ヒーロー
杉本雅志。46歳。息子が7歳から8歳まではヒーローもののドラマシリーズが大好きだったため、フィギュアやグッズを買い与えていた。
9歳になるとパトカーのおもちゃだけでなく、警察手帳や手錠のおもちゃを望まれるようになる。それにともなって最近は怪人役から、犯人役へのシフトチェンジを求められるようになった。
やることは変わらない。敬は1人2役で最初に一般人を演じる。その一般人に対して犯人扮する雅志は襲いかかる。これ以上は無理かもしれないというところまで一般人が追い詰められたところで敬は役を切り替えて、正義のヒーロー扮する敬が圧倒的に勝利をするというシナリオ。
ヒーローの時も流れは同じだった。片親だからといって頑張って相手をしているわけではない。離婚後は時計や指輪の卸売りをやめて修理に専念していることから、仕事は家で自由に進めることができる。
遊びが始まるのは、夕飯後に皿洗いをしてから風呂に入るまでの約1時間。10歳になって外に遊びに行くことが多くなってからは、夕飯までの時間を退屈そうに過ごす敬の姿を目にしなくなった。
それでも相変わらず夕飯後の遊びは欠かされることがなかった。昨日までは。
ガソリンスタンドで働くようになって2人の会話は少なくなった。仲が悪くなったわけではない。雅志が皿洗いを終えるまでの10分くらいしか話すタイミングがないのだ。
いつも帰るのは20時過ぎ。帰った頃にはすでに皿洗いをしている。その後は必ず風呂場に向かう。この間が約10分。リビングの扉は普通の力で閉めても大きな音が鳴る。カチャンと閉まる扉の音で普段通り気を遣っているのがわかった。
引き出しからタオルを取る音が聞こえる。この全ての音は雅志がいなくなったら聞こえなくなる。深夜になってコンビニへ行ったのは、翌日が休みだったからというだけの理由ではない。
「こんばんわ。すいません!今行きます」
「あ、タバコ吸ってたんですか?」
「今ちょうど戻ろうと思ってたとこなんですよ」
「僕も一緒にいいですか?」
ちょうど戻ろうと思っていたと言う勇紀の右手には、火を点けたばかりのタバコが煙を上げていた。これ以上ないシチュエイションだ。今なら勇紀と話をしたい衝動に駆られて来たことが悟られたとしても、嫌悪感は薄れるはず。
店の外にある喫煙スペースで他愛の話をしていた。雅志がいなくなるところを想像して勇紀の父の形見の話を思い出したのは事実だが、過去を掘り起こすつもりはない。
この時間はお客さんが減る時間とのこと。夜勤で働いている勇紀は基本的に好きな時に休憩をしていると言う。
「すいません。勝手に財布の中を見て家まで行っちゃって」
「あぁ〜…でも届けてもらえて有り難かったんで」
これで確信に変わった。敬は危険な人間ではない。ガソリンスタンドで会った時に動揺している様を見て、何か後ろめたいことがあるのは推察できた。それは他でもない。財布の届け方を間違えたことに気づいたからだ。
あの時になぜ今の謝罪を伝えてこなかったのか?時間をかけないとわからないことでもない。疑問には思うものの、解き明かしたいほどではなかった。
気になるのは、拾った財布を交番まで届けずに家まで来た理由だ。ここまで全て整合性のとれている人間が、何の理由もなしに奇行に走るとは思えない。こうして目まぐるしく頭を回転させていたのは勇紀だけだった。
敬は言いたいことを言えた爽快感に酔いしれている。溝というほど騒々しいものではないが、何か埋まらないものがあったのは事実だった。それを感じとられてしまったら、大事な答えを得る機会を失ってしまうと思った勇紀は最後にこう言った。
「また来てください」
26年前。川口恭平。9歳。今年の春に沖縄から東京へ引越すことが決まった。病に倒れた父の看病に専念することで、子育てができないと言う母のもとを離れて叔母と暮らすことになる。
歳の離れた姉は沖縄の叔父に引き取られた。寂しさよりも優しい叔母に育ててもらえる喜びのほうが大きかった。母や姉のことが好きじゃなかったわけではない。それほど大きい愛で叔母が包んでくれていたのだ。泣きながら空港まで見送りに来てくれた母の手によって、恭平は叔母に引き渡された。
叔母の家には9歳上の女の子と7歳上の男の子と6歳上の女の子がいた。どうすれば実の兄弟のように接することができるのか。そんなことを考えるまでもなく全員が温かく迎え入れてくれた。その証拠に長女のブルマを盗んでしまった時は身内として怒ってくれた。
兄は女の子を泣かせることを極端に嫌う。いつものプロレスごっことは威力が違う技をかけられた。学校でイジメられていた女の子を助けるために殴りかかったのも、1対3で勝てたのも兄の影響が大きい。
学校中の人気者になるまで時間はかからなかった。特に歳下から慕われるようになったのは、上級生の不良グループから下級生を守っていたからだ。学校帰りに上級生が下級生のランドセルを引っ張り回しているのを目撃。助けた相手は1年生の杉本敬。
「あの時に助けてもらった者です」
3年後にクラブ活動で再会した時にそう言われて、鶴の恩返しみたいだと腹をかかえて笑った。いつも恭平の周りには多勢の仲間たちがいた。
イケメンで喧嘩が強くて運動神経抜群。他の小学校にも名前が轟くほどの有名人。卒業するタイミングで引っ越しが決まった時は、送別会に約100人もの小学生が集まった。涙を流している者は1人もいなかった。二度と会えないわけではない。恭平の言葉を聞いて全員が心から笑顔になった。
「またな」




