玄鳥去(つばめさる)
“城”のセキュリティなんてあってないようなものである。窓という窓は木板で塞がれているものの、剥がそうと思えばできるものであった。よって過去にも侵入者があったことをチカはちゃんと覚えている。
しかし“城”のセキュリティに思いを馳せても、今の状況は変わりはしない。そう、“城”にやってきた侵入者が今も居座っているという状況は。
その侵入者である少女曰く、「意に沿わない結婚から逃げるためにやってきた」そうだ。侵入の理由としては、まあまあ同情を誘うものではあったが、それが少々効くのはマシロとチカくらいのものであった。
アオなどはけんもほろろに「結婚がイヤなら尼僧にでもなればいい」と切り捨てたが、少女は粘り強かった。少女からすればこれからの人生がかかっている場面なのだ。しかし結婚はイヤだが尼僧になるのもまたイヤらしい。
それでなぜ“城”にやってきたのかまではわからない。以前やってきた別の少女のように、“城”に対して幻想を抱いているのかもしれない。
とにかく少女は“城”に逃げ込みさえすれば、あとは「なんとか」なる――かもしれない、と思っているようだった。どうすれば「なんとか」なるのかはだれにもわからなかった。
普通に考えれば結婚式だって――周りの迷惑を考えなければ――いくらでも延期はできるものだろう。少女の意に沿った形で「なんとか」なる確率は、限りなく低いように思えた。
そういうわけで、少女の算段が浅はかなものだと七人のいずれもが思ったのは、わざわざ言うまでもないだろう。マシロもチカも、親の決めた相手と結婚させられる少女には同情したが、その浅はかさは擁護できないと感じた。
出ていけ、出て行かないの問答の末に、結局はしばらくのあいだ少女を“城”へ置いておくことになった。幸いと言うべきか、不幸と言うべきか、空き部屋は余るほどにある。少女はそのひとつを占拠して上機嫌になった。
少女を追い出したい最先鋒のアオも、さすがに自分よりか弱いとハッキリわかる相手に暴力をふるうのははばかられたようだ。もし少女が少女でなく、少年だったら間違いなくアオの鉄拳制裁を食らっている。
もちろんチカたちは少女をそのままにしておくつもりはなく、翌朝の“捨品”を受け取る際に少女がいることは“黒子”に伝えた。“黒子”は怯え、恐縮しきりといった様子で少女の両親に伝えると言った。
少女が結婚を控えているのは残念ながら事実らしい。狂言であれば恐ろしいことだが、その可能性もなくはないとおもっていただけに、ひとまずその点だけは安心できた。
しかしアオからすれば狂言であったほうがよかったかもしれない。追い出すのに躊躇しなくてもよいという面で。
少女に両親が捜し回っていたことを告げても、彼女からするとどうでもいいらしかった。己の意に沿わない結婚をさせようとしている親など、いくら困ってもいい、ということらしい。
これは解決まで難航するかもしれない。七人のいずれもが思った。
「意に沿わない結婚をさせられて、結婚生活が上手く行くはずがないわ! でも離婚なんてよっぽどのことがないとできないもの。ああ、結婚なんてしたら最後、ひどい夫に虐げられて、泣き暮らすに違いないわ!」
少女は、悪い方向のロマンチシストというか、悲観主義というか……とにかく己が世界一不幸な悲劇のヒロインだと思っているのだなあとチカは思った。
少女に出て行ってもらおうと、説得すべくやって来はしたものの、一事が万事この調子なので、少女に納得づくで出て行ってもらうのは厳しそうだと内心でため息をつく。
「フタを開けて見ないとわからないと思うけど」
チカはそう言ってはみたものの、もちろんこんなやる気のないセリフで少女が説得できるとは思っていない。
チカは少女に対して多少同情の心は持っている。結婚は無理やりにするものではないと思っているからだ。一方で結婚すれば人生がすべて終わるというような少女の考えに同調しているわけでもなかった。
