一哲に変わり、即答してまた加恋の姿に戻った。
一哲としては合体は面倒だけれど、加恋ほどネガティブな症状では無いため迷う必要は無かった。
「それでは本格的な治療は無しにします。と言っても、出来る限りのことはするから少しは安心して頂戴」
もちろん学園側が全く何もしないわけではない。
定期的に採血したり症状を確認したり問診したりと、出来る限りのフォローはしてもらえる。
「そうそう。先ほどの桜ヶ平さんの質問だけど、治す方法は分からないけれど、治らないわけじゃないわよ」
「え?」
「あなたの先輩方は卒業するまでの間に全員治ったから」
「そうなんですか!?」
永遠に合体に悩まされるわけではない。
それが分かっただけでも多少マシであった。
「でも気を付けて頂戴。朝も言ったように、貴方達が合体していることが多くの人に知られたら、元に戻らない可能性があるから。これまでも合体が中々解除できなくなったり、身体が融合しそうになったりと危ないことがあったのよ」
「そんな……」
せっかくマシだと思う情報を貰ったのに、より酷い情報が追加されて結局凹む加恋であった。
「どうしてそんな妙なことになるんですか。他人に知られたから病気が進行するなんて変です」
「分からないわ。ただ、私個人の考えだけれど、自己定義は他者からの観測によってなされるものってのが関係しているのではないかしら」
「意味が分からないのですが」
「合体がバレる。周囲の人は貴方達が合体しているのだと認識する。自分は合体している存在なんだという意識が強くなる。自分の存在が合体しているものと無意識で定義してしまう。定義してしまったがゆえに、他の存在に変化する、つまり元に戻るのが難しくなる。と言ったところね」
「意識が身体にそこまで作用するなんてありえるのですか?」
「どうかしら。私の考えであって確証はないわ」
あくまでもそれっぽい理屈を考えただけであって、真実は誰かが実験動物にならなければ分からない。
「卒業した先輩方に話を聞くことは出来ないのでしょうか?」
合体をどう乗り越えたのか。
アドバイスが欲しかった。
「無理よ」
だが冬星保健医はそれは出来ないと即答する。
「どうしてですか?」
「それは言えないわ」
「え?」
「申し訳ないけれど、理由も言えない。ごめんなさいね」
言えるわけがない。
合体が発症したバディペアが百パーセント恋仲になることを隠しているのに、それがバレてしまう。それはそれでそのことをお互いが意識するようになって面白いかもしれないが、わざわざこれまでと違ったアプローチをする必要はないだろう。
「それよりも、言っておかなければならないことがあるわ」
露骨に話を逸らしたのだが、加恋は全く気付いていなかった。
「体の一部だけ入れ替わる方法はもう分かっているかしら」
「はい」
昨日それで一哲が加恋の胸を揉んだ。
その時にお互いになんとなくコツを掴んでいた。
「では感覚が共有可能なことは気付いているかしら」
「え?」
「(どういうことだ?)」
これまで裏で静かに聞いているだけだった一哲も興味を抱いたようだ。
「よく考えてごらんなさい。今の身体は桜ヶ平さんが動かしているけれど、巌流島君も外の景色を認識できているでしょ? 私の声が聞こえているでしょ?」
「あっ」
「(確かに変だ。俺の目や耳や脳は表に出て無いのに、どうして俺は見えてるんだ?)」
主導権を握っていない方は感覚がなく意識だけが揺蕩っている。目や耳や脳も同じ仕組みであるならば、そもそも外の様子が何も見えず聞こえないはずなのだ。
「桜ヶ平さんが見ているものを巌流島君も見ている。つまり感覚共有が可能なの。目と耳と、そして呼吸も同じ。二人が自然にやろうとしていることは、実は無意識に共有しているの」
「……それは理解しましたけど、重要なことなのでしょうか?」
「とても重要よ。裏にいるからって存在が消えている訳じゃないの。ちゃんと生きてるの。お腹が減るし、眠くなるし、疲れるし、激しい痛みがある場合は痛むわ」
「でもあいつは痛そうにしてないですよ?」
背中の怪我が酷く、触るだけで苦悶の表情を浮かべる。
それほどの怪我なのに脳内で痛い痛いと叫んでいない。我慢しているのだろうか。
「それは普通にしていればそんなに痛くないからよ。自然体のままでも痛い場合は裏でも痛むわ」
「そういうことですか」
「以前、表に出なければ歳を取らないかもなんて喜んだ娘がいたけど、そうじゃないって知ってがっかりしてたのが印象深いわ」
「だからって合体したいなんて思えませんけど」
「そうよね。あ、でも一つだけメリットがあるわ。裏にいても何故かトイレだけは行きたくならないから、トイレに行けない時に催したら合体して隠れてみたらどうかしら」
「…………」
冗談のつもりだったのだが、加恋はくすりとも笑わなかった。
こりゃあ重症だなと冬星保健医は肩をすくめる。
「さて、他に聞きたいことはあるかしら。分かることはそう多くはないけれど、可能な限り答えるわ」
「はい」
「あ、でもその前に一つだけ。病院には行きなさい。特に巌流島君の背中の怪我は放置出来ないわ」
「で、でも……」
「でもじゃない。巌流島君の身体になって行けば良いだけでしょ」
病院なんてセンシティブなところを見られて良いのだろうか。加恋は足首だけだが、そこを診られる姿を男子に見られるなんて恥ずかしい。それが大嫌いな相手となればなおさらだ。
「(…………)」
だが一哲が抗議する様子はない。
男と女の違いなのだろうかと、加恋は不思議に思いながらも病院に行くと決めたのであった。その怪我が自分を守るために負ったものだと知っているから、拒否することなど出来なかった。
それならなんでその背中を叩いたのかということになるが、それはそれこれはこれ。あまりに酷い一哲の行動に、ついそうしてしまっただけであり、一哲の自業自得である。




