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走馬灯が止まる前に  作者: 北郷
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よろしくお願いしましゅって、いっぱい練習したの

「うん・・・パパだよ」


 カーテンで仕切られただけの病室で、俺は勢いで言ってしまっていた。

 それに後悔は無かった。

 でも、後悔はないけれど、俺はまだ不安だった。

 それは自分のその後の行動に不安があったからでもあり、それが女の子の将来にとって、正解の言葉だったのかどうかの自信が無かったからでもある。

 それでも、せめて今だけでも安心してくれたら、俺は本心からそう思ったからだ。

 

 その結果、確かにその後女の子は「パパですか?」とは、聞いては来ることはなかった。

 なのにどうしてだろう?何か違和感を感じてしまう。

 安心した顔にはとっても見えない。それどころか、何処か決意染みた様に俺から視線を離さないのだ。

 

 まだ、何か心に支えているものがあるのだろか?

 いや、それはあるだろう。あるに決まってる。

 親に置いてけぼりにされたんだ。俺ごときの一言で心が癒されるはずが無い・・・。


 俺は何とかしてあげたい気持ちが空回りするばかりで、何も出来ない自分に焦るばかりだった。

 そんな中、女の子の大きな目には涙が貯まり出して、今にも零れそうなになっていく。

 どうしたの?

 一体どうしたのだろう?

 更に焦る俺。そんな俺に、女の子は訴えて来た。


「よろしくおねがいしましゅ」


「えっ?」

 どういう事?

 俺はいきなりのことで、聞こえた言葉が間違いだったように思ってしまい、思わず聞き返してしまう。それを聞いて、


「よろしくおねがいしましゅ、よろしくおねがいしましゅ・・・」

 

 女の子が涙を溢しながら、俺に訴えて来る。

 バカな俺が呆けた声で聴き返したせいで、何度も何度も繰り返す。

 

「大丈夫、大丈夫だから」

 大丈夫、もう聞こえたから・・・。


 俺ごときのシマラナイ言葉では、その言葉は止められない。それどころか段々その言葉に嗚咽が混じって来る。

 固く強張らせた体からは、泣き出してしまうのを堪えているのが伝わって来て、心が苦しくて堪らない。


「うっうぅ、よろしくおねがい、くすん、しましゅ、うっ・・・」


 どうして?

 どうしてなんだよ!

 こんな小さな子でも自分の状況を分かってるんだよ!

 自分の居場所を作ろうと必死になってんだよ!


 俺にすがる様な目で、必死に歯を食いしばって、ただ頑張ってる姿が意地らしくて堪らない。

 それを見て、俺も堪えきれなくて涙が溢れだしてしまう。

 でも、残念ながら未熟な俺には、こんな小さな女の子一人の訴えを収める言葉も、術も知らない。


 俺はどうしたら良いか分からなくて、ベッドに横になっている女の子を、ただ抱きしめたい、そんな感情にとらわれていた。

 抱きしめて、自分の心に近づけたい。

 言葉に出来ない感情を伝えたい。そんな気持ちになっていた。


「大丈夫だから、何も心配しなくても大丈夫だから」


 こんなテンプレなクソな言葉しか出て来はしない。

 幼い女の子の真剣な訴えを一回で理解できずに、呆けた声で聞き返してしまった自分に腹が立ってしょうがない。

 ダメダメな自分が恨めしい。

 自分の決意が言葉にならない。


「よろしくおねがいしましゅ」

 女の子は繰り返す。


 俺は今日会ったばかりとはとっても思えなくて、既に情まで感じていて、可愛くて、愛しくて、ずっと、すっと、ずっと・・・


「うん、ずっと、ず~っと一緒だよ」

 俺は、思わず女の子の額に自分の額を押し当てていた。


 まだ、気が早いと言われるかもしれないが、絶対に俺の手で幸せに嫁がせて見せる。そんな決意が沸々と湧き上がって来るのを感じていた。

 感極まっていた。

 抱きしめたかった。


 俺はむちゃくちゃに抱きしめたい気持ちを抑えて、ベッドに横になる女の子を、そっと包み込むように近づき、背中にそっと手を回した。

 すると、そんな俺の心が通じたのだろうか、女の子は安心した様にホンの少しだけ微笑み、小さく頷いて目を閉じた。


 眠りの中で、疲れた心を休めるために。 


 今思うと、きっとこの時、俺と女の子の心は通じたのだと思う。この瞬間に俺たちは親子になったのだと思う。

 とは言っても、この時点では未来のことなど当然分かりはしない。まだ精神的な問題が解決しただけで、現実的には、当然女の子のことを何も知らない状態なのである。


 もしかすると、この女の子は何かの事件に巻き込まれた可能性だって有り得るし、下手をすると俺が誘拐犯扱いされることだって考えられない訳ではない。色んな可能性がまだ謎めいている状態なのである。