しかしチカは記憶がない。外での法がどうなっているかも知らないので、迂闊なことは言えないとだいぶ口をつぐんでいるのであった。
「男なんてみんな同じよ」
少女のこれまでの口ぶりからすると、彼女が結婚を嫌がる背景にはもしかしたら彼女の両親のありようがかかわっているのではないか、とチカは邪推していた。しかしそれは純然たる邪推である。実際のところはどうかは知らない。そしてそれを聞き出そうという気力はチカにはなかった。
「一度くらい会ってみたら?」
「イヤよ! ここから出たら、わたしは人生の墓場へ行くの! そんなのゼッタイいや! うら若き乙女が好きでもない男のために青春を浪費するなんて……ゾッとする!」
少女の言い方はいちいち芝居がかっていて大げさなので、聞いていると疲れてくる。少女の説得へ向かう足が重くなるのもむべなるかな。少女の存在を迷惑がっていても、説得しようという機運が高まらないのは、ある種、仕方のないことであった。
「あなただって冷たい男たちと一緒に住んでいて疲れるでしょう?」
「冷たい男……?」
どうやら「冷たい男たち」というのは、アオを筆頭とした“城”で暮らす男性陣のことを指しているようであった。
チカはそれを理解したところで、ちょっとムッときた。
「……別に冷たくはないと思うし、疲れたとか思ったことはないけれど」
「それはあなたが男たちに飼いならされてしまっている証拠よ!」
聞く耳を持たないとはこういうことを言うのだろう。薄々気づいてはいたが、少女はどうも夢見がちな上に思い込みが激しいタチのようである、簡単に言えば、厄介この上ないということだ。
「あなたの男女観についてどうこう言う気はないけれど、押しつけるのはやめて欲しいな」
どちらかと言えば温厚だと自負しているチカも、カチンときて思ったよりもキツイ返しをしてしまう。
七人は仲が良い……かどうかはわからなかったが、少なくともこの少女のように傲慢で周囲を顧みない性格をしているわけではない。大きな揉め事もなく“城”という閉鎖空間で過ごせているのだ。他人を思いやる心はそれなりにあるに違いなかった。
チカは他の六人を友人と呼ぶのは躊躇してしまうが、しかし共同生活を送る仲間だという認識はある。少女の言葉は、その仲間をコケにされたようにチカには感じられた。だから反射的にムッとしてしまったのだ。
「少なくとも今現在大きな不満もなければ、大喧嘩するほどのこともないから」
もっともっと少女を傷つけようと思えば、チカにはそれができた。しかし残っていた理性でその感情をどうにか押し込める。少女だって被害者なのだとチカは己に言い聞かせた。
「男はみんな女を召使くらいにしか思ってないわよ!」
「あなたの周りがそうだったとしても、ここにいる彼らがそうとは限らない。もしあなたの周りがそういう男ばかりだったなら同情するけれど、私の知る彼らもそうだと決めつけている時点で、『女を召使くらいにしか思っていない男』とあなたは同じだよ」
「あなた、女なのに同じ女をかばわないで男をかばうの?」
「え? いや……あなたの言っている意味がほんとーにわからないんだけど……」
キイキイとがなり立て始めた少女に、結婚すれば墓場行きなのは、彼女の夫になる予定の男ではないかとチカは思った。
顔を真っ赤にして怒り出した少女を、なだめるべきかどうかチカが悩んでいると、部屋の扉がノックされた。
「迎えが来たぞーっと……て、どうした?」
「いや、ちょっとね……」
顔を出したのはコーイチとアマネだった。金切り声に近い声を上げる少女の様子を見て、コーイチはちょっとおどろいた顔をする。対するアマネはいつもの倍は渋い顔をした仏頂面だ。眉間に刻まれたしわは、いつもより深い気すらする。
「おい、いくぞ」
アマネはつかつかと少女に近づくと、素早い動作で羽交い絞めにしてしまった。少女が「キャーッ」と声を上げたので、アマネの目がイヤそうに細くなった。
