蓮始開(はすはじめてひらく)
『キレイなハスだな……』
チカは「えっ」とおどろいた。床から顔を出しているハスの花に気づいて近づいてみたのは、どうやら不用意だったようだ。
薄紅色の花を咲かせているハスが、かすかに震えながら言葉を発したのだ。
『うわ、なんか近づいちゃいけないやつだったか』
しかも、ハスから発せられる声はチカのものに似ている。しかも、どうもこのハスは近づいた人間の思考を読み取り、言葉として発しているようである。
面妖そのものであったが、“城”ではこういった不可思議な事象が起こることは、それほど珍しくもない。
思考を読み取るハスが突如として現れたとしても、なんらおかしくないと思えるほど、“城”は不可思議な事象であふれていた。
『うーん、思考を読み取ると言っても深層心理とかまでは読み取れない感じなのかな』
ハスが発する言葉はチカが口にしようと考えていたものばかり。ということは、このハスは心の奥底に眠る願望だとか、そういった深層にあるものまでは読み取れないのかもしれないとチカは考える。
そうであればさほどの脅威とは言えないだろう。すわ人間関係に不和をもたらす恐ろしいハスかと思ったが、チカが考えた最悪の想定は無事外れた形である。
『ああ、今年も出たのか……』
ハスが先ほどとは違う声でしゃべった。その声はチカが知る人間のものに似ていた。というか、ハスの特性がチカが先に想像した通りであれば、ここでチカの知らない人間の声が出てくることはありえないはずだ。ありえれば、立派なホラーである。
廊下の先から顔を出したのはユースケとササだった。先ほどの声はチカが知るユースケの声と似ていたのである。
「『ユースケ、ササ、このハスのこと知ってるの?』」
チカとハスの声が見事に重なる。ハスの声は微妙にぎこちがないので、どちらかが話したかの判断はつくが、それにしたって同じ言葉を被せられるのは少々気持ちが悪い。
『うーん、声が被ってるの、気持ち悪いなあ』
そしてその考えは、そのままハスが震えて口――があるのかは知らないが――にする。
だがユースケはそれを無視して、不思議そうにハスを見るチカに説明をしてくれる。ササはと言えば、いつものように無表情でぼんやりとしており、ハスがしゃべらないところからして、なにも考えていないようである。
「『おおかた、去年駆除し損ねたハスだろう』」
「『そんな話、前にも聞いたような……』」
「『ま、似たような話はこの“城”じゃ珍しくないからな。去年は床の隙間をほじくり返して種を回収したんだが……まあ咲いたってことは残っていたんだろう』」
「『その様子だとあんまり害はない感じ?』」
「『去年の様子だと朝に開いて、昼過ぎには閉じてしゃべらなくなるはずだ。で、それを三日ほど繰り返したあと枯れて種になる』」
「『三日の命か……こちらとしてはありがたいけど、儚い命なんだね……』」
思わず見た目は美しいハスに思いを馳せてしまうチカであった。
しかしウェットなチカに対して、ユースケはどこまでもドライなようだ。
「『三日と言わずすぐにでも枯れてくれたほうがいいけどな。邪魔だし』」
「『まあ、通行の邪魔か……』」
たしかに床から花を出しているハスは、大きい。チカがひと抱えしなければ持ち上げられなさそうなくらいの直径がある。それがどーんと廊下の真ん中を陣取っているのだ。冷静に考えなくても、通行の邪魔であった。
『切るのか』
またハスが身を震わせて言葉を発する。今度はササの声に似ていたので、彼女の思考から発せられたものなのだろう。
「『切って根っこも掘り起こさないとダメだろ』」
『レンコンができるまで待たないか』
「『待たない。そんなことしたらまた来年も花を拝むことになる』」
『そうか……残念だな』
「『早く切りてえな。このハスがあるとサっちゃんがしゃべるのを横着する……』」
ユースケに言われてササが一切、己の口ではしゃべっていないことにチカは気づいた。ユースケはそれを嘆かわしそうな顔をしてため息をつく。
『しゃべらなくていいのは、ラクだ』
「『俺はこんなよくわかんない花から発せられる声と意思疎通したくないんだが……』」
『そうか』
「そうか」と言いつつササは一切唇を動かさない。ササはユースケに世話を焼かれているところをよく見るが、唯々諾々と彼に従い、すべてをゆだねているわけではないのだ。
『わたしは別に気にしない』
ユースケは「そういうことではない」とばかりに大きな、それは大きなため息をついた。
一方、取り残された形となったチカは、「いったいなにを見せられているのだろう……」と親密な様子のユースケとササを見守るしかないのであった。
そのあと、ユースケの主導でハスを掘り返して回収したが、結局その次の年も花が咲くことを、今のチカたちは知りもしないのであった……。




