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ドグマの城  作者: やなぎ怜


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鴻雁来(こうがんきたる)

「ふん、これが“永遠の城”か。なんとも陰気な」


 一瞬、コーイチとアオが「じゃあ来るなよ」と言わんばかりの顔をしたが、幸運にも男は見ていなかったらしい。目撃していたチカもなにも言わなかった。そういう顔をしたくなった気持ちは、十二分にわかっていたので。


 妙に声が甲高い、長身痩躯の男は大地主の息子だとかなんだとか。実際のところ、男が一国の王であったとしても、チカたちからすれば「はあそうですか」という感じである。要するに敬うほどの情報も恩も、持ってはいないのだ。


 “永遠の城”。いつだったかの少女もそう言ってこの“城”に夢を見ていた様子だったが、いったい外ではどういう評価を得ているのだろうと気にはなる。ただ、今目の前にいる男に気安く聞ける事柄でないことは、たしかだ。


 男はどうしても“城”に泊まりたいらしい。信者である“黒子”から打診を受けた時点で、よほど断りたかったが、“黒子”たちの妙におびえた様子を見て結局七人は受け入れることにしたのであった。


 しかし、早くもみな後悔していることは、微妙な空気から察せられた。


 男は従者らしき初老の男性だけを引きつれていた。どうやら男の世話はこの従者がするようだ。チカたちのだれかがやるハメにならなくてよかった、とホッと胸を撫で下ろしたのは言うまでもないことだろう。


 男は先ほど“城”を腐しはしたものの、その目は不気味に輝いていた。チカたちは当たり前のように男の目的を知らされていない。きっとロクでもない目的だろうというところで、七人の意見は一致していた。


 幸いにも男はチカたちには微塵の興味も抱いていない様子だった。となるとその目的は“城”そのものか。たとえば地下図書館にある書物を読みたいとか……。


 エントランスホールで解散したあとも、チカはそんなことを取りとめもなく考える。そうやって脳の容量を圧迫することで、本来であれば考えなければいけないことから逃げようとしていた。


 先日のアマネの言葉が、チカは未だに呑み込めないでいる。


「記憶を思い出さないほうがいい」


 その真意はアマネが語らなかったので不明だ。そして彼はそれを明らかに語りたがっていなかった。


 そしてその一件以来、チカはアマネとシェアしている部屋にいるのに、居心地の悪さを感じるようになっていた。


 アマネがどう思っているかはわからない。案外とチカのように気にしていないし、居心地が悪いとも感じていないかもしれない。しかし少なくとも、アマネの顔からその胸中は読めない。


 勝手にチカが居心地悪く思っているだけならいい――実際はよくない――のだが、アマネもチカと同じように思っていれば、なんとなく申し訳ない気持ちにはなる。チカが不用意なことを聞かなければよかった話だからだ。チカは、そう思って少々気に病んでいた。


 チカは、アマネを困らせたかったわけではないのだ。ただ、己の過去を知りたかった。けれどもそれはアマネたちからすると、困ることのようらしい。なんとも難儀なことである。


「あの男、何日で逃げ出すか賭けようぜ」

「どっちに賭けるんだ?」

「明日には逃げ出す」

「俺もそう思っているから賭けにはならないな」


 食堂でアオとユースケがそんなことを駄弁っている。


「一日で逃げ出すかあ? それは根性なさすぎだろ」

「おっ、コーイチはそっちに賭ける?」

「いや、賭けはしねえ」

「ええー」


 賭けを断ったコーイチに、アオがうざ絡みをする。


 こうして食堂の声に耳を傾けているのは、アマネとふたりきりの空間に耐えられないからだ。チカとアマネは今、昼食を手掛けている。必然、台所にはふたりきりだ。


 ちなみに男の食事は従者が手ずから作って持って行ったあとである。男はチカたちと食卓を同じくする気は一切ないようだ。そのほうが、チカたちとしてもありがたいが。


 そうこうしているうちに昼食ができあがり、食堂で配膳をする。


「なあ、アマネはあの男、いつ帰ると思う?」

「今日にでも帰って欲しいが」

「それは同感! ――で、賭けない?」

「賭けない」

「ちぇー」


 アオは果敢にもアマネを賭けに誘ったが、答えはにべもないものだった。


「でもたしかに慣れていない人には、あれは怖いかもね」


 マシロが言う「あれ」とは、深夜に出る“城”の徘徊者のことだ。記憶を失った当初はビビっていたチカも、今ではすっかり慣れてしまっていた。それでもたまに部屋の扉を叩かれるのは心臓に悪いが。


