第九話 家族との別れ
そして後宮に旅立つ日、邸の前には金銀で飾られた輿に、傘持ち。何人も続く荷物持ちと従者一行を見て、朱里は少々困惑した。
「お父様、少し大げさすぎるのではないですか?」
朱里の格好も豪華な花嫁衣裳だ。普段は化粧っけのない顔にも白粉と紅をほどこしてある。
「何を言う。文家の嫁入りともなれば、このくらい当然だ。それに、お前の衣装や輿は陛下が用意してくださったものだ。ありがたく受け取りなさい」
朱里は首を傾げる。
「そうなのですか? でも、これでは妃嬪の一人というより、まるで皇后行列ではないですか」
妃の中では皇帝の正妻である皇后が頂点だ。その下に貴妃、淑妃、徳妃、賢妃という四夫人がつく。その下には九人の嬪がおり、位のある妃は通常は百二十二人もいるのだ。さらに彼女達に仕える宮女が膨大にいるので後宮の女はざっくりと三千人になると言われている。
父親はうなずく。
「主上は即位なさってまだ半年も経っていない。清貧を推奨しておられるし、これまで政務で忙しくしておられたのでお時間がなく、まだ後宮の妃はお前を含めて四人ほどしかいないと聞いている」
「四人……」
朱里はつぶやいて、大きくうなずいた。
「なるほど。同じ妃同士ですし、彼女達とは仲良くしたいですね」
「……まあ、お前以外の妃は陛下の臣下に無理やり押し付けられたようだが……」
ぼそりと付け加えられた父親の言葉を、朱里は「え?」と聞き返したが、父親は笑みを浮かべて首を振る。
「正直、もう少し手元にいて欲しかったが……これほど望まれては仕方あるまい。十年も説得されてはな」
「十年?」
目を丸くしている朱里を父親はそっと抱きしめる。
「……幸せになりなさい。辛いことがあるなら天祐を頼るんだ。もし後宮から出たくなったら、いつでも連絡しなさい。どうにかして出してやるから」
「お父様……」
朱里は父親の言葉に胸がいっぱいになる。
本来なら後宮は死ぬか老いるか臣下に下げ渡された時でなければ出られない。それなのに父親は、左丞相である己の権力を無理に使ってでも助けると言ってくれたのだ。
「……ありがとうございます。文家の娘としての誇りを忘れません」
朱里はそう微笑んだ。
そして父親は言いにくそうに言う。
「蘭玲のことだが……しばらく厳しい環境で性根を叩きなおしてこさせようと思う。親戚の家に奉公に出すことにした」
朱里は少し目を見開く。
「そうですか。どなたの家に?」
「太宗のところだ」
それは父親の弟だ。確か、いとこ達は蘭玲に冷たい態度をしていたような記憶がある。
父親は疲れたような顔をしていた。
「雹華には反対されたが……今までが甘やかしすぎたんだ。殺されかけたお前としては、義妹のこの処分は不服だろう。だが私にも妻にも肉親の情がある。これで許してくれ。たとえ何があろうと数年は家には戻さないから」
雹華とは朱里の義母だ。
「不服も何も、私はまったく気にしてませんよ。もし蘭玲が辛い環境にいるようでしたら、どうかすぐに温かく迎え入れてやってください」
朱里がそう微笑むと、父親は困ったような笑みを浮かべる。
「……蘭玲にもお前の十分の一でも懐の広さがあれば良かったのだがな」
その時、天祐が近付いてきて朱里の肩を叩いた。
「父上、朱里のことはご心配なさらないでください。私もできるだけ様子を見ますから。朱里、後ほど後宮で会おう」
朱里はうなずき、家族全員と抱き合う。玄関先で涙を浮かべる使用人達にも挨拶を済ませた。
別れを惜しみながらも輿に乗ると、右の開いた御簾から明明が覗いた。彼女は隣を歩いて付いてくるのだ。
和気あいあいと明明と話している間に皇城にたどり着いた。