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魚上氷(うおこおりをいずる)

 いくら理屈不明の便利な道具がある“城”と言えども、どこからともなく食べ物が湧いてくる……ということまではない、らしい。


 ではどうやって生活しているのかと言えば、“黒子(くろこ)”と呼ばれる信者たちが“城”へと捨てて行く品――“捨品(しゃひん)”で暮らしている。


「捨てられた品」と書きはするものの、実質チカたち“城”で暮らす子供たちへの貢物である。ゆえに残飯などが供えられるということもなく、特段肥えているわけではないチカの目から見ても立派な食材が“城”に「捨てられて」行くのだった。


 なお、信者のことを“黒子”と呼ぶのは、彼ら彼女らが総じて喪服のように黒い服を身にまとって、顔を隠しているからである。“城”に住まう子供たちとは対照的な装いだ。


 ちなみに常の生活から黒い服を身にまとっているのかと言うと違うらしい。ただ、“城”を訪れるときは決まって黒い服を着る。そして同じように黒い布でできるだけ顔を隠す。だから“黒子”なのだと言う。


 ということを説明されてもチカはなかなか腑に落ちない。


 なぜ“黒子”たちは“城”にいる子供たちへわざわざ用意したのであろう、立派な食材を貢いでいるのか。単純に考えれば、“城”にいる子供たちに死なれたら困るからそうしているのだろうとチカは考える。


 ならばそもそもどういった理由で子供たちを閉じ込めているのかが、わからない。


 これはチカが“城”にいるだれに聞いても答えてはくれなかった。本当に知らないのか、はぐらかされているのかまではわからない。


 もしかしたら“城”から出られない仕組みと同じように、暗示によって記憶を封じられているとか、そういった理由があるのかもしれない。


 しかしそうであれば打つ手はないと言える。暗示の正体も不明であれば、解き方がわかるはずもない。


 ただ不気味な感覚のみが残るばかりであった。



 “捨品”はほぼ毎朝決まった時間に“城”の玄関扉から続くエントランスホールへと持ち込まれる。“城”の玄関扉は基本的にこの毎朝の“捨品”を受け取るときと、怪物など“城”に紛れ込んだものを追い出すときにしか開けられない。


 “捨品”を持ち込む役目は“黒子”の中では交代制になっているらしい。


 “城”の子供たちに対する“黒子”の態度はお定まりではなかったものの、そう振れ幅があるわけでもない。


 こちらに悪感情を抱いている様子は見えない。かと言って大げさなまでにうやうやしい態度を取るということもなかった。しかし、どこかびくびくとおびえているような気がしないでもない。


 そんな“黒子”たちは“城”の周囲をかこむように点在している村々からきているらしい。


 そんな風に持ち込まれた“捨品”は基本的に“城”の子供たちの共有財産となる。食材などはそうだ。


 しかし例外もあり、持ち込まれるのは食材ばかりではない。服やアクセサリー、稀に化粧品などもある。そういった品々は子供たちで話し合うなり、じゃんけんをするなりして分配する。だれも興味を示さなければ、共有財産という形で倉庫行きとなる。


 他に共有財産となるものには本がある。“捨品”として貰った本は、地下にある図書館にすべて収蔵する。


 しかし今日はそういった装いに関するものや本の類いはなかった。基本的に“捨品”は食材で占められており、前述のようなものが持ち込まれるのはレアなのだ。


 食材は重要だ。食欲を満たし、生きるための栄養を得るには、食材がなければ始まらない。


 その日はパンや卵や野菜の他に、川で採れたイワナやヤマメといった立派な魚があった。


 マシロなどはなんでも好きらしく喜んでいたが、コーイチやアオなどは獣肉のほうが好きらしい。それでもふたりとも年頃――のように見える――らしく食欲は旺盛であるし、偏食と言うほどでもないので焼いた一尾はすぐに平らげていた。


 アマネは箸を器用に操って綺麗に骨を取っていたので、チカは失礼ながら意外に感じた。どちらかと言えば所作は粗暴なアマネであるが、どうも食事に関してはきっちりとしつけられているらしい。


 ということは家族なりなんなり、大人に教えられたのだろうかとチカは思わず考えてしまう。


 家族。あえて考えないようにしていたが、チカたちひとりの人間がこの世に存在しているということは、すなわち生物学上の父母は必ず存在しているということになるだろう。


 しかしこの件は考えれば考えるほど気落ちしそうだったので、チカは無理やり思考を打ち切った。


 アマネを挟んで奥側にはユースケとササが今日も定位置に並んで食事をしている。


 が、今日はユースケがいつになくササの世話を焼いていた。なにせササのためにわざわざ魚の骨を取ってやっているのだから、このときばかりはふたりは恋人同士というよりは、親と子のようであった。