 もちろん男と従者には深夜(レイ)時を回ったら部屋の外には出ないように言ってある。説明したのは多少取り繕うことがうまいユースケだ。コーイチは言葉遣いがざっくばらんすぎるし、アマネもしかり。そして明らかに男をよく思っていないアオは論外だった。ちなみに、男の様子からして女性陣はなめられそうだったので、最初から選択肢に入っていない。


 男はチカが半ば予想していた通り、“城”の地下にある図書館に入り浸っているようだった。なにが目的かは未だにわからない。男がいるあいだは地下図書館には行かないほうが無難だろうと、マシロたちと話すばかりだった。


 そしてその夜、事件は起きた。


 チカは悲鳴を聞いて起きた。おどろいて、叩き起こされたも同然だった。それくらいその悲鳴はすさまじかった。


 思わず確認するようにベッドの隣に目をやれば、アマネはしっかりと目を開けて、上半身を起こしていた。寝起きはぐずぐずとしがちな彼にしては珍しい。しかしそれにおどろいている暇もなく、また悲鳴がこだました。


「え? なに?」


 数日前の一件以来、アマネに対して気まずい思いを抱いていたチカだったが、このときばかりはそんな気持ちは吹き飛んでいた。


 また悲鳴が聞こえる。絹を裂くというレベルではない、すさまじい声だ。それは断末魔にも聞こえた。


「外に出たんだろう」


 おののくチカに対して、アマネは冷静かつ淡々とした声でそう答える。


「外に? え? なんで? だれが?」

「……落ち着け。多分あの男か、その従者か……恐らくはあの男だろう。(レイ)時を過ぎたら出るなってユースケが言ってたのにな。自業自得だ」


 掛け布団の端をつかむチカの手に、アマネの手が重なった。チカよりも節くれだっている、大きな男の手だ。その手はいつも通り冷たかったが、かえってチカはアマネの存在を思い出して少しだけ落ち着く。


「助けに行くとか考えるなよ」

「……考えてないよ」

「……あの男より、おれたちはお前のほうが大事なんだからな」


 アマネは照れくさいのか、視線をそらしてそう言う。チカは不思議なことに、その言葉を聞いた途端、胸に抱いていたわだかまりがじわじわとほどけていくのを感じた。


「……ごめん」

「あ?」

「いや、なんかここ数日気まずく思ってたの、悪かったなって今思ったの」


 アマネはポカンとした顔をしたあと、眉間にしわを寄せた。しかし、怒っているわけではないことは、雰囲気から察せられた。


「別に、そんなこと気にしてねえよ」


 ぶっきらぼうな言い方だったが、チカにはうれしく、同時にこそばゆい気持ちにさせられる言葉だった。


「あのね、いつか話して欲しいって気持ちには変わりはないよ。私のことだから、やっぱり知りたい」

「…………」

「でも、待つよ。いつまででも。今、そういう気持ちになった」

「今かよ」

「うん、たった今」


 チカはそう言って笑った。屈託なく笑ったのが、ずいぶんと久しぶりに感じられた。


 そうすると不思議と、チカとアマネ、ふたりのあいだに横たわっていた居心地の悪い空気は、いつの間にか雲散霧消していた。


 アマネがチカの手に重ねていた指に、少し力を入れる。チカはそれを、怖いとは思わなかった。


 アマネは「ハア」とあからさまなため息をつく。


「……明日、あの男が死体で見つかったらイヤだな」

「ヤなこと言わないでよ……」

「まあ従者とやらに片づけさせるか。……おれたちにできることはなんにもねえし、もう寝るぞ」

「……うん」


 翌朝、チカがアマネと共に食堂に出てくれば、そこにはすでに五人が集まっていた。そしてもうひとり、あの男の従者らしい初老の男性がスッキリとした立ち姿でたたずんでいた。


「昨夜はご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございませんでした」


 そう言って深々と頭を下げた従者の顔からは、感情が読めなかった。


「……昨夜のことは、どうかお忘れになられたほうがよろしいかと。わたくしどももそうしますゆえ」


 従者のひと言で、チカは色々と察してしまった自分がちょっとイヤになった。


 昨夜のアマネの懸念が的中しなかったことだけを、今は喜ぶべきだろう。


 従者は男が持ち込んだ荷物をまとめて、外から呼んだ使用人らしき男たちに運び出させると、一礼して“城”を去った。


「結局、安眠妨害されて終わりかー」


 アオが唇を尖らせて言う。従者が言わずとも、チカたちは早々にあの男の一件を忘れそうだ。


 ただチカだけは、しばらく男のことを忘れられそうにないかもしれない。昨夜は、アマネの心の一端に触れられたような気になった、いい夜だったから。


 昼頃にはすっかりもう話題にはしなくなるだろうが、今はやんややんやと男について話しながら、チカたちは日常に戻って行った。

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