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ドグマの城  作者: やなぎ怜


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虹始見(にじはじめてあらわる)

 マシロは本物の虹を見たことがないのだと言う。


 一方、記憶喪失であるチカは虹を見たという記憶はある。弧を描く七色の光が空にかかる光景は、美しいものだということを知っている。そういうことは忘れていないのだと思うと、不思議な気持ちなった。


 生きていく上ではまったく必要のない記憶だろう。むしろ人間関係にかんする記憶のほうが重要だろうに、物事はうまく運ばないものだとチカは心の中でため息をついた。


 とは言え、記憶を失ってからしばらく経ったこともあり、それなりに他の六人と自然に打ち解けているという自信はある。


 ……いや、少し言い過ぎた。マシロとは特に打ち解けてはいるが、他の五人は怪しい。マシロの次に親しくしている自覚があるのは、ササとコーイチだろうか。アマネはあの調子だし、アオやユースケなどは無関心さを隠さないときがある。


 それでもわざと冷たくされたりしないだけマシだろうとチカは思った。六人の中でわざわざそんなことに労力を割く人間は思い浮かばなかったが。


 閑話休題。


 地下にある巨大な図書館でマシロが暦の本を読んでいたので、虹の話になったのだ。この時期は「雨のあとに虹が出始めるころ」なのだと言う。そこから、マシロは本物の虹を見たことがないという話になった。


 写真では見たことがあるらしい。けれどもいつか本物を見てみたい、とマシロはいつになく熱っぽく語った。


「虹を見るタイミングが難しいよね。“捨品”を受け取るときに空にかかっていれば見られるかな……」

「でもきっと日の光がまぶしいよね」


 そう言ったマシロはアルビノだ。“城”の中が暗いので忘れがちだが、日光には弱いのである。実際、毎日信者である“黒子”から“捨品”を受け取るときも、マシロは開いた扉から入ってくる日光を避けて、日陰でじっとしている。


 吸血鬼ではないので日の下に出たとして死ぬことはないが、できる限り日光には当たらないに越したことはないのだと言う。


「ランタンの光でもまぶしくて痛いときあるし」


 血液が透けた赤い瞳で、マシロはかたわらに置いてあるランタンを見る。


「夜の空にでもかかればいいのに」

「でもそれじゃあ見る機会がないよ。“城”の扉が開くのは朝だけなんだし」

「う~ん……」

「……マシロは“城”の外に出たい派なの?」

「そんな派閥あるの?」


 マシロはちょっと笑って言った。


「みんな“城”から出る気はないんだね」

「だって帰るところなんてないし」

「行くことはできるよ」

「チカって結構前向きだよね」

「そうかな?」


 チカとしては当たり前のことを言っただけのつもりだった。


 帰ることができなくても、行くことはできる。居場所がなくても、新たに作ることはできる。それが容易であるかどうかは置いておくとしても、できる可能性はあるのだから、それに賭けることはできるだろうという話だった。


 けれどもマシロからするとまた話が違ってくるようだ。


「“城”にいるほうがずっと苦労は少ないから、出て行こうっていう人間はいないんじゃないかな」

「なるほど……」


 “城”は自由に出入りできず、四六時中暗く、深夜にはなにかが徘徊している等々という点を除けば、それなりに快適だ。


 なにもしなくても食料は信者である“黒子”たちが運んでくるし、水回りでも困ったことはない。


 娯楽が乏しいところは欠点のひとつではあるが、一応、体を動かす場所は植物園内にあるし、巨大な図書館もある。


 “城”の中でそこそこ完結した生活を送れるのだから、そこから出て行こうと考えない人間がいるのは、別におかしな話でもなかった。


「チカは出て行きたいの?」

「いや、そういうわけではないけど」


 威勢のいいことを言いはしたものの、それを実際に行動に移すかどうかはまた別の話だった。


「出るにしたって“城”の外の状況もよくわかってないし」


 これも恐らくは記憶喪失の影響なのだろう。チカはこの世界にどんな国があり、どんな法が敷かれているのかを知らない。そこへ出て行くというのはだれが聞いたって無謀だろう。


「“黒子”さんとか“捨品”とか……なにかしらの宗教的なアレソレがあることくらいしかわからないし」


 この“城”に子供を閉じ込めておくことが宗教的儀式の一環だとしても、その教義や意味は謎であった。“城”自体にも謎は多い。チカからすれば世界は謎だらけで、白い霧の中に閉じ込められているようなものだった。


 けれどもあえてそういった知識が得られないようにしてあるのか、地下図書館では手がかりを得られていない。チカ以外の六人も、積極的に外のことを教えてくれる気はないらしかった。


 チカも、六人から無理くり聞き出すようなマネはできなかった。“城”という閉鎖空間で人間関係を悪化させるのは、明らかに悪手である。そして親しくなればなるほど、その関係を壊したくないと思うのは自然な流れだろう。


 そういうわけでチカはどういった――あるとすれば――教義に基づいて“城”に付随するシステムが運用されているのかを知らない。


 “黒子”たちが“城”にいる子供たちを生かすためにせっせと“捨品”を運び込んでいるのだから、“城”や“城”にいるチカたちにはそれなりに重要な意義があることはわかるが、理解が及ぶのはそれくらいだった。


「オレもよくわかんない」


 マシロがあっけらかんといった様子で言う。それが嘘なのかどうかまでは、チカにはわからなかった。


「でも他人からすればうらやましい生活なのかもね」

「“永遠の城”……だっけ? それだけ聞くと楽園みたいな言葉に思える」

「楽園かー。よくわからない幽霊みたいなものが徘徊する楽園ってなんだろう」


 この“城”は人間たちが夢想する楽園なのだろうか?


 あるいは、それを再現しようとした場所なのかもしれない。


 もしそうであるとすれば、それは成功したのか、失敗したのか。


 ……チカはそんなことを考えて、ちょっと怖くなった。

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