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ドグマの城  作者: やなぎ怜


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蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)

 “城”は不可思議な事象であふれている。たとえば、怪我をしても日をまたぐと治ってしまうとか。


 今のところチカは幸いにもそれを実感として知らなかった。そしてなんとなく、“城”にいる人間は病気はしないものと思い込んでいた。


「基準がよくわからないな……」


 チカは思わずそうつぶやいてしまう。


 “城”にいれば怪我をしても、日をまたげば治る。そういうことをしても、子供はできない。けれども、病気にはなる。


 チカからすると、どうしてそういう風に決まっているのかが非常に不思議に思えた。


 けれども、なるものはなるし、できないものはできない。“城”にいる限り、それを当たり前として生きて行かなければならない。


 なぜそのようなことに思いをはせているのかと言えば、もちろんきっかけがある。


 ユースケが風邪を引いたらしい。朝からベッドで寝込んでいるほどの熱が出ているそうだ。


 伝聞調なのは実際にユースケが臥せっている姿を見ていないからであった。


 他の五人に伝染(うつ)すのは申し訳ないから、というのがユースケの言い分であった。


 しかしそれが表向きのものであることは恐らく五人とも理解している。ユースケが単に己が弱っているところを見せたくないのだということも。


 そういうわけで五人はユースケの気持ちを尊重して、だれも見舞いには行ったりしていないわけである。……五人の中に見舞いに行くなどという殊勝なマネをすることが想像できない人間もいたが、今はともかく。


 そんなこんなで今、ユースケの看病はササがしている。


 チカは、平素ユースケがササの世話を焼いて回っていることはもちろん知っていた。一方、ササがユースケがいないとなにもできない、というわけでもないことも理解していた。


 けれども、ササは七人の中で圧倒的に不器用なほうだ。なにもできない、というほどではないにしても、いくつかの例外を除けば要領が悪いほうに入るだろう。


 例外というのは棒術や腕っぷしのことであった。


 だがその例外に、残念ながら料理の腕は入っていない。


 朝食の当番はササとユースケであったが、もっぱら調理をしているのはユースケである。ユースケがササに対して過保護なのもあるだろうが、一番はササの料理に対する素養が、ありていに言ってしまえばないので、当番のメインはいつだってユースケだったわけである。


 そういう理由があり、本日の朝食はパンとサラダだけという質素なものだった。しかし事情が事情なのでだれも文句は言わない。「だったらお前がやればいい」という話になるからだ。朝っぱらから労働は避けたいという気持ちが透けて見えるようである。


 そして食事を終えたあとでチカとマシロはササに呼び止められた。


「粥を作るところを見ていて欲しい」


 どうやらユースケに病人食を作りたいようだ。


 チカとマシロは顔を見合わせた。チカは不安に駆られた。ササと料理をしたことはあるものの、それはパンをこねるくらいのことであった。粥を作るハードルは高くはないが、火を扱うとなると若干不安に駆られてしまう。


 ササもそうなのだろう。だから「見ていて欲しい」というお願いにつながったに違いなかった。


 もしササがやけどなどすればあとでユースケがうるさいかもしれない、という思いもあった。


 断る選択肢はなかった。でも消極的な選択でもない。ササがチカのことをどう思っているかはわからないが、チカはササのことを仲間だと思っている。それが困っていれば助けるのは、チカにとってはごく普通のことであった。


 マシロはもとからお人好しなところがあったので、「見てるだけでいいの?」とチカと同じく少しの不安をにじませた声で問う。断る気配は微塵もなかったが、やはりチカと同じく心配なのだろう。


「ああ」


 そう言ってササはうなずいた。他人に調理を任せる選択肢も当然あっただろうに、自らの手で作りたいと言うのは、愛情からきているのだろうか。そう思うとなおさらササの頼みは無下にはできない。


 記憶喪失の経験から、他の六人との関係が若干希薄だと感じているチカは、ササの愛情を受けるユースケをうらやましく感じた。




 ぐつぐつと、土鍋の中で沸騰の音がする。白く煮立った米を、しゃもじで混ぜ合わせて焦げつかないようにする。あとは弱火にして蓋をし、しばらく置いておけば粥ができるはずであった。


 ササは米を計って洗うところからそこまで、特に危なげなくこなした。米や水をまき散らしたり、やけどをするほどの不器用ではなかったらしい。ちょっと己は悪い方向へ想像しすぎだったなとチカは反省する。


「ササって料理の腕は普通だよね」


 チカと一緒にササを見守っていたマシロが、ともすれば失礼にも取れる言葉を発する。しかしそういう意図がないだろうことは、普段のマシロを知っていて、その顔を見ればわかることではあった。


「あ、別に下手じゃないよねって言いたかったんだ……」


 マシロが付け加えた言葉に、チカも同意する。


「話を聞く限りだと、もっと料理は苦手なのかと思ってた。でも、全然そんな感じじゃないよね」


 実際、ササの動きはぎこちなさを一切感じさせないものだった。たしかに粥を作る際の工程は少ないものだが、その少ない中でもササはよどみなく動いていたように思う。


 チカとマシロはササの料理の腕を誤解していた。けれども、じゃあ、そもそも誤解をするきっかけみたいなものはなんだったのだろう、とチカは思わず物思いにふけってしまう。


「ササってけっこうなんでもできるほう?」


 マシロの言葉に、ササはしばらく考えるような顔になる。直截な物言いが多いササにしては、その長考するようなしぐさは珍しいことだった。


「なんでもはさすがにできない。だが、生活のひと通りのことは」

「そっかー。……なんかユースケが世話を焼いている印象が強いから」

「……ユーは、わたしの世話を焼くのが好きだからな」


 そう言ってササはこれまた珍しくふっと口元に笑みを浮かべる。


 アマネのような仏頂面ではないものの、無表情でいることが多いササが、そうやって微笑むのをチカはあまり見たことがなかった。


 けれどもその笑い方はどこかアイロニカルだ。


「そろそろか」


 ササが鍋つかみを手に、土鍋のふたを開ける。米が炊けた香りがふわりと立ち上って、チカのほうにも流れてくる。


 木製のトレーに置いた鍋敷きの上へと土鍋を移動させる。そのままササとユースケの部屋へと持って行くのだろう。


「見ていてくれてありがとう。助かった」


 ササはそう言い置くと、土鍋が載せられたトレーを手に台所から出て行った。


 残されたチカとマシロは、また顔を見合わせた。


「案外と、主導権を握ってるのってササなのかもね」


 ササの言葉は、あえてユースケに世話を焼かせているように聞こえた。


 ユースケはどこか世話を焼くことでササをコントロールしているような印象があったが……。


「あれじゃ、どっちがコントロールされてるのかわかんないね」


 ササとユースケの関係はひとことでは言い表せない、複雑怪奇なものらしい。その一端に触れたチカは、なんとなく落ち着かない気分になった。

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