素麺が良い
「今日の昼、素麺でいいよ」
盆休み中、夫が言った。内心、腑が煮えくりかえる。
素麺でいい?
見た目はツルッと栄養素少なそうで、茹でれば完成!みたいな顔してるけど、作るのは面倒なんだから。
まず、お湯を沸かすのが面倒。この暑さで溶けるっての。それから水加減も面倒くさいから。案外、すぐヌメヌメする麺なんだから。
そう心の中で文句を言いつつ、ネギを刻み、何とか素麺を作った。
結婚して一年。まだ子供はいないが、正直、夫の昼飯用意するのって面倒だわ。夫は介護関係の仕事だが、テレワークなんて始めたらゾッとする。私はデザイン関連の仕事でテレワークやっているけど、毎日夫は家にいる様子を想像すると、鳥肌がたつ……。
「素麺、うまい、うまい」
まあ、こんな喜んで食べてくれるのなら、作り甲斐はある。「素麺でいいよ」という台詞は腹が立ってくるが、夫はまだ子供なのだろう。そう思う事にして、怒りを鎮める。冷蔵庫の行き、麦茶も出そう。
「は?」
冷蔵庫を見たら、麦茶がない。空のボトルだけある。朝見た時は、満杯だった。昨日の夜、寝る前に私が作って、冷やしておいたから。
つまり、夫が飲んでそのまま放置していたのか。
「もう!」
せめてボトルを流しに置いて、洗うぐらいは、やってくれても罰は当たらないのではないか。
そんなイライラを募らせていたら、実家に両親から連絡が入った。父が熱中症になり、病院に運ばれたらしい。大した事はなさそうだ。すぐに退院したが、しばらく実家で手伝う事になってしまった。
父の面倒は大変だったが、料理は母が作ってくれる。実家に帰るとこの点は楽だった。母の作ってくれた素麺も、なんだかより美味しく感じた。たぶん、1年間主婦業をこなし、料理の面倒さが身をもってわかったからだろう。家では自動的に料理なんて出てこないのだ。子供の頃は母の作る料理にケチをつけたものだが、今はそんな事はできない。
ある意味で実家暮らしも楽しみ、父も元気になったので夫の元に帰ってきた。
「すまん」
なぜか夫はリビングで土下座していた。リビングは、畳まれていない洗濯物やチラシ、ペットボトルのカラなどで汚れて居た。
あぁ、夫は掃除も苦手だった事を思い出し、頭を抱えたくなる。
それよりも土下座しているのが、気になる。どういう事か問い詰めた。
「実はさ、素麺を一人で作ったんだよ」
「へえ」
「あれ、案外面倒だよな。夏の風物詩みたいな顔してるけど、熱湯で茹でる作業は、かなり暑いわな……。ネギを刻むのも面倒。氷も作って置くのも面倒だよな」
自分でやってみて料理、とりわけ素麺作りがいかに面倒だという事に気づいたらしい。
「そうね。なんで素麺って見た目は楽そうに見えるのかな」
「白いからじゃね?」
「まあ、一理あるね」
「あはは」
そんな事を会話しつつ、夫とは何となく仲直りできてしまった。
この日から、決して「素麺でいい」とは言わず、「素麺が良い」と言うようになった。夫にしては立派な成長だろう。
めでたし、めでたし。
いや、そうじゃない!
冷蔵庫を開けたら、麦茶のボトルが空のまま放置されてた。
「ちょっと、これはどういう事?」
再び、腑が煮えくりかえる夏の一日になった。