「ほらサっちゃん、これで食べられるだろ」

「ん。ありがと」


 ちなみにユースケはササのことを「サっちゃん」と呼ぶ。逆にササはユースケのことを「ユー」と呼んでいる。


 マシロによればふたりはもともと幼馴染という間柄らしく、その気安げな呼び名でずっと呼び合っているのだろうということは容易に察せられた。


 愛の形はいろいろだ。ゆえにだれもユースケとササの関係性には無粋な突っ込みを入れない。


 こんな閉鎖空間で揉め事を起こしたい人間はいないだろうし、恐らく単純にみんな、それぞれの恋愛観には興味がないのだろうと思われる。


 チカだってそうだ。「触らぬ神に祟りなし」とはよく言ったものである。


 しかし「祟り」ではなく「災い」は、先んじて触らずともわざわざとやってくるものらしい。


 その晩はやはり冷えていた。冬なのだから、当たり前だ。それでも寝室に置かれた仕組み不明のストーブから発せられる熱のお陰で、快適な睡眠を得ることができる。


 文明とは素晴らしいものだ。そんなことを夢うつつの中で思いながら、チカはウトウトとしていた。


 そんな眠りを妨げる衝撃音が、部屋の扉から発せられたので、チカは一度に目が覚めた。


 また先日の“城”を徘徊するそれかと思えば、木製の扉の叩き方に違和がある。拳で叩くようなものではなく、まるで体当たりを繰り返しているかのような音であった。


「っせーな……」


 犬のような唸り声を上げつつ、アマネが眉間にしわを寄せたまま起きる。寝乱れた髪を手櫛で押さえたあと、寝室の扉のほうへと目をやった。


「チッ、今日の“捨品”か……?」


 チカは目が覚めていたもののアマネの言葉の意味が理解できず、頭上にクエスチョンマークが浮くような気持ちになった。


 アマネは大きなあくびをひとつしたあと、壁に立てかけてあった棒を取る。


「え? 行くの?」


 平素の徘徊者への対応のように、過ぎ去るのを待つものだとチカは思っていた。だから、先ほどまでずっと口をつぐんだままでいたのだ。


 しかしアマネは外へ打って出る気が満々に見える。ゆえに思わず、チカも口を開いたのであった。


「行かねえと扉が壊れる……」


 アマネは不機嫌そうな声で言う。眉間のしわが深い。寝起きからハイテンションな人間はそういないだろうが、アマネのローテンションぶりは常人のそれよりもさらに低いものだということを、ここ数日でチカはよくよく承知していた。


 それでもアマネは外へ出る気らしい。しかも棒を携えているということは、戦う気満々だ。


「いつものやつは扉を壊さないんじゃ」

「……これはいつものやつじゃねえ……。たぶん“捨品”に紛れ込んでたんだろ」

「あ、私も行く……」


 棒の使い方は一通りマシロから習っていたものの、実践はチカの記憶の上では初めてだった。


 それでもアマネをひとり向かわせるよりはまあ、多少マシだろう。戦力が微々たるものだとしても、アマネの背後くらいは守りたいものだ。チカはそんな気持ちでつやつやとした光沢を放つ棒を握りしめた。


 アマネはちらりとそんなチカを見たが、なにも言わなかった。「くるな」とも「こい」とも言わない。どちらであろうとチカはついて行く気だったから、そんな様子を見て無駄な言葉を発することをやめたのかもしれない。


 アマネについて寝室を出て、部屋の扉の前に立つ。なにかが体当たりするような衝撃音が繰り返され、扉は今にも壊れそうなほど揺れていた。


 アマネは一度合図をするようにチカを見たあと、内側にある閂を抜いて扉を蹴り開けた。


 途端に、魚の生臭いにおいが鼻をかすめる。同時になにか弾力のあるものが壁に打ち付けられた「びたんっ」という音が廊下に響く。


「……やっぱ“捨品”だな」


 足元に置かれたランタンの光を受けて、テラテラと輝くその表面は間違いなく魚のもので、姿もまた魚そのものでしかなかった。


 夕食の席で出てきたイワナかまではわからなかった。イワナは食べてしまったので、冷凍庫行きになったヤマメかもしれない。いずれにせよ川魚の区別をつけるのが得意ではないチカには、どちらかの判断は下せなかった。


「くるぞ、構えろ」


 廊下の奥からスイーッと、まるで水中を泳ぐかの如く魚がやってくる。奇妙奇天烈。そんな言葉がチカの脳裏で点滅する。


 しかしそのことに気を取られている余裕などはなく、棒を持つ手に力を入れる。


 あとは野となれ山となれ。息が詰まりそうな魚の生臭さの中、チカは必死でこちらに向かってくる魚を床や壁にぶつけて行く作業を続けた。

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