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玄鳥至(つばめきたる)

 アマネがキレた。正直、先にキレるのはアオか、そうでなければコーイチだとチカは思っていた。


 胸倉をつかまれて、ご自慢の顔面をボコボコにされて鼻血と涙を垂れ流し、嗚咽をこぼす少女を見て、チカは思わずため息を漏らしてしまう。



 少女がこの“城”にやってきたのは、どこからか飛来したツバメの声が聞こえ始めたのと同じ日だった。五日前のことだ。


 “城”に新しい住人が増える条件やきっかけは、チカは知らない。ある日突然信者である“黒子”たちに連れられて、嫁入り衣裳のような真っ白なドレスを身にまとった少女がやってきたのだ。


 チカたちは面食らったが、誓って彼女を排除しようとしたりはしなかった。


 チカは記憶喪失なのでまったく知らないのだが、今いる七人はそろって“城”に入れられたわけではない。だから、少女のことを邪険にしようなどという発想はなかった――はずである。


 はず、と言うのは“城”にいる七人全員が善人であると太鼓判を押せる自信が、チカにはないからだ。


 人懐こいマシロはともかく、他の人間は他人に興味がないところがある。それぞれの恋人である相手などは別だが、それ以外の人間のことはわりとどうでもいいと思っているふしをチカは常々感じていた。


 けれども閉鎖空間である“城”で共同生活を送っているからには、多少の仲間意識も芽生える。だからそういう、本質的に他人に興味のない部分をだれも露骨に表出させたりはしていないので、わかりにくいが。


 まあとにかく、七人とも少女を邪険に扱うほど、彼女にハナから興味がなかったのはたしかだ。


 それでも新たに仲間として加わった人間。この閉じた空間で共同生活を送る相手だ。手取り足取り、とまでは行かずともご丁寧に“城”で暮らす方法を伝授してやったわけである。


 けれども少女は思い切りイヤな顔をする。


「“永遠の城”にくれば働かずに済むって聞いたのに」


 耳を疑うとはこのことで、外に住んでいる“黒子”たちの中では“城”はどういう扱いなんだとチカはびっくりした。


 それで五人は白けてしまった。というか、少女にかかわらなくて済む大義名分が得られたとばかりに一度に無関心になった。


 残ったのは記憶喪失のチカの面倒を積極的に見てくれたところからして、お人好しなマシロと、逃げ損ねたチカだけであった。


 チカは、少女への若干の同情心とか。簡単に他者を見捨てるのはよくないのではないかという優柔不断さゆえに、「逃げ損ねた」。今となっては少女のあのセリフが発せられたときに、五人と同じように彼女を見放していればよかったと、結構明確に後悔している。


 マシロはと言えば完全な善意で少女に接しているようだった。マシロは一般常識に欠けている部分をときおり見せるだけあり、世間ずれしていないところがある。


 とは言え、少女の態度にマシロとて思うところがないわけではない。当たり前だ。マシロは意思疎通のできない観葉植物などではなく、立派なひとりの人間なのだから。少女から下に見られているということくらい、マシロにだってわかる。


 それでも身の回りの最低限のことすらできない少女を放置しておくわけにはいかない。せめて掃除洗濯炊事と、一通りの家事くらいはできてもらわないと困るのだが、少女は覚える気がないらしい。


「あなたたちがやるんだから、あたくしがやらなくてもいいでしょう?」


 これは相当甘やかされて育てられたんだなとチカは思った。八人しかいない閉鎖空間で、ここまでふてぶてしい態度が取れる少女には、悪い意味で感心した。


 恐らくこれまでもこうやってワガママを通してきたのだろう。相手が折れるまで要求を突きつけ続ける。それはひどく幼稚な行為であったが、チカがそのことを指摘することはなかった。


 わざわざそうしてやる義理はなかったし、単純にこれ以上少女にかかわりたくなかったというのもある。そもそも指摘したとしても少女が改善する可能性はゼロに等しいだろうとチカは思っていた。


