2話 取引
「大丈夫か?」
倒れている彼らに近づき、近くの一人に声を掛ける。反応はない。
彼らは全員、中世ヨーロッパの騎士のような鎧をしていた。折れた剣がいくつか地面に転がり、彼らの鎧の一部はへこんでいた。あの棍棒を直にくらったのだろうか。
俺は重い体をなんとか動かして近づき、脈拍を見る。
——ダメだ、脈がない。
順に彼らの脈を見ていくが、皆鎧の間から血を流して死んでいた。
最後の一人の女性の脈を測ろうとすると、違和感に気づいた。
——全員、この女性を守ろうとして死んでる。
彼らが倒れている位置から考えて、この女性を中心に半円を描くように隊形を組んでいたことは間違いない。怪物の攻撃から女性を遠ざけようとしたのか、前で倒れている人と女性との距離はかなり離れている。
女性の脈を見ると、弱いながらも僅かに脈打っているのがわかった。
まだ息がある……!
女性の体を起こし、息のしやすい体勢にする。意識はないようで、呼び掛けても返事はない。
ふと、奥へと続く血痕に目線を移した。この女性をここで放置するわけにもいかないが、ここで介抱していればあのターゲットを逃してしまうかもしれない。
深く息をしようとしたが、気管を血が塞いで思わずむせる。
コートを脱ぎ捨てると、俺は女性を背中に負ぶった。軋む体に鞭を打ってなんとか足を前に進める。か細い呼吸音が二つ、静まりかえった広間に響いていた。
広間を抜けると、細い道にまた戻った。長く続く血痕を追って、ゆっくりと足を動かす。あの少女も足に怪我をしていることを考えればそう遠くないはずだ。いやそもそも、これだけ出血していれば倒れていても不思議ではない。
しばらくすると、道の奥に大きな両開きのドアが見えた。
血痕はドアの奥に続いている。俺は女性を下ろしてそばの壁にもたれかからせると、ドアの取手を掴んだ。ゆっくりと力を入れて引くと、静かにドアが開いていく。
「……やぁ。あの怪物を倒してしまうなんて、正直驚いたよ。……君たちの世界を、いや、君を侮っていたようだ」
ドアの奥。行き止まりの壁に倒れるようにして座っていた少女が、か弱い声を震わせる。
フードは下ろされ、肩のあたりまで流れる少女のサラサラとした赤髪が見えていた。
可愛らしい顔だからこそ目立つ、見るものを吸い込んでしまいそうなほど深く静かな蒼眼。
微笑を湛えるその表情はどこか弱々しく、僅かに額に浮かぶ汗はその余裕のなさを窺わせていた。
俺は弾薬がなくなった拳銃を構えると、彼女に警告する。
「投降しろ。俺の仲間が来るまで大人しくしていてくれ」
「君、今の状況がまだわかってないみたいだね……仲間なんて永遠にこないよ」
ハハッ…と力なく笑い、少女は蒼い瞳で俺を見つめる。
「君も戦っただろう? 地球にいるわけもないあの三つ目の怪物と。ここは君が住んでた世界なんかじゃない。——異世界さ」
「…………」
薄々感じてはいた。ここが地球ではないという可能性。しかし、そんな荒唐無稽な話よりも自分が薬で狂ってしまったのだと聞いた方がよほど説得力がある。
——だが……。
全身にのし掛かる鈍痛が、これが夢などではないことをほのめかしていた。
……怪物に襲われて怪我を負ったのも、鎧を纏って死んでいた彼らも、微かに息をしていたあの女性も、まぎれもない現実だ。自分が狂ってしまっただけならそれでいい。
しかし狂ってしまったという自覚がない以上、この現実を受け入れるしかないのかもしれない。
「——ねぇ、取引しない? 私に協力してくれれば、君を元の世界に戻してあげるよ」
「協力?」
「君がピンポイントで私の魔核に攻撃してくれたせいでさ、魔力が回復しないんだ。転移で魔力はほとんど使っちゃったから、この足の傷を直す魔力さえもうない……このままじゃ私の目的が達成できないよ」
