螳螂生(かまきりしょうず)
カマキリは「拝み虫」とも呼ぶらしい。なるほどなと思いつつチカは命乞いをするカマキリと、それを生ゴミでも見るような目を向けるアオを一瞥する。
アオがとにかく虫全般がダメだ。女の子のような叫びを上げてぶるぶると震えるくらいだ。コバエですら顔を青くするので、それより大きい虫なんて言語道断だった。
そんなアオだが、今は珍しく虫――カマキリと泣き叫びもせず対峙している。限界のメモリを突破してしまったのかもしれない。
とかくアオは冷酷な顔つきで命乞いをするカマキリを見下ろしていた。
「生まれたばかりのこの命、散らせるのは可哀想だとはお思いになりませんか?」
「思わない」
バッサリだ。キッパリだ。
そもそも命乞いをするカマキリとはなんぞやという話なのだが、ここは不可思議な現象が片手では数えられないほど起こる“城”の中。人語を解し、命乞いをするカマキリが現れてもなんら不思議ではないのであった。
カマキリは「拝み虫」の名の通り、カマを擦り合わせて拝むような様子で、眼前で仁王立ちをするアオへと向かい、命乞いを続けている。
チカはそんなカマキリの姿にわずかな同情心を抱いたものの、一方で冷たく命乞いなどムダだろうと考えていた。
アオは虫がダメなのだ。嫌いなのだ。そんなアオが“城”で孵化したカマキリを一匹でも見逃すはずがなかった。
それに仮にカマキリを救おうと思ったとしても、すべての虫を憎むアオを説得するのはあまりにベリーハード。土台無理な話であった。
相互理解など夢のまた夢。それをわかっているからこそ、チカはアオとカマキリとの対話に口を挟まなかったわけである。
「お許しを! お許しを!」
「虫に生まれた己を恨めよ。じゃあな」
孵化したばかりの色の薄いカマキリがまた一匹、儚くなった。
「これで最後か?!」
「わかんない。なにせ出てきたのも多かったから……」
卵からわっと出てきた幼カマキリたちを思い出してしまったのか、アオの顔が名前通りに青くなった。
「クソッ、忌々しい……」
アオの、いつものヘラヘラとした笑いがどこかへ飛んで行ってしまって久しいとチカは感じる。かと言ってあのヘラヘラ笑いが好きかと問われると答えに窮してしまうが。まあしかし、怯えている顔よりはヘラヘラされているほうがまだマシというものであった。
「そんなのでよく“城”で暮らせるね……虫とか入って来放題だと思うんだけど」
「ヤなこと思い出させるなよ」
“城”は閉鎖空間ではあったが、密閉されているというわけではない。ガラスのハマっていない窓には木板が打ち付けられているものの、丁寧な仕事とは言い難く、その隙間からはときたま虫が入り込んでくる。
だがどうやらアオは日常においてはそれらを忘却することで正気を保っているらしかった。
アオをジャングルなどに放り込んだらショック死してしまいそうだとチカは思った。
「憎々しい虫どもめ……絶対に根絶やしにしてやるからな……」
完全に言っていることが悪役そのものである。魔王とか、悪の親玉とか。チカはそんなくだらない空想をしつつ、手にしていた棒を握り直す。
「なんでそんなにダメなの?」
「あん?」
「いや、なんかキッカケとかあったのかなって」
アオは答えてくれなさそうだと思いつつチカは質問をする。
だが予想に反してアオは、顔を青くしつつも答えてくれた。どうやら、当時のことを思い出しながらしゃべってくれるようだ。
「……昔、寝てたときに天井から……ムッ、ムカデが降ってきて……噛まれた……」
「あー……」
「それ以来、ダメなんだよ!」
ムカデが天井から降ってくるとは、アオが暮らしていたところはそこそこの田舎だったのだろうか。アマネは都市部で暮らしていたようだが、他のみんなはどうだったのだろう?
好奇心から、チカはまたアオに問う。
「けっこう田舎だったの?」
「まあ中途半端な田舎だよ。都市は近くにあるけど、秋なんか夜になると虫がメチャクチャうるさいくらいの田舎」
「もしかして虫の鳴き声もダメ?」
「そこまでじゃないし!」
「あ、そこまでじゃないんだ」
「さすがに虫の鳴き声にまでビビってたらとっくの昔に心臓発作とかで死んでるわ、俺」
「まあそうだね……。他のみんなが虫が平気でよかったね」
「お前は虫、平気なの?」
「うーん……なんとも思わないわけじゃないけど、アオほど苦手でもない……かな」
さすがに虫を潰す行為はイヤだが、アオのように大騒ぎするほどのことでもないとチカは思っていた。
「逆に好きなのかと思った」
「なんで?」
「カマキリの卵が孵化したときに興味深そーに見てたから」
アオは心底イヤそうな顔をして言う。そのときのことを思い出してしまったのだろう。顔をまた青白くしていた。
「『わーこんな風に孵るんだなー』って思っただけだよ」
「見たことねえの?」
「記憶喪失だから?」
「そういやそうだった」
アオは「忘れてたわ」と付け足す。
記憶を失っていても以前と変わりない態度らしい己を振り返ると、なんだか安堵しつつも複雑な気持ちになる。
変わっていないことはいいことなのだろう。少なくとも、他の六人からすれば、以前とまるきり変わってしまうよりはいいはずだ。
だから六人とも、あまり以前のチカについて触れてこないのかもしれない。常々不思議に思っていたが、そういうことであればそれなりに納得はいく。
けれども、もし、意図的に触れないようにしているのであれば、その理由はなんなのだろう。
もし、己がものすごく最悪な人間で、記憶喪失によって真人間に近くなったからできるだけ過去に触れないようにしている……とかだったらイヤだなとチカは思った。
けれども聞く勇気は湧かない。触らぬ神に祟りなし、という先人の言葉もある。一番はチカがそう強い人間ではないというのが理由だったが。
ものの本で、記憶喪失はそう長く続くものではないらしいと読んだことがある。真相は定かではない。けれどももしそうであれば、いずれ己の記憶も、なにかの拍子に戻ってくるだろう。
チカはあえて楽観的に考えることで、胸の内に湧いた不安感を消そうとした。