 少女はとにかく傲慢だった。己を中心に世界が回っていると信じて疑っていないようだった。


 特に少女に一番よくしてくれているのにもかかわらず、マシロのことをもっとも見下していることはチカにも伝わってきて辟易させた。


 最大の理由はマシロがコーイチとアオというふたりの恋人がいることなのだろう。それは、少女の価値観からするとひどく「ふしだら」で「不誠実」で「ありえない」ことらしかった。


 別にマシロはふたりを騙しているわけではない。ふたりと対等に付き合っているし、コーイチとアオも元々友人だったそうで仲が良い。


 たしかに外では一対一の単婚がメジャーであるわけだが、愛の形など人それぞれだろうというのがチカの意見だ。だからマシロたちの三者の合意の上によって形成された関係の、どこか「ふしだら」で「不誠実」なのかチカにはよくわからなかった。


 受け入れがたいというのならば、まあ理解はできる。どうしたって受けつけない事柄は、世の中にいくらでもあるだろう。


 けれどそれを己の価値観という定規だけで測って、「ありえない」ことだと断定し、面罵するのは違うだろう。


 だから、チカはこの少女のことがどんどんと嫌いになって行く己に気づき、なんとなくイヤな気持ちになる日々を送っていた。


 それでも少女の面倒を見ていたのは、マシロが根気強く付き合っていたからだ。ここでチカが離れれば、少女の矛先はマシロひとりに向かってしまう。それはさすがにはばかられて、チカはマシロに付き合って少女の世話をしていた。


 他の五人などは早々に少女を見捨てろと暗に言ってきたが、マシロはなぜか頑なだった。


「ここでみんな見捨てたら、本当に居場所がなくなっちゃうし」


 なぜマシロがそこまでするのかチカには理解できなかった。


 もしかしたら、マシロの見た目と関係あるのかもしれない。マシロの外見は目立つ。老人のように白い髪、コーカソイドの白さとはまた違う真っ白な肌、血が透けている赤い瞳。アルビノであるマシロは、そもそも日の下を歩くのは無理なのだと言う。


 マシロは、もっとも古くから“城”にいるとチカは聞いていた。なぜ“城”にきたのか、その理由を知りはしないが、なんとなく想像をすることくらいはできる。


 だから、マシロは少女を見捨てられなかったのかもしれない。居場所がないつらさを、知っているのかもしれない。


 けれどもしかし、マシロのそんな健気な気持ちなど、己しか見えていない少女には伝わらないわけで。


 そういうわけで、チカは思わず少女に言ってしまったのだ。


「いい加減にしたほうがいい」


 と。今思っても直球すぎるセリフであったが、視野狭窄的な少女にはこれくらいストレートな言葉でないと伝わらないと思ったのもたしかだ。


 少女は怪訝そうな顔をした。


 少女はチカも下に見ていた。見た目が平凡で、あまり強い言葉を使わないからだろう。少女は、己の容姿に自信がある様子で、そして傲慢な言い草をためらいもせず口にできた。


 少女はチカを便利な小間使いぐらいにしか思っていないようだ。だから、チカにあれをしろこれをしろと命令をしてくる。チカはそれに従ったことはなかった。だから、チカと少女の仲は険悪だった。


「いつまでマシロの好意に甘えてるつもり? あなた、赤ちゃんなの?」


 少女は怒り狂って、ためらいもせずチカの頬に張り手を食らわせた。チカは甘んじてそれを受け入れた。これで少女に暴力を振るっても正当防衛だ、と思うくらいの余裕はあった。


「ブスがあたくしに意見できるとでも思ってるの?!」

「なにその論理。顔面の良し悪しで意見を述べられるかどうかが決まるって? 馬っ鹿みたい」


 チカはするすると己の口から罵倒の言葉が出てくることにおどろいた。相当、少女の言動に内心で怒りを燃やしていたのだろう。平素、怒ることなど皆無であったから、気づきもしなかった。