 だから、俺は警察に届けることが頭に過ったし、児童相談のことも考えた。でも、俺はそれは最後の手段だと思った。

 まだ未熟で世間をそれほど知らない俺は、たった今親子の約束をしたばかりなのに、見捨てるような真似は出来ない、他人扱いは絶対にしないと心に誓っていたからだ。

 その時の俺には、法を超える正義感があったし、無謀に走り出す若さもあった。

 だからかもしれない、そんな考えが出来たのは。


 土曜日の今日は体を壊し、入院が決まっているのだから大義名分はたつ。

 だったら明日の日曜日一日が何の騒ぎも起こらずに過ぎれば月曜日となる。平日になれば、俺が自ら役所で法的なことを調査することが出来る。

 そうすれば、全てとは言わずとも、それなりに事実関係も分かるはずである。

 その先のことは、それから考えれば良い。俺はそう考えた。


 結局、迷った末に俺はたった一日では何事も起こらないことに賭けたのだ。

 幸い、長期出張帰りと言うことで週明けの月曜日も休みが取り易い状況ではあった。

 なので、


「俺は全ては月曜日だ」

 そう決意した。


 その日は、付き添いで病院に泊まることが出来なかった為、眠っている女の子を残し、俺はアパートに戻ることにした。陽はもう沈んでいた。

 帰り際、看護師さんにはくれぐれも女の子が目を覚ましたら、俺が必ず迎えに来るから安心するように伝えて欲しいことを念入りにお願いした。


 外に出ると少し涼しくなっていて、帰り道が苦では無かった。

 それは、気温だけの問題ではなくて、俺の気持ちが高揚していたからなのかもしれない。


 アパートに戻ると女の子の嘔吐の跡も無く、部屋の掃除もされ綺麗になっていた。

 テーブルの上には、女の子が持って来た手紙と緑の離婚届、それに彼女、いや、既に元彼女となっていたその彼女からの手紙が几帳面に並べて置かれていた。


 テーブルの脚のところには、女の子が背負っていたピンク地に白いウサギの絵の描かれた小さなリュックが大切なものを置くように立てかけられている。

 彼女らしい気配りだった。


 俺は、元彼女の手紙を真っ先に手にしていた。


―――――

 玄関のところに可愛いリュックがありましたので、家の中に入れておきました。

 それと、冷蔵庫の中にクーリムシチューがあります。良かったら食べて下さい。

 今まで色々とありがとうございました。

 私の人生で一番楽しい時間だったと思います。

―――――


 それだけの短い手紙だった。

 口癖の語尾に”ね”が付かない淡々とした手紙だった。でも、インクが3カ所ほど楕円状に滲んでいた。

 俺はまた涙が流れて来た。


 一人だから止まらなかった。

 俺は泣きながらシチューを温め直して食べた。

 俺の人生で一番心に沁みるシチューだった。

 もちろん抱きしめたいくらいに美味しかった。


 食べ終わった後、俺は虚脱感に襲われ、そのまま床の上に転るといつしか眠りについていた。

 2、3時間も眠っただろうか。俺は眠りが浅くなったところで、急に現実へと引き戻されて慌てて起き上がった。

 俺は再度女の子が持って来た離婚届と手紙を見直した。


 見直しても、その時にはもう、俺に向けた卑劣な行動への怒りは沸いてこなかった。

 女の子を置いて行った、おそらく親であろう人物への怒りよりも、何らかの手がかりが欲しいと言う、その方に気持ちが移行していたからだ。


 手紙には、やはり「この子をよろしく」としか書かれていない。

 離婚届には名前と印鑑はあるが、幾ら考えても全く記憶に無い名前である。

 次に、俺はリュックを手にした。新たな手がかりがあるならば、まだ中を見ていないこれだけである。

 リュックには名前が書かれてあった”あいかわかおり”。俺の名字”相川”に、名前は”かおり”。


 ホントに俺の子?

 一瞬、俺の記憶が喪失しているのことも疑ったが、過去に周りの人間からそんな指摘を受けたことが無い自信がある。

 でも、名字は確かに一致している。


 リュックの中を開けて見た。中には僅かな衣類、主に下着と、水筒。それに小さなウサギのぬいぐるみが納まっていた。リュックに描かれている絵と同じぬいぐるみである。

 それを見て、まんざら女の子に愛情が無かった訳ではないとは思ったが、俺はそんな気持ちを直ぐに否定した。

 俺は炎天下に残された女の子の心を想像し、小さな子供を置いて行く神経を、敢えて非難しようとした。

 俺は女の子の気持ちに近づこうとしていたのかもしれない。


「せめて、健康保険証くらい入れるもんだろう!」

 と俺は呟いて、自分の言葉で現実に気がづいた。

 女の子の病院代は、一体どれくらい掛かるのだろうか?と。


 それを考えると恐ろしかった。いや、それよりも健康保険証がないことで、何か疑われないだろうか?