「何に協力しろって?」
「神が作った聖宝を全部盗むこと。この目的が達成されれば約束は果たすよ。その頃には君を元の世界に戻してあげる魔力くらい、余るほどあるだろうからね」
真剣な彼女の瞳は、どうも嘘をついてるようには見えなかった。
聖宝とやらがなにかは知らないが、現状、元の世界に戻る道は彼女に協力することしかない。
「本当に、元の世界に戻れるんだな」
「本当だよ。悪魔の取引に嘘はないさ」
「悪魔だと?」
「あぁ自己紹介がまだだったね。私はこの世界の3大悪魔の一柱——メフィストフェレス。メフィって呼んでくれていいよ。取引といっても対価は私の目的に協力することだけだから君の魂をとったりなんかしないよ。それで、取引の答えはどうなんだい?」
余程切羽詰まっているのか、彼女——メフィはつらつらと言葉を並べる。
もし俺が協力しないと言えばどうなるのだろうか。そこを攻めれば、よりよい条件で取引ができるかもしれない……と思ったが、やめた。
これはあくまで対等な立場の取引だろう。俺だって元の世界に戻れなくなったら困る。
「わかった。協力する」
「ふふっ、決まりだね。それじゃあそこの宝箱にある小瓶をとって中の水を私にかけてくれる? 聖気が纏ってあって私には触れないんだ」
部屋の隅にあった宝箱から小瓶を取り出し、蓋を開けてメフィに中の水をかけた。
メフィが自分の足の傷に手を当てると、傷がみるみるうちに治っていく。
「んー人間の魔力回復薬は気分が悪いね。そうだ、君の傷も治してあげないと」
メフィは立ち上がると、俺の体に触れる。その途端に、全身が軽くなった。さっきまでの痛みが嘘のように消え去り、傷も全てなくなっていた。
「それじゃあ、外に出ようか。まずは勇者の聖剣から盗むことにしよう。君の戦闘力UPも兼ねてね」
「待ってくれ。彼女の傷も治してやってくれないか?」
俺はドアの外の女性に目を向ける。
「え? どうして見ず知らずの人間を治す理由があるのさ。それより早く出発しよう。あの勇者の憤激する顔が早く見てみたいんだ」
俺はドアの外に行き、女性の側にしゃがんで脈を確認する。
——良かった、まだ生きている。
振り返り、メフィに声をかけた。
「貴重な情報源になる。彼らがなぜあの場所で死んでいたのか、なぜあの怪物がいたのかがわかるかもしれない」
「それなら私が全部知ってるよ。街に行く道すがらにでも話してあげる」
「……頼む、治してやってくれ」
メフィは不思議そうにまばたきすると、仕方ないなぁと女性の肌に触れる。
「これは貸しだよ。悪魔は対価なしに何かをしてあげたりしないんだ」
「……わかった」
俺の返事を聞いて満足げにうなずくと、メフィは彼女の傷を治した。
苦しそうだった顔が和らいだ表情になり、不規則だった呼吸も安定した。
まだ意識は戻らないようなので、自然に起きてくることを待つことにする。
俺は女性を背負うと、行こうか、とメフィに言った。
「……まさか、連れていくつもりかい?」
「あぁ、もちろん」
ふーんまぁいいか、と呟くと、メフィは部屋の奥に戻っていく。
ついていくと、彼女は宝箱の横の壁に埋められた水晶玉に手を当てていた。
「君もこれに手を当てて。あぁ、その女も連れてくんならその手もね」
言われるように手を当てると、水晶玉が光った。
ハッと気づくと、俺たちは洞窟の入り口のような場所に立っていた。
洞窟の奥へ続く道の反対側から、日光が差し込んでいるのが見えた。
洞窟の淀んだ空気を押し除けるように、外の新鮮な空気が吹き込んでくる。
きっと、外へ出られる。
「このダンジョンの側に荷馬車があるはずなんだ。それに乗って街まで行こう」
眩しい光に目を細めながら、俺は前を歩くメフィについていった。