 少女がまたチカに張り手を食らわせたので、今度はチカも少女の頬を張った。バチン! と結構いい音が響く。


 少女は「ありえない」とばかりに目を丸くしたあと、すぐさまその目を三角にする。


「ブスがあたくしの顔を殴るなんて!」

「その、下に見てるブスの言葉にマトモに言い返せなくて手が出るあなたはなに? サル? そうだね。家事のひとつも一向に覚えられないなんて、正直サルより下だよ」


 少女が声にならない声を上げる。怒りすぎて言語化できないのだろう。本当にサルだったのかもしれないとチカは思った。


 少女がチカに飛びかかる。やっぱりサルだとチカは思った。


 しかし少女の手がチカに触れるより先に、少女は横に吹っ飛ぶ。今度はチカが目を丸くする番だった。


「なにしてんだ」


 唸るように言ったのはアマネだった。いつの間にやらチカと少女が言い合いをしていた空き部屋に、アマネが立っている。どうやらチカも少女も、ヒートアップしすぎてアマネがきていたことに気づかなかったらしい。


「アマネ……」

「……こいつにやられたのか?」


 アマネはチカの顔に視線をやったあと、床にうずくまっている少女を見やる。憤怒と侮蔑に満ちた視線だった。


 少女は先ほどまでの勢いはどこへやら、茫然とアマネを見上げている。おどろきすぎて言葉も出ないのだろう。実際、チカはアマネの登場におどろいたし、彼が少女をぶん殴ったことにも面食らっていた。


「アマネ?」


 アマネはつかつかと少女に歩み寄ったかと思えば、その胸倉をつかみ上げて鼻っ面に拳を突き入れた。一切の躊躇が感じられない動きだった。


 先ほど、チカが張り手を食らわせられ、また食らわせたときとはまったく別物の、皮があり肉があり骨がある、人体を殴る音が部屋に響き渡る。


 黙ったまま少女を殴りつけるアマネを、チカは止めもしなかった。少女に対してざまあみろと思ったのもあるが、正直に言ってアマネが怖かったこともある。


 少女は「ごめんなさいごめんなさい」と泣きながら謝り始めたが、それでもしばらくはアマネは殴ることをやめなかった。


「アマネ、もうやめとかないと……さすがに死んじゃうよ」


 どれくらい経ったのかはわからなかったが、チカそう言えばアマネは動きを止める。


 ご自慢の顔面をボコボコにされて鼻血と涙を垂れ流し、嗚咽をこぼす少女を見て、チカは思わずため息を漏らしてしまう。


「なんだそのため息は」

「このあとどうしようかなーって思って」

「そんなん決まってるだろ」

「決まってる?」

「こいつは“城”から追い出す」

「……追い出せるの?」


 チカにとっては初耳だった。チカたちは“城”から出られない。そう聞いている。だから少女も同じだと思っていた。


「“黒子”のひとたちは了承するの?」

「するだろ。おれたちが“(ここ)”にいないと困るんだから」

「そうなんだ……?」


 アマネの言葉はよくわからなかったものの、怒りの感情を発露させるという慣れないことをしたせいで、チカは疲れ切っていた。だから、アマネの言葉を深く考えもせずそういうものなのだと受け入れることにした。


 顔面をボコボコにされた少女は、そのままアマネが彼女にあてがわれている部屋へと引きずって連れて行った。


 少女はひどくおびえた様子でなにも言わなかった。あれだけ顔面を殴られたのだから、しゃべれなくても仕方がないだろうとチカは思った。


「ごめんね。付き合わせて」


 他の五人に事情を話して満場一致で少女を“城”から追い出すことを決めたあと、チカはマシロに謝られた。


「いや、私が勝手に付き合ってただけだから……」


 チカはそういう認識だった。赤子ではないのだからチカだって意思表示くらいはできる。少女の面倒を見ることを放棄しようと思えばいつでもできたのに、それをしなかったのはチカの自由意思によるものだ。マシロが気にすることではない。


「やっぱりチカは優しいね」


 なにがどう「やっぱり」なのかチカにはわからなかった。もしかしたら記憶を失う前のチカのことだろうか? だがわざわざ聞くのもなんだかなと思ってチカは黙る。


 そう、少女に対しては饒舌だったが、本来のチカはどちらかと言うと口下手なほうなのである。


 そのことを思い出し、チカは今日一日の疲れがどっと押し寄せてくるような気になった。



 少女は“城”から外へと帰された。


 その後、少女がどうなったのかはだれも知らない。

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