「そうビビんなよ。迎えが来たから連れて行くだけだ」
「イヤよ! イヤ! わたしはゼッタイ結婚なんてしないんだからーっ!」
「じゃあどうにか親御さんを説得するしかないんじゃねえの?」
「聞く耳がないからここにきたのに! ねえっ、助けてよ!」
チカは数秒かけて、少女が助けを求めた相手が自分だと気づき、次に呆気に取られた。
「え? 私?」
やっぱり一番不幸なのは少女の結婚相手ではないだろうかとチカは再び思わざるを得なかった。
アマネが少女の言葉に耳を貸さず、ずるずると羽交い絞めにしたまま引きずって行く。そのあいだも少女はジタバタと暴れて仕方がなかったので、コーイチが少女の足首をつかんで持ち上げてしまった。
「キャーッ! なにすんのよ!!!」
「いや、お前が暴れるからだろ……。この体勢がイヤならアマネのこと蹴るなよ」
「こいつのことなんてどうでもいい。早く連れて行くぞ」
見ているチカですら疲労感を覚えるやり取りだった。実際に少女と格闘するハメになっているふたりの苦労がしのばれる。
チカが少女に対して当初感じていた同情心はどこかへ飛んで行ってしまっていた。たしかに意に沿わない結婚を強いられるのは可哀そうだが、だからと言って関係のない人間を罵ってもいいということにはならない。
チカは己は存外と心が狭いのだなと思った。そう考えると、少女に蹴られても床に放り出さないアマネのほうが、人間が出来ている。
アマネとコーイチが向かった先は当然ながら玄関扉のあるエントランスホールだ。そこで待ち構えていたのは、少女の両親とおぼしき初老の男女と、少女よりいくつか年上に見える青年だった。
大暴れだった少女は、両親とおぼしき男女と青年を見ると動きを止めた。これ幸いとばかりにコーイチは少女の足を床に下ろす。アマネも、拘束を解いた。
「このたびは娘が大変なご迷惑をおかけして……」
やはり初老の男女は少女の両親だった。顔に疲労をにじませた少女の両親は、そう言って深々と頭を下げる。自分より遥かに年上の人間に頭を下げさせているのだと思うと、チカはなんとなくうしろめたさを感じた。
「謝罪はどうでもいい。とにかくあんたらの娘は連れて帰ってくれ」
アマネはぶっきらぼうな口調でそう言う。その声には呆れと、かすかな怒りがにじんでいるように感じられた。もしかしたら、先ほどの少女とチカのやり取りを聞いていたのかもしれない。
そして一方の少女は――青年と見つめ合っていた。
「この人は――わたしの運命の人だわ!」
「は?」
コーイチの「は?」という声が妙にエントランスホールの天井に響く。しかしそんな声など聞こえていないのか、少女と青年は熱心に見つめ合っていた。完全にふたりの世界に入っていた。
「ああ、なんて可憐な乙女なんだ……まさか、君が僕の妻になるって?!」
「そうよ! わたし、あなたの奥さんになるの!」
「ああ、なんたる僥倖! 神よ、感謝いたします――」
「は?」
コーイチがもう一度「は?」と言った。そう言いたい気持ちはチカにはよくわかった。いや、わかりすぎた。
今までの苦労は、不快感は、いったいなんだったのだろう――。チカはべたべたとくっつく少女と青年の背を見送って、そう思わざるを得なかった。
「わけわかんね」
コーイチは呆れた声でそう言ったし、アマネは無言だったが眉間のしわが彼の心情を雄弁に物語っていた。
チカも大きな、それは大きなため息をついた。
この結末を、居合わせなかった四人にも説明しなければならないのだと思うと、なおさら大きなため息をついてしまう。
――なんにせよ、解決したのはよかったことだ。うん、そうだ。
チカは己にそう言い聞かせることで、叫び出したい気持ちを抑え込んだ。
このあと、この結末を聞かされた四人がわけがわからないという顔をしたのは、言うまでもないことだろう。