 気が付くと、俺は明日女の子を迎えに行くことに憂鬱な気分を抱いていた。


「アホかお前は!」

 俺はそんな自分に渇を入れる。

 兄が俺を育てたように、俺は女の子、いや、”花織”のパパになると決めたのだ。気合で押し通せ!

 そう、自分に言い聞かせた。


 それから、その日は仮眠を取ったにも関わらず、精神的にも疲れていたせいか、お風呂から上がると直ぐに眠ってしまっていた。


 翌日、病院に迎えに行くと女の子は元気に俺のことをパパと呼んできた。


 俺は、もの凄い順応の高さに驚いた。だが、そのお蔭もあったのか、支払いの時に「保険証が家庭の事情でまだ未手続で持っていない」と言う、半分本当の言い訳をすると、それを疑われることは無かった。

 それよりも、どういう解釈をされたのか受付の女性から「頑張って」と言われ、潤んだ目を向けられた。

 俺は必要経費と自分に言い聞かせ、高額の費用を払って帰ることとなった。


 帰りに、女の子に必要そうな物を購入しようとショッピングセンターに寄ったが、正直何を買えばいいのか見当がつかない。

 取り敢えずの部屋着と日用品類を購入し、後はその都度アタフタすれば良いと開き直ることに。

 そして、買い物後、ちょっと落ちついた俺は、何か親らしいことがしたくなって、迷った末にアイスクリーム1つだけ買って二人で分けて食べた。

 決してケチった訳ではなく、一個与えることの是非が分からなかったからだ。

 女の子の嬉しそうな笑顔に、俺は心を撃たれてしまった。


 俺は家に帰り玄関のドアに向かうと、一昨日、長期出張から帰って来た時にアパートの鍵を開けた時とは、一変してしまった自分の人生をしみじみ感じていた。

 一緒に部屋に入るはずの女性が、恐ろしく小さくなってしまったことに苦笑いしてしまいながら。


 俺はアパートの鍵を開けた。新たな気持ちと決意を込めて。


 「はい、どうぞ」

 俺は女の子と一緒に中に入ろうとする。しかし、何故か女の子が一緒に入って来ようとはしない。後ずさりする。

 既に心を開いてくれていると安心していた俺は、一気に不安が募る。


 俺は”落ち着け”と自分に言い聞かせ、女の子と同じ視線の高さをとり、極力優しい顔で見つめる。そして、女の子の小さな手を取ろうとした。

 すると、それより先に、女の子は


「よろしくおねがいましゅ」


 と、大きくお辞儀をして来た。そして、俺の顔色を窺っている。



 病院のベッドの上で泣きながら言われ、衝撃を受けたあの言葉を繰り返されてしまっていた。

 一瞬その言葉に不安が過ぎるも、今度は直ぐに平常心を取り戻した。

 昨日とは大きく違っていることに、俺も気づいていたからだ。

 女の子の声は大きく、それに元気が満ち溢れているのだ。


 だから、「大丈夫だよ、今度は一回でちゃんと聞き取ってるよ」俺は、心の中でそう呟いて、俺も大きくお辞儀をした。そして、今度はちゃんと考えて言葉にした。


「こちらこそ、宜しくお願いしましゅ」

 俺は女子を抱き上げ、二人で一緒に玄関の扉を通り抜けた。


 長い共同生活が始まる。

 まだ先のことが分からないはずなのに、既にそう感じていたのだ。


 後で女の子から聞いたのだが、この「よろしくおねがいしましゅ」と言う言葉は、俺のところに来る前に何度も何度も母親と練習をしたらしい。


 女の子曰く、

「よろしくお願いしましゅって、いっぱい練習したの」

 だそうだ。そして、パパが優しい顔になるまで何度も言うように母親ママに教えられたらしい。


 それを聞いて、女の子に対するいじらしさに目頭が熱くなる反面、この拝み倒せと言わんばかりの母親の行動に瞬間的に心が激しく憤ってしまった。

 しかし、直ぐにそれに心を捕らわれるのは止めることにした。

 それは何故かと言うと、女の子の母親に対する愛情が深いと感じたからだ。


 だから、この子の母親への憤りを、この子の前では絶対に見せない。俺はそう心に決めた。


 その後は、一緒にお風呂に入って、コンビニで買ったご飯を食べ、一つの布団で眠った。

 お風呂では、一部の洗浄に大変迷うことになったが、さらさらっと流して終えた。詳細は後で義理姉に聞くと言うことで自分を納得させた。

 因みに女の子は、何が可笑しいのかゲラゲラ笑っていた。


 あと、お風呂で俺の体を不思議そうに、じーっと見るのには閉口してしまった。これは今後の課題となるだろう、そう思ってしまった。


 何はともあれ、こんな感じで女の子との共同生活は始まったのであった。


<つづく>


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